新発田市からの帰路は、日本海沿いを走る国道345号を、のんびり帰った。
山北町の海岸は、「笹川流れ」と呼ばれる景勝地。
新潟に繋がるこの道を走るとき、無条件に、あの頃の記憶が蘇る。
息子が幼い頃、四ヶ月間、新潟大学付属病院に入院した。奥サンも息子と一緒。
週末のたび、この道を何回も往復し、様々な病にある多くの子供たちと出会った。
こんなボクにも、初めて人生観らしきものが生まれた。
あれから、もう、四半世紀が過ぎてしまった。
新発田市からの帰路は、日本海沿いを走る国道345号を、のんびり帰った。
山北町の海岸は、「笹川流れ」と呼ばれる景勝地。
新潟に繋がるこの道を走るとき、無条件に、あの頃の記憶が蘇る。
息子が幼い頃、四ヶ月間、新潟大学付属病院に入院した。奥サンも息子と一緒。
週末のたび、この道を何回も往復し、様々な病にある多くの子供たちと出会った。
こんなボクにも、初めて人生観らしきものが生まれた。
あれから、もう、四半世紀が過ぎてしまった。
今朝、岩手のcap のブログで、東日本不惑が新発田市で開かれているのを知った。
新発田まで130km。まだ、間に合う。
11時過ぎに現地入り。 青森・神奈川を観戦中、通路を歩く見慣れたジャージ・・。
大学の後輩、仙台不惑のカマさんとk口君。 カマさんは「赤パン」だ。
岩手のCap は、「 県高校総体と重なり、岩手はメンバーが揃わなかった。」
ラグビーはやってなんぼですが、笑顔が絶えない激しい?ラグビーを楽しく観戦。
カマさん、股関節は、大丈夫なの? まだ、ボルト入ってんでしょう。
5月25日は、地元の観光筋は「奇祭」と言いはる、行政あげての「天神祭」。
「天神」ですから、菅原道真公つながりのお祭り。
無言で酒を注ぐ「化け物」が珍しいので「奇祭」。盛り上がらないから、「奇祭」。
「化け物」がいなかったら、ただの子供まつり。
観光大使の五十嵐希さん・・、誰? 2012ミスワールド日本代表で、ここ出身。
中学・高校吹奏楽部による「ジョイフル・コンサート」。こっちのほうがいい。
アンサンブルが奏でる生音は最高。 毎年、ここの一画だけは、盛り上がる。
♪♪ 見慣れてきた 東京の狭んまい夜空 見上げながら歩く 一人帰り道 ♪♪
山形出身の朝倉あや 「東京」の唄いだし、ビル群に切り取られた「狭んまい空」。
池袋駅まで、ぶらぶら歩いていたら、「TOYOTA」の展示場を見つけた。
2000GT、ヨタハチが、拝めるかも・・。
展示車はハイブリッドを始め最新車ばかり。
期待していた車は、ミニカー展示だった。
残念ながら、最新車なんて、全く縁遠い車。
ボクに、新車は買えないよ。
東池袋中央公園は、あの巣鴨プリズンの跡だとか。
東京の公園はきれいですね。
利用者のマナーがいいのか、それとも、行政の管理が行き届いているのか。
ネコが二匹、くつろいでます。 ホームレスか、それとも、家ネコ?
そこがわからないところは、自尊心の強いネコ故か。
そばには、ネコ好きの女子が。
ん・・? 今度は、ネコ好き男子が現れて、ナデナデ、こちょこちょ・・。
それをじーっと見ながら、写真を撮ってる奴って、誰?
たくろうの「元気です」といえば、「高円寺」。
22~23日に上京。宿泊地の池袋から、まだ降り立ったことのない、憧れの地へ。
70年代前半のよしだたくろうをはじめ、あの時代のミュージックシャンの生息地。
中央線沿線の高円寺・吉祥寺・国分寺の三寺周辺の暮らしに憧れていた。
ねじめ氏の小説でも有名になった高円寺駅前の「高円寺純情商店街」。
偶然ですが、先日、古本屋からまとめ買いした中に、この一刷も紛れ込んでいた。
今、電車の中で読み始めたばかり。時代が違うし、小説とのギャップは仕方がない。
吉祥寺は、高円寺から目と鼻の先。
♪♪ ちきちき ちー 吉祥寺・・、口ずさんでいる自分に、思わず苦笑。
10数年ぶりの吉祥寺の駅舎は工事中。駅前の様子が変わり、一瞬、立ち止まる。
井の頭公園はどっちだっけ? 行きつ戻りつ、記憶の糸をたどる。
この日、東京は夏日。公園は初夏の装い。 平日ですが、多くの人が思い思いに憩おう。
住みたい街ナンバーワン「吉祥寺」の魅力のひとつなんでしょうね。
ボクの吉祥寺への憧れは、四十年前、斉藤哲夫の「吉祥寺」を聴いた時から。
「吉祥寺」を体感する術は・・、どのあたりが、歌の舞台なんだろう。
♪♪ちきちきちー吉祥寺・・・ ホント、「吉祥寺」は、いい歌ですなあ。
ぜひ、一度、聴いてみてください。 「斉藤哲夫」が好きになるはずです。
朝の散歩の通り道。花を咲かせたこの時季に、初めて気がついた。
誰かが植えた名のある木、それとも、自然に生えた雑木かな。
花卉草木は全くもって縁遠い。この木って、何?
ハナミズキ・・、微妙に違うよね。ニセアカシア・・、でもないし。
早朝からのツーリング日和。思い立ったのは夕方。
給油のついでに、海岸線までチョイ乗り。
今泉漁港の先は、「荒崎灯台」とクラゲで有名になりすぎ?の「鶴岡市立加茂水族館」。
廃業寸前の田舎水族館が「クラゲ」でV字回復。 何が「当る」か、ホントわからない。
来年のリニューアル・オープンに向け、三代目の工事が去年から始まった。
加茂港は小さな港。ボクにとって、港といえば、ここ。
この辺りの漁港は、家族で楽しめる「無料釣り堀」でもある。
春、夏、秋、アジやクロコ(メジナの子)など、小物ですが、簡単な仕掛けで楽しめます。
湯野浜海岸の沖には、無粋なブロック群。浸蝕から砂浜を守っています。
日本海側の観光地は、必ずと言っていいほど、ベタな夕日を売り物にする。
ボクの体力は「黄昏」まっしぐら。もう少し頑張って走らないと。
例年になく寒い春。五月にもかかわらず、あちこちで満開の桜に出会えた。
「石割桜」の前には、雨降る中、見物客が続々と詰め掛けていた。
宿のある名須川町から、大通りにある懇親会場のホテルまでは一本道。
上盛岡駅から下りてきた、本町通りの角にある「かまだ食堂」。
15年ほど前、仕事中のタクシー運転手が入るのを見て、間違いないと思った。
その時食べたのはワンタンメン。昭和の大衆食堂の雰囲気と「味」をご賞味あれ。
更に行った通りの右側にある「居酒屋じん」。初めて銘酒「鷲の尾」と出会った店。
ヒノキのようないい香り。銘柄を尋ねたら「鷲の尾」だった。
そばにいる女性を見ながら、「かみさんの実家のある、県北大更の酒です。」
懇親会場のホテルは、「いかり」の真裏。ここは、ボクたちアラ還OBの隠家。
ボクとの関係は、ガン・コン 両先輩の話を抜きには語れない。長くなるからやめよう。
カツオやホヤなど、三陸産の食材を使った料理は絶品です。
いつまでも、ボク等の隠家でありますように。みなさん、また、ここで会いましょう。
OB戦の開始前、学部内を散策した。入学は、学生運動も下火になった72年。
岩手大学に特別な思いがあったわけじゃない。授業は欠席がち。勉強はしなかった。
当然、単位が取れなくて追試再試の連続。劣等生の悲哀を初めて味わった。
建物の外壁はお洒落になったけど、それとは真逆の、当時の空気をボクは感じる。
仲間の息吹。A間君たち「造構」の連中が、生コン練っている姿が、そこに見える。
賢治は農学部の大先輩。大学の象徴。こんな洒落た像は、ボクの時代にはなかった。
小学校で習った「春」。日が照って鳥が鳴き・・は、今でもそらんずることが出来る。
盛岡高等農林学校。日本最初の高等農林学校の校舎。94年に国の重文になった。
今は記念館ですが、入館は有料。有料はネーべよ。卒業生はタダにしろ。
保水力を上げるため、農地造成研究室の専売特許「破砕転圧工法」を駆使してるんだって。
「造成」は、ボクが所属していた研究室。ボクは、いただけの足手まとい。
農学部の旧「自啓寮」の跡地。 ボクが一年生の時まで、ここにあった。
寮の印象は、とにかく暗かった。明治時代の兵舎・・というと怒られるかな。
自啓寮を自慢気に、バンカラを気取る寮生が、正直、羨ましかった。
新田町の下宿に移った最後の一年間、大学への行きかえりは、正門を通った。
卒業間近の真冬の夜。研究室からの帰り、正門を出る。冬枯れのポプラの並木。
何気なく見上げた夜空に星・・。就職も決まらない劣等生の胸に沁みたなあ。
落ちこぼれ寸前だったボクに、今もって、この「門」の敷居は、高いのだよ。
5月3日、母校ラグビー部OB会のため、盛岡へ。
OB戦会場の母校グランドには、現役ばかり・・。OBは、来てるの?
不安はすぐに解消。現役だと思っていた連中は、卒業間もない若いOB達でした。
つい三日前、コン先輩から電話。「OB会に行くぞ。試合に出ろじゃぁ!」
何かが吹っ切れて「参加します。」と言ったものの、ホテルなし、スパイクなし。
ホテルは、何とか確保。スパイクは、当日、盛岡で購入した安物のサッカー用。
現役との試合。前半、ボクが足を引っ張った。退いた後半は、いい勝負だった。
震災の影響もあり、現役との懇親会は数年ぶり。現役もOBも、ボクの子供より若い。
ボク等が現役の頃の、怖くて優しかった?諸先輩に、もっと来て頂きたかった。
♪♪ ここ盛岡に 集いきて 集いきて 我ら強者 フィフティーン ♪♪
締めは、みんなで唄う「部歌」。元気をもらった。楽しかった。
翌朝、コン先輩と一緒に、大澤オヤジのお墓へお参りに行きました。
盛岡の地で、オヤジのお墓の前に、コン先輩とボクが手を合わせている。
人と人との出会い、不思議な「縁」。時の流れを感じ、混沌とした思いにかられた。
駐車場でちょっとした事件。傘を持ち替えた時、一緒に持っていたお酒の袋を・・。
あっ!といった瞬間、ガシャン! コン先輩が、「Oka、オヤジが泣くじゃー!」
でも、ボクには、笑い声が聞こえてきた。「大丈夫!まだ、まだ、いげる!!」