単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

ビッグ・ネーム

2024-05-31 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

練習用ジャージを購入しよう探してみたんですが・・・、もうなくなっているのかなあ。

現行のジャージ・スタイルは承知していましたが、ボクが欲しいのはこれじゃない。

ラグビージャージの特徴と言ってもいい、「襟」の付いた綿100%の長袖がいいのにね。

 


 

6/2の日曜、北上市での岩手不惑さんと秋田不惑さんの試合に、ボクも参加させて頂きます。

「先輩思いの後輩」さんの計らいで、岩手不惑チームの末席に加えて頂きました。

岩手不惑(当時は盛岡不惑)は、ご当人が想像できないほどボクにはビッグ・ネーム。

大沢先生はじめ安保先輩等、当時の岩手県ラグビーをけん引していた方々のお顔が浮かびます。

ボクごときが・・・の思いがありとても悩みましたが、わくわく感が勝りました。

会場は24年前、大沢先生の退官記念に東北学院大OBと初めて親善試合をしたグランドです。

ヤス君、アネに同行して君も来てみないかい?


同じ釜の飯を食った先輩後輩(2/2)賢治先輩と二度会った朝

2024-05-25 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

三週間前のここ開運橋から見た岩手山の印象が今朝も尾を引きます。

やっぱり、窮屈そう。

 


 

いつも朝の珈琲を目当てにコンビニへ向かうところ、今朝は進路を変えてみた。

旭橋の袂から北上川沿い伸びる材木町通りを川を遡るようにぶらぶら歩く。

もう珈琲はいいや。

 


 

材木町通りのコミュニティ道路事業は、ボクの住む町でも話題になりました。

車が走りにくいように線形に変化をもたせる発想が珍しかったんでしょうね。

商店街活性化のため、ボクの町からも関係者が視察に訪れたことがあるはずです。

 


 

通りには「いーはとーぶアベニュー」という名前が付けられているようです。

宮沢賢治さんも一服していますし、愛用していたチェロも置かれています。

「注文の多い料理店」の出版に関わった光原社の喫茶店もあり、とにかくここは賢治さん通り。

 


 

材木町通りを北に抜けるとそこは夕顔瀬橋の袂。

盛岡最後の一年間、大学の行き帰りに毎日(かな?)渡った夕顔瀬橋。

今思うと、ボクの一番身近にあった橋。

 


 

裾野を左右にゆっくり伸ばした岩手山はここまで遡らないと拝めません。

夕川瀬橋から見る岩手山は、ボクがこの橋を渡った頃の姿と変わっていませんね。

 


 

去年、夕川瀬橋に立った時、興味をひかれた川沿いに伸びるこの小道を歩いてみよう。

一度も歩いたことのない道に、何とも言えない風情を感じてしまうもんだから。

 


 

当時なら岩大生が暮らす下宿屋があったような昭和を思い出す雰囲気があります。

今の学生さんには信じられないくらい、ボク等の住環境は質素でしたから。

 


 

えっ! あの「鹿島」か? と二度見しましたが、国内最大手のあの鹿島建設でした。

何故あの鹿島がここに400坪ほどの空き地を・・・? それを説明する看板がありました。

明治二十年代、一関~盛岡間の鉄道敷設工事を請負った当時の鹿島組の宿舎跡地のようです。

ひとつの疑問は解けたけど、その後100年以上持ち続ける理由って何??。

 


 

初めての道を歩けば、何かしら興味深い新しい事実を知るもんですね。

多分、西下台の岩大構内に出るはずなんですが、なかなか近くまで行けませんなあ。

 


 

結局、腰の治療に毎日のように通った高松病院のある舘坂橋の通りまで来てしまった。

この通りの緩い坂を上がった途中で、覚えのある「岩手大学自然観察園」の看板と再会。

当時、看板の前を通るたびに躊躇していましたが、今日は入るしかないでしょう。

 


 

ずいぶん垢抜けたアプローチだなあ・・・我が農学部の植物園とは違う?

教育学部に帰属する園内を通り抜けることに、当時は躊躇がありましたね。

関係ないよそ者が他者の領域に入り込むような、そういう遠慮があったんでしょうね。

 


 

鬱蒼と生い茂る緑の遠くにポツンと置かれた礎石の様なもの・・・何だあ?

 


 

ああ・・・観たことあるなあ、この写真。

寝そべった人の後ろ、左から三人目が今日二度目の宮沢賢治さん。

  「盛岡高等農林学校に来ましたならば まず標本室と農地実習とを

  観せてから植物園で苺でも御馳走しようではありませんか。  宮澤賢治」

大正五年 五月  当自然植物園(当時の植物園)で撮影 とあります・・・108年前の五月です。 

 


 

鬱蒼と生い茂った草木のエリアはとても心落ち着きましたが、散策路は短かったなあ。

自然観察園を抜けると「岩手大学芸術棟」と銘打つ建物があらわれた。

ボク等の時代にあった「特美=特設美術課」の学び舎なんでしょうか。

 


 

当時の特美にボクの高校の一学年先輩の女子学生がいました。

特美の学生はそれと分かる独特の雰囲気を持った人が多く、彼女もそうだったかなあ。

今も彼女は雫石にアトリエを構え活躍されているという話を聞きます。

 


 

おそらく、教育学部内をこんなにのんびり歩いたことなんて、なかったと思う。

工学部もそうでしたが他の学部にいく用事なんてまずなかったし、なんか入りづらいんだよね。

これもみな、岩手大学のキャンパスがあまりに広大だからだよ、当時は未整備だったしね。

 


 

早朝のラグビー場に多くの学生が・・・そう、ラグビー部員なわけがない。

後輩には失礼な言い方だったかな、でも、去年の内容じゃあ、そのぐらい頑張ってもいいぜ。

ラクロスとかいう競技の学生でしたが、男女合わせた部員数は随分多かったなあ。

 


 

カマさん、「がんとこ」はここ、学食の隣にあったんだよ。

カマさんは「がんとこ」の意味どころか、床屋があったことすら知らなかった。

ボクは一年の時、ここで坊主頭にして以来ずーっと「がんとこ」、安さが一番だったよ。

 


 

早朝、まだ7時前の爽やかさ空気がとても気持ちがいいです。

多分、日課にされているんでしょうね、朝の散歩を楽しんでいる市民の方が多くいます。

ボクが学生の頃は、整地されていない区画が至る所にあったし・・・隔世の感があります。

 


 

やっぱり農学部内に入ると、他のエリアには感じないちょっと重い感情が生まれてきます。

たぶん、もっと・・・という、後悔の念があるからなんでしょうね。

こんなに素晴らしい環境があったのにね・・・生かすも殺すもオメエー次第だったんだよ!

 


 

入学するときは、きちんと「表」から入って来たんだけどね。

学業もそしてラグビーも、何一つ及第点を取らずして、こっそり抜け出てきた思いがします。

五十年を過ぎようとしても、何も言わず迎え入れてもらえることは、とてもありがたいよ。

落第分を取り戻すつもりで一回でも多く訪れたいって、この頃そう思うようになったんだ。


同じ釜の飯を食った先輩後輩(1/2) 一関から盛岡へ

2024-05-24 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

遠くに霞む栗駒山。

今月二度目となる岩手入りは、まず一関から。

 


 

コン先輩んちにお邪魔する前に、「セプターの丘」に寄った。

先日のOB戦には、いつになく赤パン組が多く集まり、楽しかったですよ。

同年代のOBが集まるチームの誕生をとても楽しみにされていましたもんね。

 


 

こんにちわーーです!

真柴珈琲をいただきながら、仙台から来るガン先輩とカマさんを待ちます。

 


 

立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花・・・

「どんな女性?」と訊くキクちゃんに、吉永小百合かなと言ったら、「古っ!」はねえよ。

八千草薫って答えるよりは、まだ若いだろ。

 


 

十一時を過ぎて仙台組が到着、美味しい昼食を御馳走になりながら、わいわいがやがや・・・

すっかり腰が落ち着いた頃に、今回は盛岡に直行するという秋田のヤスから電話が入った。

昨日ヤスに、三時頃に盛岡の喫茶店にいるからと伝えていたのに、「もう着いた」だとさ。

 


 

ヤスを待たせちゃいけないと、みんなでガン先輩の車に乗り込み盛岡へ向かう。

ガンコウ(岩手高校)んとこで拾うから待っててとヤスに言ったら、「それ、何処?」かよ!

ガン先輩もカマさんも「ガンコウって何処だっけ?」には、みなさんホントに盛岡にいた人?

「一度、味を知りたい」とキクちゃんが言う上田通りの Nagasawa COFFEE を訪ねた。

 


 

あの事以来、盛岡の街とともに市内に点在する個性豊かな喫茶店が注目されています。

ボクは喫茶店とは縁遠いけど、珈琲好きのキクちゃんからすれば「盛岡は昔からそうだよ」

ボクは深煎り、みなさんは深煎り・中煎りのブレンドを味わう・・・皆さんの評価は如何?

 


 

今回もみんなの宿は開運橋近くのホテルに取った。

ネットで価格の安い順で探すと比較的早く出てくるし、「いかり」にも近いしね。

「いかり」の段取りをしたオサムからは五時半と聞いてるけど、喉の渇きは抑えられない。

 


 

一時間前どころか、「準備中」の札が掛けられている扉を開けて、「こんちわーー!」

「いかり」のジュンちゃんと、ガン先輩キクちゃんとの昔からの関係性が頼りです。

ガン・コン先輩の後ろについて入った「食いしん坊」時代と変わんないね。

ジュンちゃんへのお土産を持参するところなんかは、常識ある大人にはなったけど。

 


 

仕事で遅れるオサム抜きに早速「生」で乾杯! まだ四時半だぜ・・・長い夜になりそう。

やっぱりガン先輩の周りには面白い話が未だにたくさん転がっている。

今までの先輩イメージが壊れるほどの真面目人間かと思えば、とんでもなくヤバかったり。

カマさんからは「練習は週一でしたっけ?」とイジられていたけど、実は凄い人だったんだね。

 


 

ボクは「生」一杯飲んで熱燗の「菊の司」に切り替え、二杯空けたガン先輩にもお酌した。

一年一回、「いかり」のジュンちゃんの下に集まり、あの時代を思い出しながら語り合う。

カマさんが「何で Oka さん、途中、いなくなったの?」って、グッサっと聞いてきたけどさ。

聞きたい? その理由には表と裏があるんだよ、表だったら教えるけど・・・

 


 

思い出を懐かしむボク等を懐古趣味だと揶揄する向きもあるし、そう思うこともあった。

言いたけりゃあ言えよ。ボク等には思い返せる時代とその時代の街と人とラグビーがあるんだ。

同じ話をして楽しいかだあ? 話の中身より話しているこの時間と空間に意味があるんだよ。

翌日キクちゃんの話だと、日本酒の二人は結構イッチャっていたとか・・・全然、覚えてない。

 


 

どうやら八時半前には「お開き」していたようですね。

といっても四時間日本酒を飲みっぱなしだから、いつになくボクは限界突破しています。

その割に「夜の開運橋」は大した手ブレもせずしっかり撮れていますね、覚えていませんが。

 


 

橋を渡った先の正面の灯りはJR盛岡駅です。

あとでヤスに訊いたら、一度川の対岸へ行ったけど、オサムが嫌がって戻って来たんだとか。

行こうとした界隈で何か面白くない思いでもしたのかな、知らんけど。

 


 

結局、宿にしているホテルの隣のビルの焼き肉屋に入ったらしい。

ボクはもう心身ともに限界に来ていたと思うけど、ビール組には余力があったんですね。

焼肉は別腹なんですか・・・この若さは大したものだと思います。

 


 

オレはいらないと言ったガン先輩を除いて、ボク等は冷麺を注文したんだよね。

で、出てきた冷麺を見て心変わりした先輩に直属の後輩であるボクは「先輩、どうぞ!」

先輩、この一杯と引き換えに、明日も一関まで乗っけていってくださいね。


おまえはホントに馬鹿か

2024-05-23 | 暮らし・ジョギング

 

確か・・・キンポウゲだったかな。

 


 

去年より自らのテレトリーを拡張してきたんじゃねえかなあ。

季節を知らせてくれる野草の名前をひとつでも多く知りたいと思うようになりました。

 


 

もう今から、今年の夏は今までにない暑さになると言われだしましたね。

ボクは夏の暑さが大好きとは言いませんが、受け入れることにさして抵抗はありません。

猛暑だろうが酷暑だろうが、走りながら汗かいて、その空気の中に溶け込みたいとさえ思う。

 


 

人類が誕生して以来、幾度となく地球を襲った氷河期を人類は生き延びてきました。

それを可能にしたのは、火を使いこなし、暖を取る方法を知ったこともあるんでしょう。

こと暖を取ることは、太古の昔から人類の生命維持装置といってもいいんでしょうよ。

 


 

ならば、猛暑から逃れるために人類はどんな知恵を身に付けてきたんでしょう。

この島の人類は、夏の暑さに風流を感じ、夏を愛しみながら夏の暑さを受け入れてきたんだよ。

厳寒の冬に直接「火」を使って暖を取るのとは、そこがとっても違うんだよ。

科学技術の有無の問題じゃない、いきなりエアコンのリモコン・オンじゃないんだよ。

 


 

 

いまどき、室外機が付いていない家なんてないと言われても、抵抗があったのはそこなんだよ。

寒さは死ぬほど辛いけど、猛暑だろうが酷暑だろうが、ボクはそれを受け入れて70年だよ。

だから今、ボクはとっても忸怩たる思いでいます。。。

 


 

おまえはホントに馬鹿か!! なんだ、その戯言の様なへ理屈は! 唯我独尊かあ!!

そして昨日、ボクんちも遅ればせながら「リモコン・オン」の仲間入りをしました。

目が覚めた訳じゃありません、遅れに遅れた奥サンへのお詫びの印です。

ボク一人で暮らしている訳じゃないもんね・・・やっぱ、目が覚めたのかなあ。


カッコウのお腹は白かった

2024-05-18 | 暮らし・ジョギング

 

カッコー カッコー カッコー ・・・・、いい声で鳴いてるねえ。

すぐ頭上から、ガンバレ ガンバレ と連呼されているよう、それならと焦点を合わせ・・・

チッ! 気づいていたんだね。

翼を広げた瞬間、目に飛び込んできたのは、柔らかな感触が伝わるようなお腹の鮮やかな「白」

 


 

羽黒橋から切り取る月山の姿では、中州を挟んだ赤川左岸側越しの月山が好きです。

本流から別れた小さな流れの向こう、木立の緑の間から姿を見せる月山の遠望。

海まで10数キロ、標高15mほどの所が、まるで信州の高地のように・・・えっボクだけ?

 


 

 

今日は、爽やかな気持ちのいい初夏の空気が流れています。

何年か前にすっかり伐採されたニセアカシヤが、したたかな生命力で再び伸びてきたぜ。

へとへとになって渡る羽黒橋には、やっぱり初夏の香りがしないと元気を取り戻せないよ。

 


 

久しぶりのOB戦はとても楽しかったけど、走れなかったという思いが今も離れない。

何とかしたいけど、このアキレス腱では・・・と半ば諦めていたら、方法はあった。

筋力強化も必要だけど、要は心肺機能の強化、そう、今よりピッチを上げればいいんだ。

走法は変えず、ピッチの緩急によるインターバル走ならアキレス腱への負担は比較的軽い。

走りの終盤、二本だけ試してみた・・・これなら、やれそうだぜ!


難しいお年頃

2024-05-16 | 暮らし・ジョギング

 

家を出る第一歩からもう身体は重いし、気分はもっと重くて不快でどうしようもなかった。

この月火水の三日間、トレーニングの時間を三代目稼業に取られ、走れなかったせいですかね。

こういう日は、ボクの身体にボクの肩を貸す気持ちで、一歩一歩、歩を進めるしかねえな。

 


 

文字通り、青息吐息で折り返し点の羽黒橋にたどり着いたけど、相当無理しているのかなあ?

これが、所謂、体調不良だとしたらボクの歳では大きな問題だけど、その判断は難しいよ。

嗚呼!!せせらぎの音がとても涼やかで心地いいなあ・・・究極のヒーリングミュージック。

 


 

折り返し後は、もちろん疲労感はありましたが、身体の重さや気分の悪さはすっかり消えた。

これってよくあることです、多分、橋を往復する間のインターバルがよかったんでしょうね。

 


 

もっとガンガン走りたいという気持ちと、治らない怪我や年々消耗していくしかない体力。

あの時、ボールに絡めるような動きが出来なかったなあという未練もあるし・・・・

いろいろと、難しいお年頃だよ。


残り香

2024-05-11 | 暮らし・ジョギング

 

あの子、すっげー空振りしたなあ・・・潔くベンチに帰る未来のオオタニ君。

みんなの元には、もうオオタニ君のグローブが届いているんでしょうね。

今、"野球しようぜ!" は、あの子らには物凄く響くんだろうなあ。

 


 

汗ばんできたなあと思った時、ふわ~~っと心地のいい硫黄の湯の香りがしてきた。

あれから一週間経っているのにねえ・・・さすが網張と黒湯の湯は、湯力があるぜ。

 


 

盛岡から戻り、なんとなく気が抜けたようで、ちょっとした虚脱感さえ覚えた。

今の走り方じゃあ、ラグビーを楽しめないことを改めて思い知らされたしね。

これ以上の負荷を掛けるには、アキレス腱が完全に元に戻らないと・・・戻んねーだろうな。

それでも、諦めかけていたラグビーに対して、少し気持ちが前向きになったような気もする。

女子部にはまだ負けてらんねーーもんね。


2024ラグビー部OB会(3/3) 黒湯に咲く菊咲一輪草

2024-05-06 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

盛岡の朝、いつものように開運橋からの岩手山と対峙する。

ここから見る岩手山への懐かしさや心安らぐ思いが、見るたびに薄まっていくのに気づいた。

何故だろう・・・あっ!そうかあ、北上川の両岸に建つ高層階のビルのせいだ!!

受験時に初めて見た岩手山はこんなに小さくなかったし、こんなに窮屈そうじゃなかった。

 


 

もはやあの時見た岩手山は、ボクの心象風景の中にしか残っていないんだね。

感傷的になった朝の気分を少し元気づけてくれる事実に、偶然、出くわした。

開運橋の銘板に刻まれた「昭和二十八年竣工」が、見ろ!とばかりに視界に飛び込んできた。

同い年じゃねえか! 何で五十二年間も黙っていたんだよ、水くせえなあ。

 


 

開運橋を背に菜園通りに向かう・・・朝の珈琲はこの通りのコンビニで購入しよう。

「菜園通り」を初めて耳にしたのは盛岡に来てすぐの頃、商店街を紹介するラジオCMでした。

南部家の菜園があったという何のひねりもない由来ですが、ボクには妙に艶っぽく聞こえた。

場所も知らず歩いたこともない路に色んな空想が混じり、憧れにも似た思いがあったよね。

 


 

城の手前まで行かないとコンビニはないと知り、道を折れた先で古風な建物に遭遇した。

個人住宅のようでもあり、休憩スポットを併設しているから公共物のようでもある。

何より、何度も通ったことがあるはずなのに、全く気付かなかったことに少々驚いた。

 


 

隣接する郵便局も、市街地なのにロッジ風?と思わないでもないけど、凝った意匠だ。

ここにしよう・・・この先のコンビニで珈琲とパンを購入して踵を返し、ここで一服した。

ヤスに迎えに行く時間をメールし、九時過ぎにヤスの泊るホテルの前に車を横づけた。

 


 

ヤスが同乗するときの帰路は、温泉に立ち寄ることが多い。

特にボク一人ではなかなか訪ねることができない乳頭温泉郷は、とても楽しみなんです。

田沢湖の手前を右に折れ山深く入っていくと、わあ~~お!!と絶叫もんの木漏れ日の道。

 


 

雪の重みによる幹曲がりブナの姿に冬の自然の厳しさを見るようです。

初めて見るような新緑の美しさ・・・この時季に連れてきてもらうのは初めてかも。

仙岩峠を越える直前、国見温泉に寄ろうとしたけど、やっぱ、乳頭温泉が正解だったね。

 


 

木漏れ日の道の端に、薄紫色したとても可憐な花の小さな群生を見つけた。

もちろんボクにその名が分かるはずもなく、ヤスに訊いたけど首を振るだけ。

すぐ近くで小さな渓流にカメラを構えている見るからに山に詳しそうな年配のご夫婦がいた。

ここは思い切って、「すいませーーん! この花の名前わかりますかあ?」

ボクの指さす物が何か分かるはずもない場所にいたのに「菊咲一輪草だと思いま~す」の即答。

答えたのは奥サン・・・謙虚深く教えてくれるお人柄がこの花のようだぜ、かっこええなあ。

 


 

今回ヤスが案内してくれたのは、乳頭温泉郷の中でも奥の方にある「黒湯温泉」

周囲をところどころ硫黄の色した山に囲まれている環境は、あの玉川温泉を思わせる。

八幡平ふけの湯でも見た、地表から温泉が噴き出ているところもあるし、まさに秘湯だね。

 


 

駐車場から温泉までの道端に、ヤスが気に掛けていた「孫六温泉」への案内を見つけた。

近くを流れる沢や渓流沿いに砂防工事が施され、ヤスの知る景観とはまるで変ったみたい。

本当は孫六温泉に行きたかったのかな・・・是非、この次は「孫六」で。

 


 

うわあーーー! お湯っこも周囲の雰囲気も、もう最高だよ。

砂防堰堤等の外観がまだ周囲の景観に馴染んでいないかもしんないけど・・・

これ等も、温泉が対峙する自然環境の厳しさを示すものだとして見れば、これも一興だぜ。

 


 

あっ! チビ! ここで何してる、いや、あの秋田犬の「わさお」かあ?

ボクが腰かけて濡れた長椅子の座面から、ワンちゃんの顔が浮かび上がった!!

ヤスーー! 見てみい、これは絶対、バズるぜえ!!

 


 

今回の再会は、とても楽しかったなあ・・・

再会という言葉を持ち出すほどみんなとはご無沙汰じゃないけど、今回は特別いがったなあ。

思うような動きが出来なくても、ボク等はグランドの上で会うのが一番だよ。

オサム君、同じグランド上でも、白線の内側はもっと楽しいからさあ、来年は・・・だぞ。

 


 

 

大曲でヤスを降ろし、思い出に耽りながら家まであと一時間というところで・・・、あれ?

ヤス君、君の電話にも驚いたけど、実はボクはボクでまたやっちまっていたんだよ。

カラスの行水のヤスが悪いんだぜ。残されたボクは焦って何かと急いじゃうんだよね。

一度はもういいやって諦めたんだけど、「黒湯」の御主人?がとても親切で助かったよ。

それから、ヤス君、ボクは全く大丈夫だから、気にしなくていいぜ・・・またね。


2024ラグビー部OB会(2/3) 和食いかり

2024-05-05 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

ボク等が試合会場を辞したのは午後2時過ぎ、近くの温泉をあれこれ探した。

繋、鶯宿、玄武、ユートランド姫神も考えたけど、網張温泉館が近いし一番無難だね。

 


 

滝沢総合公園から向かうのは初めてだけど、岩手山目指して走ればなんとか行けるよ。

途中、西根の方に向かってんじゃねえ? 太陽がこっちだからさあ・・・あっ、出た。

小岩井農場から登ってくる道に出てまずは安心・・・脳内ナビと風景が頼りのアナログ旅です。

 


 

温泉館は GoogleMap では平野部のように見えるけど、標高700mを越える高原にあります。

若い頃はよく訪れた網張スキー場や国民休暇村のすぐ傍で、当時はまだありませんでした。

硫黄の香りがほんのりする完全かけ流しのこの環境で600円は超お得。※2014に撮った画像です

 


 

場違いな黄色のパンツ履いたあぶないジジイ、何してんだあ?

ヤスと二人で温泉に入ると、必ずと言っていいほどヤスが早く上がる。

ボクが長湯なわけじゃない、ヤスは温泉好きなわりに入浴時間が短すぎるんだよ。

 


 

今回のボク等の宿は、GW直前の宿探しで取れただけいいけど、別々になった。

ヤスを老舗の小田島旅館(ホテル)に送り、ボクはいつものパールシティホテル。

そのあとは、いつものボク等の隠れ家へ。※「隠れ家」と呼ぶのはボクだけ、もちろんここは人気の店です

 


 

早めに行ってゆっくりカウンターで飲んでようぜ・・・三人で示し合わせていたんです。

行ってみたら店はもう大忙しで、カウンターに席の確保が出来なかった。

今日は休みだったけどボク等のために開けたところ、そこに他の客さんもどっと来たとか。

先にビールでも飲んでいようぜ!!の当然の流れに、律儀に掉さす後輩がいた。

「よくないんじゃないですか・・・」ボク等より先に来ていたアネが言いづらそうに言った。

まあ、現役時代はそうだったけどさあ・・・とアネを引きずり込んで、乾杯~~~!!

 


 

五時半には全員集合、フク君が若い(と言っても40代?)後輩二人も連れてきてくれた。

壁には五番右ロックのジャージ、アネの律儀なところだね(ボクもパンツは持って来た)

ボク等と旧知の盛工OBのNさんが高校時代の監督だったという後輩の話がおもろかったね。

うん、うん、そうかあ、大学ではフクが監督かあ・・・三人の先輩OBは優しく聞いてあげた。

二人の若い後輩がボク等に両手で徳利を持って酒を注いでくれたのには、ちょっとビックリ。

ボク等歳喰ったなあ、気を使わせてるなあ、今はモラハラかな・・・色んな思いがした。

 


 

オサムが京都から長駆1400キロを車で来たアライに食わせたいと彼のために山菜を頼んだ。

「アライ、美味しいから食ってみー!」 ひとつ下の後輩への思いやりがオサムらしいね。

9年前もそうだったけど、今回のOB戦でもアライが一番楽しそうだったもんね。

 


 

お開きはジュンちゃんも入って、みんなで記念撮影。

みんながいい顔している瞬間をオサムの恋人ショウコちゃんが見事に撮った。

画像記録によるとお開きは九時頃、みんなお行儀良くなったね。

キクちゃん、ジュンちゃんが「会いたかった」ってさ。

 


 

ヤスとオサムとボクの高齢者OB組がここを歩いているということは「食道園」でしょう。

ボク等には盛岡冷麺といえば「食道園」、当時は盛岡という冠なんか付いていなかったよね。

ところが「食道園」の冷麺が食えなかった・・・満員だったんだけ? 閉まっていたんだけ?

 


 

あとで Map で調べてみると、食道園の近くにある大通りの「お店」に入店したんだね。

翌日、ヤスに「昨日の冷麺も美味しかったけど何処だった?」 と尋ねたら微妙な表情をする。

確かに「食道園」とは違っていたけど、あっさりした上品な味がしたような気もするけどね。

 


 

とにかく中華そばや生蕎麦もそうだけど、麺類の好みは「十人十色」だからね。

でも、このブログで何度も紹介した「ちどりの中華そば」は、ヤスも美味しかったってさ。

二人とどこで別れたのか、ボクは午後10時過ぎの大通りを駅方向に向かって歩いています。


2024ラグビー部OB会(1/3) サインは「アライ」

2024-05-04 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

昨年同様、大曲までは電車で来るヤスをJR大曲駅で待つことにした。

車の渋滞を危惧し早めに出発したけど、電車の到着時刻の一時間前には到着。

昨夜の寝不足を取り戻そうと、車中、仮眠を取っていたら、ん? 地震かあ?

三十分前なのに窓越しにヤスの顔が・・・明日の時間的自由を考えて車で来たんだって。

 


 

仙岩峠を越え岩手県へ、この先の渋滞を予想し雫石の平野部に入ると旧道へ逃げた。

途中、葛根田橋からの眺望をヤスに紹介、あれは駒ケ岳だし、尾根続きの平らのところは・・・?

ふたりで、葛根田川に架かる鉄橋を渡る秋田新幹線「こまち」を待ったけど、来ねえな。

  ※白い尾根が気になり、GoogleMap と見比べてみたら、こんな感じかな

 


 

いいなあ! やっぱり、いいなあ・・・岩手山はホントにいいなあ!!

岩手山が見えだしてから、異口同音、何度も何度も二人で感嘆の声を上げ続けていた。

同じ時代に岩手山の見える街で暮らし、五十年後も肩並べて岩手山を見上げて感動している。

それなりに生きてきて思うけど、これって幾つかの幸運が重なって生まれた奇跡的なこと。

 


 

再び国道46号の交差点に出てみると、盛岡方面への渋滞はそれほどじゃない、どうする?

恐いのはこの先、小岩井農場への入り口だぜ・・・、交差点を渡り雫石町の町道を走る。

雫石町から滝沢市に入り、ちょっと垢抜けた意匠のJR小岩井駅をおそらく初めて見た。

雫石町や滝沢市には、いかにも「ここが良くて移住しました」的な垢抜けた住宅が散見する。

 


 

わあーーぉ!! 久しぶりに見る眩しいほどの緑の芝生にかなり興奮しました。

選手がボールを追いかける様子を遠くに見る、この試合会場独特の雰囲気も堪んねえーな!

やっぱりそうかあ・・・期待していた岩手山は頭をちょっと覗かせているだけでした。

 


 

 

おお! アライ、久しぶりだなあ!!

相変わらずデカい手と握手・・・でもボクとの学年差でいくと、黄色には数年早くねえ?

ボクが小さいのかアライが特別デカいのか、ラグビーは柔道越えの究極の無差別級だぜ。

訊いたことないけど、ボクとアライのラグビー観も、こんだけ体格差があれば別もんだろうな。

 


 

話に聞いていた通り、いつになく40歳を超えたOBが多く集まっていますね、

しかも赤パン(60代)がこんなに目立つOBチームなんて、初めてじゃないかなあ。

願わくは、ガン・コン両先輩とこの時季田んぼが忙しいカマさんがいたら、もう最高!!

 


 

年配OBに両ロックをこなせるメンバーがいなかったので、若手(でも40代?)をつけた。

フォワードの各ポジションは専門性が強く、職人っぽいところがあるんです。

ボク等の年代になっても率先して一番ハードな第一列をこなすお三方は、ホントに凄い。

 


 

※地元岩手めんこいテレビのニュース番組の映像を二枚ほど"スクショ"で拝借しました、お許しを。

さあ、キックオフだあ! 相手は名門盛岡工高OBチーム・・・あれ、ヤスが映ってるぜ。

アライはボクの現役時代のポジションだったナンバー8、ボクは左フランカーについた。

二人で顔を見合わせながら「初めてかなあ? アライ(Okaさん)と同じグランドに立つのは」

ボク等の仲間で桜のジャージに袖を通した(しかも学生時代)のは彼だけなんです。

 


 

何処であろうがマイボールスクラムのたび、SHのカンちゃんからのサインは「アライ」

アライもまんざらじゃないからこうなる・・・フォローしているボク、見えるよねえ、約束は?

試合前、「アライに付いていくから、"ごっつぁんパス" 頼むよ」って言っておいたのになあ。

 


 

試合前、盛工OBチームに同校の現役女子部員三名が加わる話を聞いていました。

まあ、手加減は必要だろうし、まともなタックルにはいけねえなと思いながらキック・オフ。

バックスの彼女たちにいいように走られて、繋がれて・・・いいセンスしてんじゃん。

孫の様な娘っ子にタックルは出来ないので、両肩をホールドしたら「セクハラじゃね?」

オサム、それは違うよ! そんなこと気にも留めないほど、彼女たちはいい根性しているぜ。

 


 

盛工OBのみなさんと試合後の記念撮影をする日が来るなんてねえ・・・嬉しいね。

今日のメンバーでは、ボクが最年長のよう・・・いや、盛工のNさんも同い年だよね。

日頃走ってはいても早々に心臓がバクバク、別の練習方法を考えないとだめだなあ。

かといって、アキレス腱が持たないし・・・難しいやね。

 


 

「来年も来てください」と言う後輩に、来年どころか明日どうなるかわかんない歳なんだぜ。

そう答えたら、同い年の盛工OBのNさんが「Oka さん、その通り!」だって。

 


 

ラグビーは続けたいけど、同じ時代の同じ釜の飯を食った仲間がいないんじゃあ、面白くない。

試合後、オサムに、今日ぐらいの相手だったらやれるだろ?と言ったら、「んだなあ」

「昨日、足くじいて」って言うけど、毎年の恒例行事みたいじゃねえかあ? オサム君。

来年こそ・・・だぞ! まあ、その辺の話は、この後「いかり」でじっくりしようぜ。