日本海沿いに国道7号を北上し、秋田県由利本荘市から内陸部に入る。
国道105号周辺の里山には、まだ早春の風景が残っています。
ヤスから「足はどうする?」のメールを受け、盛岡までの足を二輪から四輪に変更した。
一緒に行かない?というせっかくのお誘いだし、ボクにもその気持ちがあったしね。
10時22分到着の電車で行くというヤスとJR大曲駅東口で落ち合うことにした。
列車が到着するたび、駐車場に秋田弁と標準語が賑やかに行き交うのがいいね。
ヤスが着く時間より30分も早く着いたボクの前に、突然ヤスが現れて、ビックリ!
帰省中の息子さんに車で送ってもらったとかで、ヤスコさんにも会えたし良かったよ。
心配だったヤスの体調も、すっかり回復したと聞いて安心。さて温泉はどこにしようか。
国見温泉どう?・・・国道46号から温泉への道の先は「全面通行止め」の完全封鎖。
さて、網張は前回行ったし、繋はデカすぎるしねえ・・・じゃあ、鶯宿温泉かどや旅館。
ボクは(もう10年も経つんだね)、一度訪れたことがあります。
小さい浴室がひとつだけの湯治宿。先客の女性が上がるまで帳場で待たせてくれた。
女将さんは80代の元気なおばあさん。待つ間、超ディープな南部弁を堪能したよ。
先客の女性は女将さんと同年代の顔なじみで、黙っているといつまでも上がってこないとか。
ボクらに気遣って、女将さんは帳場と浴室を何度も行き来してくれるけど、大丈夫ですよ。
おばあさんとオオタニ君の話やらたっぷり30分間ほど世間話をしたあと、階下の浴室へ。
懐かしいなあ・・・、あの日も今日のように日差しが射しこんでいたなあ。
先に足を突っ込んだヤスが、熱っ!!と叫んだ。そうかあ・・・ヤスは苦手だもんなあ。
ヤスはほぼほぼ半身浴で、かけ湯を繰り返していた。
ボクはいつまでも入っていられるけど、女将さんが心配しないうちに上がった。
鶯宿のお湯は熱いので、飲酒して入る高齢者の事故が何件かあったんだって。
風呂から上がった後も、缶ジュースをいただいたり、女将さんのおもてなしが続いた。
ボク等、南部ことばを聞けただけで十分だし、これで300円じゃ元を取れないよ。
小岩井入り口の渋滞を予測し、その先で国道46号に戻ったのに、渋滞に巻き込まれる。
道路事情が激変して、ボク等の記憶にある地図がもう通用しないんだよね。
オサムから現役が12時頃から試合をすると聞いていたので、様子を見に大学に寄った。
試合は終わっていると思って来たけど、砂埃の中から鈍い激しい衝突音が聞こえてきた。
現役と若いOBの激しい試合を観て、よくあんなことをやっていたなあとヤスに話した。
やっぱり、もうできないなあ。
久しぶりのキャンパス内をブラブラしているうち、ほどなく午後三時。
遠くをぶらつくヤスに戻るよう電話を入れ、仙台から来るガン先輩を盛岡駅にお出迎え。
ガン先輩を乗せ、今度は一足先に宿に着いているキクちゃんを迎えにホテルへ。
大人四人を乗せた庄内ナンバーのボロ軽は、ガン先輩がときめきそうな思い出の地を辿った。
高松の池、高松マンション跡、合宿所だった高松亭、上田通りでは上田会館跡を探した。
岩手大学に戻り、キャンパス内の車両規制に惑わされながら、農学部あたりをうろうろ。
ガン先輩にこの辺は初めて来たと言わしめるほど、岩大のキャンパスは広いんです。
あの時代を人一倍色濃く残すガン先輩の思い出のエピソードは、もう面白すぎて楽しい。
アメリカ帝国主義粉砕!! 授業料値上げ絶対反対!!の大看板は、遠い昔の彼方ですね。
ガン・コン両先輩が暮らした同胞寮416号室は、いつも入り浸っていたボクにも思い出深い。
ボクが盛岡を離れる日までの一週間ほどは、416号室にしけこんでいた。
盛岡を離れる朝は、416号室から盛岡駅に歩いて行った。416は忘れないよ。
ガン先輩が自分が暮らした部屋を見上げて、「エアコンが付いているんだあ」とつぶやいた。
ホテルに向かおうとしたら、ガン先輩とキクちゃんの思い出の地が大通りあるという。
駐車場に車を止め、残っていて欲しいと願いながら、さわや書店二階の喫茶店を探した。
お互いを知らない二人が同じ時代の盛岡に共通の思い出の場所があるって、いい話だね。
喫茶店「オンディーヌ」、店内に入ると昔懐かしい純喫茶の静かな雰囲気に感動した。
ブレンドコーヒーの深くても後を残さない優しい味がいい。味覚音痴ですが。
この界隈でのガン先輩とキクちゃんのそれぞれの思い出話が、もう愉快で愉快で!
静かな雰囲気に気遣いはしたつもりでも、ジジイとババアたちのお喋りですから。
キクちゃんと店のオーナーの息子さんとの50年ぶりの再会も素敵でしたね。
盛岡組はオサムだけと聞いていたけど、「いかり」には酒席が六つ・・・あと一人はフク君。
ホヤ酢の物、カマス塩焼き、旬のタケノコ、カツオ刺し、カキフライ、そして「菊の司」
「いかり」の味を堪能しながら交わした楽しいお話は、今回も遠く記憶の彼方、残念。
ボク等の思い出話に10歳若いフク君が付いてこられるように、ボクが所々解説する。
ヤスとキクちゃんがニヤニヤしながらその様子を見ている・・・なんだよ、それ!
キクちゃんは橋本聖子に似ていると言ったら、ヤスが「俺は・・・に似ている」に吹き出した。
・・・が思い出せない。ボクは?とキクちゃんに尋ねると、宮沢賢治だってさ。
夕方5時で始まった「いかり」を出たのは(画像データによると)9時を過ぎていた。
フク君と別れたあと、オサムに言われるがまま、開運橋を渡った。
開運橋と旭橋の間の右岸沿いに小洒落た居酒屋群が出来たのは知っていたけど、初めて来た。
レモン・サワーを二杯飲んだことまでは覚えているけど、何を食ったか記憶がない。
北上川の川風が心地よかったことと、意外に静かな環境だったという印象はあります。
くいしん坊のカウンターに空徳利並べて飲んでたボクが、洒落たテラスでレモン・サワーかあ。
今の盛岡を楽しみつつ、ボクの盛岡はぼやけはじめたボクの遠い記憶の中に残るだけだね。
行きたい街世界第二位の騒ぎに、そーっとしておいて欲しいなあとヤスがつぶやいた。
正直、ボクも同じ気持ちなんだ・・・、ボク等の居場所がなくなるようでさあ。
翌朝、コンビニのコーヒーを片手に開運橋に立ち、岩手山と対峙した。
昨日のことの記憶が断片的に脳裏によみがえってきた・・・妙な気分だね。
「Oさん、いつまでも元気でいてくださいね。」
念を押すようにガン先輩に話していたキクちゃんの言葉が、ボクの心にも響くよ。
岩手山だけは、いつになっても変わんないね。
受験で盛岡駅に下り、開運橋から見た岩手山に圧倒されて、51年の月日が過ぎた。
すべてはそこから始まった縁が、今も繋がっていることに感謝だね。
楽しかった姫神山からもう四年も経つんだね、栗駒山も楽しみにしているよ。
カマさんも来るだろうし、ガン先輩には須川の湯がいいリハビリになると思うしね。
じゃあ、またね。