単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

ひとり観戦

2024-10-13 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

午前7時半の最上川峡。

単車ツーリングで何度も経験した最上地方の濃霧はここから始まります。

 


 

今日は全国的に文句のつけようのない秋晴れだというのにね。

県北部の鮭川村や真室川町の住民の皆さんは、この宿命をどう感じてるんでしょう。

日本列島の表と裏ほどの範囲ならともかく、ほんの数十キロ離れた同じ県内の話だからね。

 


 

国道13号、数キロ先は秋田県というJR及位駅辺りで濃霧を脱した。

単車だったらメットのシールドはもちろん、全身じとーっと濡れ鼠状態になっていたね。

まだ単車への思いはあるけど、なんだかんだ言っても四輪は楽だよ。

 


 

秋田県雄勝町(ホントは湯沢市)の「道の駅おがち」

午前9時前なのに駐車場はほぼ満車、地元の食に関するイベントもあるんでしょうね。

まさに秋の行楽シーズンど真ん中って感じですが、ボクだけは外野席で見ている感じがする。

 


 

十文字町の国道342号からこの先国道347号に乗り換え、奥羽山脈を越える。

気を引き締めて行こう、ボクだけ注意しても相手から貰う事故が起こり得る道だからね。

 


 

奥羽山脈のど真ん中、秋田岩手の県境あたりから秋田県側を振り返ってみた。

センターラインこそ引かれていますが、視距の短い狭隘なワインデング・ロード。

秋田県側は比較的走行しやすく感じました。

 


 

県境の大森トンネルを抜け岩手県に入ると、記憶に残る景観が広がっていました。

たぶん昔、単車で通った時、ここで単車を停めて一枚撮った記憶があります。

非日常的な風景を撮りたくて駐停車を繰り返すのですが、四輪の駐車は二輪ほど楽じゃない。

 


 

頂上付近が雲で隠れていますが、覚えのある特徴的な山容が見えてきた。

たぶん焼石岳と姥石平だと思います。

今、ボクはこんな感じで見ているんだと思います。

 


 

紅葉には少し早かったようですが、昼近くになったら急に交通量が増えだした。

こんな道路状況ですから、特に単車が現れた時は緊張しますね。

ワインディング・ロードを前にすると血が騒ぐというライダーさん、結構いますから。

 


 

見えてきましたねえ、胆沢ダム・・・・やっぱ、デカいわ!!

ダム湖の底に既存の石淵ダムを完全に飲み込んでしまうんだから、信じらんないよ。

 


 

ダム湖の名称が「奥州湖」であることを今日初めて知りました。

人工的とはいえ自然景観の美しさと長大な構造物を造り上げた人知の力に感動を覚えます。

 


 

ダム湖に流れ込む支流のひとつ、ここを遡ればその先は焼石岳かな。

紅葉の盛りだったら、どんな景観を魅せてくれたんでしょう。

 


 

胆沢ダムは「ロック・フィル」だったのかあ・・・あっそうか、初めて観るんだ。

以前この道を通った時は、何か鉱石の広大な露天掘りの現場みたいだったもんね。

このところ毎週見ている寒河江ダムと同じ形式ですが、笑ってまうほど規模が違いすぎる。

 


 

ダム躯体のデカさは、ダム下流の胆沢川との高度差からも解ります。

後から調べたら、堤体の高さは約130mだとさ。

 


 

このグランドの景色を見たら、色々迷ったけどやっぱり来て良かったと実感した。

そこに後輩フクシ君が現れてビックリ!仙台との定期戦だと思っていたら、「それは明日」

盛岡工高の全国制覇は二回だとか世間話の後、大会役員でもある彼はグランドへ下りて行った。

 


 

母校岩手大vs福島大、試合結果は大味な岩手大の一方的な完封勝利で終わった。

福島大のファーストタックルに当たり勝った岩手大に「今日はイケる!」と思わせたからね。

今日の福島大は、格上チームと対戦した時の岩手大学の様子と全く一緒。

ラグビーと出会った頃を思い出しながら、終始、福島大に感情移入しながら観ていました。

 


 

それにしても母校の新しいジャージには、未だに ”ナニ?これ“ 感が消えない。

「OBはみんな怒ってるよ」ってフクシ君も現役に話したことがあると言っていたけど。

ボク等の時代の畳一丈ほどもあるアカベコの部旗も最近見ないね・・・あったあ!!

アシスタントレフリーが掲げるタッチジャッジ用の旗、まさしく部旗の柄じゃね。

 


 

とうとう「ひとり観戦」になっちゃったよ・・・それでも来てよかったとは思っていますが。

この歳になって、ここにひとりで立っていることが、夢の様なとても不思議な感じがしてきた。

今回はなかなか都合が合わなかったりしたけど、懲りずにまた声掛けするからね。

 


 

久し振りに勝った試合を観てきました。

あの時代の仲間と再びボールを追いかけたいという気持ち、まだ残っています。

この歳になっても岩手の地に来られるのは、先輩のおかげだととても感謝しています。


縫工筋

2024-06-02 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

岩手県西和賀町を流れる和賀川に建設された湯田ダムによって生まれた「ゆだ錦秋湖」

山峡に沿って通る国道107号は土砂崩れによる通行止めがこれまでも何度もありました。

湖面に架かる橋は、災害復旧工事に伴う迂回路となっている仮設の橋です。

 


 

現在、恒久対策としてトンネル建設の真っ最中のようです。

当然トンネルの完成後は撤去されますが、仮橋とは思えない美しい姿に思わず感動!

 


 

岩手不惑と秋田不惑の定期戦が行われる北上市の総合運動公園。

調子こいて、ボクも来ちゃいました。

ホントに調子こいていましたね。

 


 

どこのグランドか探すため広い会場を端から端まで歩いて・・・あれだな。

なんとなく、雰囲気がそんなんですよ。

 


 

素晴らしい芝だなあ!・・・いや、深すぎません?

ふかふかしすぎてスパイクの爪も引っかかるし、正直、走りにくい。

 


 

久しぶりに山内先生にもお会いできたし、秋田にはアネもいた。

少し遅れて姿を見せたダル先輩(みなさんはテッさんと呼んでいた)にもお会いできた。

みなさんのラグビーへの熱い気迫には圧倒されっぱなしだった。

 


 

調べたら縫工筋といって、股関節の外転・外旋・内旋に関わる筋肉だそうです。

まさにその時の写真です、対面の切り返しに合わせ、左から右に体をひねった瞬間です。

こんな個所を痛めたのは初めてです、ガッカリ。

自分の筋肉が自分の動きを許容できない、両のアキレス腱もパンパンに腫れていました。

潮時の判断は個々人様々ですが、ボクは自分の潮時を見逃していたのかもね。


ビッグ・ネーム

2024-05-31 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

練習用ジャージを購入しよう探してみたんですが・・・、もうなくなっているのかなあ。

現行のジャージ・スタイルは承知していましたが、ボクが欲しいのはこれじゃない。

ラグビージャージの特徴と言ってもいい、「襟」の付いた綿100%の長袖がいいのにね。

 


 

6/2の日曜、北上市での岩手不惑さんと秋田不惑さんの試合に、ボクも参加させて頂きます。

「先輩思いの後輩」さんの計らいで、岩手不惑チームの末席に加えて頂きました。

岩手不惑(当時は盛岡不惑)は、ご当人が想像できないほどボクにはビッグ・ネーム。

大沢先生はじめ安保先輩等、当時の岩手県ラグビーをけん引していた方々のお顔が浮かびます。

ボクごときが・・・の思いがありとても悩みましたが、わくわく感が勝りました。

会場は24年前、大沢先生の退官記念に東北学院大OBと初めて親善試合をしたグランドです。

ヤス君、アネに同行して君も来てみないかい?


同じ釜の飯を食った先輩後輩(2/2)賢治先輩と二度会った朝

2024-05-25 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

三週間前のここ開運橋から見た岩手山の印象が今朝も尾を引きます。

やっぱり、窮屈そう。

 


 

いつも朝の珈琲を目当てにコンビニへ向かうところ、今朝は進路を変えてみた。

旭橋の袂から北上川沿い伸びる材木町通りを川を遡るようにぶらぶら歩く。

もう珈琲はいいや。

 


 

材木町通りのコミュニティ道路事業は、ボクの住む町でも話題になりました。

車が走りにくいように線形に変化をもたせる発想が珍しかったんでしょうね。

商店街活性化のため、ボクの町からも関係者が視察に訪れたことがあるはずです。

 


 

通りには「いーはとーぶアベニュー」という名前が付けられているようです。

宮沢賢治さんも一服していますし、愛用していたチェロも置かれています。

「注文の多い料理店」の出版に関わった光原社の喫茶店もあり、とにかくここは賢治さん通り。

 


 

材木町通りを北に抜けるとそこは夕顔瀬橋の袂。

盛岡最後の一年間、大学の行き帰りに毎日(かな?)渡った夕顔瀬橋。

今思うと、ボクの一番身近にあった橋。

 


 

裾野を左右にゆっくり伸ばした岩手山はここまで遡らないと拝めません。

夕川瀬橋から見る岩手山は、ボクがこの橋を渡った頃の姿と変わっていませんね。

 


 

去年、夕川瀬橋に立った時、興味をひかれた川沿いに伸びるこの小道を歩いてみよう。

一度も歩いたことのない道に、何とも言えない風情を感じてしまうもんだから。

 


 

当時なら岩大生が暮らす下宿屋があったような昭和を思い出す雰囲気があります。

今の学生さんには信じられないくらい、ボク等の住環境は質素でしたから。

 


 

えっ! あの「鹿島」か? と二度見しましたが、国内最大手のあの鹿島建設でした。

何故あの鹿島がここに400坪ほどの空き地を・・・? それを説明する看板がありました。

明治二十年代、一関~盛岡間の鉄道敷設工事を請負った当時の鹿島組の宿舎跡地のようです。

ひとつの疑問は解けたけど、その後100年以上持ち続ける理由って何??。

 


 

初めての道を歩けば、何かしら興味深い新しい事実を知るもんですね。

多分、西下台の岩大構内に出るはずなんですが、なかなか近くまで行けませんなあ。

 


 

結局、腰の治療に毎日のように通った高松病院のある舘坂橋の通りまで来てしまった。

この通りの緩い坂を上がった途中で、覚えのある「岩手大学自然観察園」の看板と再会。

当時、看板の前を通るたびに躊躇していましたが、今日は入るしかないでしょう。

 


 

ずいぶん垢抜けたアプローチだなあ・・・我が農学部の植物園とは違う?

教育学部に帰属する園内を通り抜けることに、当時は躊躇がありましたね。

関係ないよそ者が他者の領域に入り込むような、そういう遠慮があったんでしょうね。

 


 

鬱蒼と生い茂る緑の遠くにポツンと置かれた礎石の様なもの・・・何だあ?

 


 

ああ・・・観たことあるなあ、この写真。

寝そべった人の後ろ、左から三人目が今日二度目の宮沢賢治さん。

  「盛岡高等農林学校に来ましたならば まず標本室と農地実習とを

  観せてから植物園で苺でも御馳走しようではありませんか。  宮澤賢治」

大正五年 五月  当自然植物園(当時の植物園)で撮影 とあります・・・108年前の五月です。 

 


 

鬱蒼と生い茂った草木のエリアはとても心落ち着きましたが、散策路は短かったなあ。

自然観察園を抜けると「岩手大学芸術棟」と銘打つ建物があらわれた。

ボク等の時代にあった「特美=特設美術課」の学び舎なんでしょうか。

 


 

当時の特美にボクの高校の一学年先輩の女子学生がいました。

特美の学生はそれと分かる独特の雰囲気を持った人が多く、彼女もそうだったかなあ。

今も彼女は雫石にアトリエを構え活躍されているという話を聞きます。

 


 

おそらく、教育学部内をこんなにのんびり歩いたことなんて、なかったと思う。

工学部もそうでしたが他の学部にいく用事なんてまずなかったし、なんか入りづらいんだよね。

これもみな、岩手大学のキャンパスがあまりに広大だからだよ、当時は未整備だったしね。

 


 

早朝のラグビー場に多くの学生が・・・そう、ラグビー部員なわけがない。

後輩には失礼な言い方だったかな、でも、去年の内容じゃあ、そのぐらい頑張ってもいいぜ。

ラクロスとかいう競技の学生でしたが、男女合わせた部員数は随分多かったなあ。

 


 

カマさん、「がんとこ」はここ、学食の隣にあったんだよ。

カマさんは「がんとこ」の意味どころか、床屋があったことすら知らなかった。

ボクは一年の時、ここで坊主頭にして以来ずーっと「がんとこ」、安さが一番だったよ。

 


 

早朝、まだ7時前の爽やかさ空気がとても気持ちがいいです。

多分、日課にされているんでしょうね、朝の散歩を楽しんでいる市民の方が多くいます。

ボクが学生の頃は、整地されていない区画が至る所にあったし・・・隔世の感があります。

 


 

やっぱり農学部内に入ると、他のエリアには感じないちょっと重い感情が生まれてきます。

たぶん、もっと・・・という、後悔の念があるからなんでしょうね。

こんなに素晴らしい環境があったのにね・・・生かすも殺すもオメエー次第だったんだよ!

 


 

入学するときは、きちんと「表」から入って来たんだけどね。

学業もそしてラグビーも、何一つ及第点を取らずして、こっそり抜け出てきた思いがします。

五十年を過ぎようとしても、何も言わず迎え入れてもらえることは、とてもありがたいよ。

落第分を取り戻すつもりで一回でも多く訪れたいって、この頃そう思うようになったんだ。


同じ釜の飯を食った先輩後輩(1/2) 一関から盛岡へ

2024-05-24 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

遠くに霞む栗駒山。

今月二度目となる岩手入りは、まず一関から。

 


 

コン先輩んちにお邪魔する前に、「セプターの丘」に寄った。

先日のOB戦には、いつになく赤パン組が多く集まり、楽しかったですよ。

同年代のOBが集まるチームの誕生をとても楽しみにされていましたもんね。

 


 

こんにちわーーです!

真柴珈琲をいただきながら、仙台から来るガン先輩とカマさんを待ちます。

 


 

立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花・・・

「どんな女性?」と訊くキクちゃんに、吉永小百合かなと言ったら、「古っ!」はねえよ。

八千草薫って答えるよりは、まだ若いだろ。

 


 

十一時を過ぎて仙台組が到着、美味しい昼食を御馳走になりながら、わいわいがやがや・・・

すっかり腰が落ち着いた頃に、今回は盛岡に直行するという秋田のヤスから電話が入った。

昨日ヤスに、三時頃に盛岡の喫茶店にいるからと伝えていたのに、「もう着いた」だとさ。

 


 

ヤスを待たせちゃいけないと、みんなでガン先輩の車に乗り込み盛岡へ向かう。

ガンコウ(岩手高校)んとこで拾うから待っててとヤスに言ったら、「それ、何処?」かよ!

ガン先輩もカマさんも「ガンコウって何処だっけ?」には、みなさんホントに盛岡にいた人?

「一度、味を知りたい」とキクちゃんが言う上田通りの Nagasawa COFFEE を訪ねた。

 


 

あの事以来、盛岡の街とともに市内に点在する個性豊かな喫茶店が注目されています。

ボクは喫茶店とは縁遠いけど、珈琲好きのキクちゃんからすれば「盛岡は昔からそうだよ」

ボクは深煎り、みなさんは深煎り・中煎りのブレンドを味わう・・・皆さんの評価は如何?

 


 

今回もみんなの宿は開運橋近くのホテルに取った。

ネットで価格の安い順で探すと比較的早く出てくるし、「いかり」にも近いしね。

「いかり」の段取りをしたオサムからは五時半と聞いてるけど、喉の渇きは抑えられない。

 


 

一時間前どころか、「準備中」の札が掛けられている扉を開けて、「こんちわーー!」

「いかり」のジュンちゃんと、ガン先輩キクちゃんとの昔からの関係性が頼りです。

ガン・コン先輩の後ろについて入った「食いしん坊」時代と変わんないね。

ジュンちゃんへのお土産を持参するところなんかは、常識ある大人にはなったけど。

 


 

仕事で遅れるオサム抜きに早速「生」で乾杯! まだ四時半だぜ・・・長い夜になりそう。

やっぱりガン先輩の周りには面白い話が未だにたくさん転がっている。

今までの先輩イメージが壊れるほどの真面目人間かと思えば、とんでもなくヤバかったり。

カマさんからは「練習は週一でしたっけ?」とイジられていたけど、実は凄い人だったんだね。

 


 

ボクは「生」一杯飲んで熱燗の「菊の司」に切り替え、二杯空けたガン先輩にもお酌した。

一年一回、「いかり」のジュンちゃんの下に集まり、あの時代を思い出しながら語り合う。

カマさんが「何で Oka さん、途中、いなくなったの?」って、グッサっと聞いてきたけどさ。

聞きたい? その理由には表と裏があるんだよ、表だったら教えるけど・・・

 


 

思い出を懐かしむボク等を懐古趣味だと揶揄する向きもあるし、そう思うこともあった。

言いたけりゃあ言えよ。ボク等には思い返せる時代とその時代の街と人とラグビーがあるんだ。

同じ話をして楽しいかだあ? 話の中身より話しているこの時間と空間に意味があるんだよ。

翌日キクちゃんの話だと、日本酒の二人は結構イッチャっていたとか・・・全然、覚えてない。

 


 

どうやら八時半前には「お開き」していたようですね。

といっても四時間日本酒を飲みっぱなしだから、いつになくボクは限界突破しています。

その割に「夜の開運橋」は大した手ブレもせずしっかり撮れていますね、覚えていませんが。

 


 

橋を渡った先の正面の灯りはJR盛岡駅です。

あとでヤスに訊いたら、一度川の対岸へ行ったけど、オサムが嫌がって戻って来たんだとか。

行こうとした界隈で何か面白くない思いでもしたのかな、知らんけど。

 


 

結局、宿にしているホテルの隣のビルの焼き肉屋に入ったらしい。

ボクはもう心身ともに限界に来ていたと思うけど、ビール組には余力があったんですね。

焼肉は別腹なんですか・・・この若さは大したものだと思います。

 


 

オレはいらないと言ったガン先輩を除いて、ボク等は冷麺を注文したんだよね。

で、出てきた冷麺を見て心変わりした先輩に直属の後輩であるボクは「先輩、どうぞ!」

先輩、この一杯と引き換えに、明日も一関まで乗っけていってくださいね。


2024ラグビー部OB会(3/3) 黒湯に咲く菊咲一輪草

2024-05-06 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

盛岡の朝、いつものように開運橋からの岩手山と対峙する。

ここから見る岩手山への懐かしさや心安らぐ思いが、見るたびに薄まっていくのに気づいた。

何故だろう・・・あっ!そうかあ、北上川の両岸に建つ高層階のビルのせいだ!!

受験時に初めて見た岩手山はこんなに小さくなかったし、こんなに窮屈そうじゃなかった。

 


 

もはやあの時見た岩手山は、ボクの心象風景の中にしか残っていないんだね。

感傷的になった朝の気分を少し元気づけてくれる事実に、偶然、出くわした。

開運橋の銘板に刻まれた「昭和二十八年竣工」が、見ろ!とばかりに視界に飛び込んできた。

同い年じゃねえか! 何で五十二年間も黙っていたんだよ、水くせえなあ。

 


 

開運橋を背に菜園通りに向かう・・・朝の珈琲はこの通りのコンビニで購入しよう。

「菜園通り」を初めて耳にしたのは盛岡に来てすぐの頃、商店街を紹介するラジオCMでした。

南部家の菜園があったという何のひねりもない由来ですが、ボクには妙に艶っぽく聞こえた。

場所も知らず歩いたこともない路に色んな空想が混じり、憧れにも似た思いがあったよね。

 


 

城の手前まで行かないとコンビニはないと知り、道を折れた先で古風な建物に遭遇した。

個人住宅のようでもあり、休憩スポットを併設しているから公共物のようでもある。

何より、何度も通ったことがあるはずなのに、全く気付かなかったことに少々驚いた。

 


 

隣接する郵便局も、市街地なのにロッジ風?と思わないでもないけど、凝った意匠だ。

ここにしよう・・・この先のコンビニで珈琲とパンを購入して踵を返し、ここで一服した。

ヤスに迎えに行く時間をメールし、九時過ぎにヤスの泊るホテルの前に車を横づけた。

 


 

ヤスが同乗するときの帰路は、温泉に立ち寄ることが多い。

特にボク一人ではなかなか訪ねることができない乳頭温泉郷は、とても楽しみなんです。

田沢湖の手前を右に折れ山深く入っていくと、わあ~~お!!と絶叫もんの木漏れ日の道。

 


 

雪の重みによる幹曲がりブナの姿に冬の自然の厳しさを見るようです。

初めて見るような新緑の美しさ・・・この時季に連れてきてもらうのは初めてかも。

仙岩峠を越える直前、国見温泉に寄ろうとしたけど、やっぱ、乳頭温泉が正解だったね。

 


 

木漏れ日の道の端に、薄紫色したとても可憐な花の小さな群生を見つけた。

もちろんボクにその名が分かるはずもなく、ヤスに訊いたけど首を振るだけ。

すぐ近くで小さな渓流にカメラを構えている見るからに山に詳しそうな年配のご夫婦がいた。

ここは思い切って、「すいませーーん! この花の名前わかりますかあ?」

ボクの指さす物が何か分かるはずもない場所にいたのに「菊咲一輪草だと思いま~す」の即答。

答えたのは奥サン・・・謙虚深く教えてくれるお人柄がこの花のようだぜ、かっこええなあ。

 


 

今回ヤスが案内してくれたのは、乳頭温泉郷の中でも奥の方にある「黒湯温泉」

周囲をところどころ硫黄の色した山に囲まれている環境は、あの玉川温泉を思わせる。

八幡平ふけの湯でも見た、地表から温泉が噴き出ているところもあるし、まさに秘湯だね。

 


 

駐車場から温泉までの道端に、ヤスが気に掛けていた「孫六温泉」への案内を見つけた。

近くを流れる沢や渓流沿いに砂防工事が施され、ヤスの知る景観とはまるで変ったみたい。

本当は孫六温泉に行きたかったのかな・・・是非、この次は「孫六」で。

 


 

うわあーーー! お湯っこも周囲の雰囲気も、もう最高だよ。

砂防堰堤等の外観がまだ周囲の景観に馴染んでいないかもしんないけど・・・

これ等も、温泉が対峙する自然環境の厳しさを示すものだとして見れば、これも一興だぜ。

 


 

あっ! チビ! ここで何してる、いや、あの秋田犬の「わさお」かあ?

ボクが腰かけて濡れた長椅子の座面から、ワンちゃんの顔が浮かび上がった!!

ヤスーー! 見てみい、これは絶対、バズるぜえ!!

 


 

今回の再会は、とても楽しかったなあ・・・

再会という言葉を持ち出すほどみんなとはご無沙汰じゃないけど、今回は特別いがったなあ。

思うような動きが出来なくても、ボク等はグランドの上で会うのが一番だよ。

オサム君、同じグランド上でも、白線の内側はもっと楽しいからさあ、来年は・・・だぞ。

 


 

 

大曲でヤスを降ろし、思い出に耽りながら家まであと一時間というところで・・・、あれ?

ヤス君、君の電話にも驚いたけど、実はボクはボクでまたやっちまっていたんだよ。

カラスの行水のヤスが悪いんだぜ。残されたボクは焦って何かと急いじゃうんだよね。

一度はもういいやって諦めたんだけど、「黒湯」の御主人?がとても親切で助かったよ。

それから、ヤス君、ボクは全く大丈夫だから、気にしなくていいぜ・・・またね。


2024ラグビー部OB会(2/3) 和食いかり

2024-05-05 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

ボク等が試合会場を辞したのは午後2時過ぎ、近くの温泉をあれこれ探した。

繋、鶯宿、玄武、ユートランド姫神も考えたけど、網張温泉館が近いし一番無難だね。

 


 

滝沢総合公園から向かうのは初めてだけど、岩手山目指して走ればなんとか行けるよ。

途中、西根の方に向かってんじゃねえ? 太陽がこっちだからさあ・・・あっ、出た。

小岩井農場から登ってくる道に出てまずは安心・・・脳内ナビと風景が頼りのアナログ旅です。

 


 

温泉館は GoogleMap では平野部のように見えるけど、標高700mを越える高原にあります。

若い頃はよく訪れた網張スキー場や国民休暇村のすぐ傍で、当時はまだありませんでした。

硫黄の香りがほんのりする完全かけ流しのこの環境で600円は超お得。※2014に撮った画像です

 


 

場違いな黄色のパンツ履いたあぶないジジイ、何してんだあ?

ヤスと二人で温泉に入ると、必ずと言っていいほどヤスが早く上がる。

ボクが長湯なわけじゃない、ヤスは温泉好きなわりに入浴時間が短すぎるんだよ。

 


 

今回のボク等の宿は、GW直前の宿探しで取れただけいいけど、別々になった。

ヤスを老舗の小田島旅館(ホテル)に送り、ボクはいつものパールシティホテル。

そのあとは、いつものボク等の隠れ家へ。※「隠れ家」と呼ぶのはボクだけ、もちろんここは人気の店です

 


 

早めに行ってゆっくりカウンターで飲んでようぜ・・・三人で示し合わせていたんです。

行ってみたら店はもう大忙しで、カウンターに席の確保が出来なかった。

今日は休みだったけどボク等のために開けたところ、そこに他の客さんもどっと来たとか。

先にビールでも飲んでいようぜ!!の当然の流れに、律儀に掉さす後輩がいた。

「よくないんじゃないですか・・・」ボク等より先に来ていたアネが言いづらそうに言った。

まあ、現役時代はそうだったけどさあ・・・とアネを引きずり込んで、乾杯~~~!!

 


 

五時半には全員集合、フク君が若い(と言っても40代?)後輩二人も連れてきてくれた。

壁には五番右ロックのジャージ、アネの律儀なところだね(ボクもパンツは持って来た)

ボク等と旧知の盛工OBのNさんが高校時代の監督だったという後輩の話がおもろかったね。

うん、うん、そうかあ、大学ではフクが監督かあ・・・三人の先輩OBは優しく聞いてあげた。

二人の若い後輩がボク等に両手で徳利を持って酒を注いでくれたのには、ちょっとビックリ。

ボク等歳喰ったなあ、気を使わせてるなあ、今はモラハラかな・・・色んな思いがした。

 


 

オサムが京都から長駆1400キロを車で来たアライに食わせたいと彼のために山菜を頼んだ。

「アライ、美味しいから食ってみー!」 ひとつ下の後輩への思いやりがオサムらしいね。

9年前もそうだったけど、今回のOB戦でもアライが一番楽しそうだったもんね。

 


 

お開きはジュンちゃんも入って、みんなで記念撮影。

みんながいい顔している瞬間をオサムの恋人ショウコちゃんが見事に撮った。

画像記録によるとお開きは九時頃、みんなお行儀良くなったね。

キクちゃん、ジュンちゃんが「会いたかった」ってさ。

 


 

ヤスとオサムとボクの高齢者OB組がここを歩いているということは「食道園」でしょう。

ボク等には盛岡冷麺といえば「食道園」、当時は盛岡という冠なんか付いていなかったよね。

ところが「食道園」の冷麺が食えなかった・・・満員だったんだけ? 閉まっていたんだけ?

 


 

あとで Map で調べてみると、食道園の近くにある大通りの「お店」に入店したんだね。

翌日、ヤスに「昨日の冷麺も美味しかったけど何処だった?」 と尋ねたら微妙な表情をする。

確かに「食道園」とは違っていたけど、あっさりした上品な味がしたような気もするけどね。

 


 

とにかく中華そばや生蕎麦もそうだけど、麺類の好みは「十人十色」だからね。

でも、このブログで何度も紹介した「ちどりの中華そば」は、ヤスも美味しかったってさ。

二人とどこで別れたのか、ボクは午後10時過ぎの大通りを駅方向に向かって歩いています。


2024ラグビー部OB会(1/3) サインは「アライ」

2024-05-04 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

昨年同様、大曲までは電車で来るヤスをJR大曲駅で待つことにした。

車の渋滞を危惧し早めに出発したけど、電車の到着時刻の一時間前には到着。

昨夜の寝不足を取り戻そうと、車中、仮眠を取っていたら、ん? 地震かあ?

三十分前なのに窓越しにヤスの顔が・・・明日の時間的自由を考えて車で来たんだって。

 


 

仙岩峠を越え岩手県へ、この先の渋滞を予想し雫石の平野部に入ると旧道へ逃げた。

途中、葛根田橋からの眺望をヤスに紹介、あれは駒ケ岳だし、尾根続きの平らのところは・・・?

ふたりで、葛根田川に架かる鉄橋を渡る秋田新幹線「こまち」を待ったけど、来ねえな。

  ※白い尾根が気になり、GoogleMap と見比べてみたら、こんな感じかな

 


 

いいなあ! やっぱり、いいなあ・・・岩手山はホントにいいなあ!!

岩手山が見えだしてから、異口同音、何度も何度も二人で感嘆の声を上げ続けていた。

同じ時代に岩手山の見える街で暮らし、五十年後も肩並べて岩手山を見上げて感動している。

それなりに生きてきて思うけど、これって幾つかの幸運が重なって生まれた奇跡的なこと。

 


 

再び国道46号の交差点に出てみると、盛岡方面への渋滞はそれほどじゃない、どうする?

恐いのはこの先、小岩井農場への入り口だぜ・・・、交差点を渡り雫石町の町道を走る。

雫石町から滝沢市に入り、ちょっと垢抜けた意匠のJR小岩井駅をおそらく初めて見た。

雫石町や滝沢市には、いかにも「ここが良くて移住しました」的な垢抜けた住宅が散見する。

 


 

わあーーぉ!! 久しぶりに見る眩しいほどの緑の芝生にかなり興奮しました。

選手がボールを追いかける様子を遠くに見る、この試合会場独特の雰囲気も堪んねえーな!

やっぱりそうかあ・・・期待していた岩手山は頭をちょっと覗かせているだけでした。

 


 

 

おお! アライ、久しぶりだなあ!!

相変わらずデカい手と握手・・・でもボクとの学年差でいくと、黄色には数年早くねえ?

ボクが小さいのかアライが特別デカいのか、ラグビーは柔道越えの究極の無差別級だぜ。

訊いたことないけど、ボクとアライのラグビー観も、こんだけ体格差があれば別もんだろうな。

 


 

話に聞いていた通り、いつになく40歳を超えたOBが多く集まっていますね、

しかも赤パン(60代)がこんなに目立つOBチームなんて、初めてじゃないかなあ。

願わくは、ガン・コン両先輩とこの時季田んぼが忙しいカマさんがいたら、もう最高!!

 


 

年配OBに両ロックをこなせるメンバーがいなかったので、若手(でも40代?)をつけた。

フォワードの各ポジションは専門性が強く、職人っぽいところがあるんです。

ボク等の年代になっても率先して一番ハードな第一列をこなすお三方は、ホントに凄い。

 


 

※地元岩手めんこいテレビのニュース番組の映像を二枚ほど"スクショ"で拝借しました、お許しを。

さあ、キックオフだあ! 相手は名門盛岡工高OBチーム・・・あれ、ヤスが映ってるぜ。

アライはボクの現役時代のポジションだったナンバー8、ボクは左フランカーについた。

二人で顔を見合わせながら「初めてかなあ? アライ(Okaさん)と同じグランドに立つのは」

ボク等の仲間で桜のジャージに袖を通した(しかも学生時代)のは彼だけなんです。

 


 

何処であろうがマイボールスクラムのたび、SHのカンちゃんからのサインは「アライ」

アライもまんざらじゃないからこうなる・・・フォローしているボク、見えるよねえ、約束は?

試合前、「アライに付いていくから、"ごっつぁんパス" 頼むよ」って言っておいたのになあ。

 


 

試合前、盛工OBチームに同校の現役女子部員三名が加わる話を聞いていました。

まあ、手加減は必要だろうし、まともなタックルにはいけねえなと思いながらキック・オフ。

バックスの彼女たちにいいように走られて、繋がれて・・・いいセンスしてんじゃん。

孫の様な娘っ子にタックルは出来ないので、両肩をホールドしたら「セクハラじゃね?」

オサム、それは違うよ! そんなこと気にも留めないほど、彼女たちはいい根性しているぜ。

 


 

盛工OBのみなさんと試合後の記念撮影をする日が来るなんてねえ・・・嬉しいね。

今日のメンバーでは、ボクが最年長のよう・・・いや、盛工のNさんも同い年だよね。

日頃走ってはいても早々に心臓がバクバク、別の練習方法を考えないとだめだなあ。

かといって、アキレス腱が持たないし・・・難しいやね。

 


 

「来年も来てください」と言う後輩に、来年どころか明日どうなるかわかんない歳なんだぜ。

そう答えたら、同い年の盛工OBのNさんが「Oka さん、その通り!」だって。

 


 

ラグビーは続けたいけど、同じ時代の同じ釜の飯を食った仲間がいないんじゃあ、面白くない。

試合後、オサムに、今日ぐらいの相手だったらやれるだろ?と言ったら、「んだなあ」

「昨日、足くじいて」って言うけど、毎年の恒例行事みたいじゃねえかあ? オサム君。

来年こそ・・・だぞ! まあ、その辺の話は、この後「いかり」でじっくりしようぜ。


TAKIZAWAフレンドリーカップ2024

2024-05-02 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

ワァーーオ! 紅い路だよ・・・いいねえ、またこの時季がきたんだね。

調べて見たら、「桜蕊降る」という晩春の季語にもある風情のある景色なんですね。

難しい漢字は「しべ」と読むんだそうです、雄しべ雌しべの「しべ」かな。

 


 

   桜蘂(しべ)降る ハシビロコウ瞬(まばた)く

TV番組プレパトで、夏井先生が絶賛した梅沢冨美男名人の句は覚えていますね。

さあ、ボクも季節の移ろいを味わいながら楽しく走りましょう。

 


 

近くの小学校の子供達だね・・・体がデカいねえ、上級生だろうな。

そうか、今、校舎が建て替え中でグランド使えないんだね。

そういえば、昨日作業車が入ってきれいに芝を刈りこんでいたなあ。

 


 

この連休4日の母校OB戦の会場となる「滝沢総合公園」は初めて行く場所。

経路を調べようと検索していたら、何も知らなかったボクには十分な驚きの事実を知りました。

同日同会場で「TAKIZAWAフレンドリーカップ2024」が開催されるんだね・・・これなの?

更に情報を手繰り寄せると、盛工のツイッターや盛工OBの方のブログにぶち当たった。

 


 

県内だけじゃない、宮城・福島の高校も参加するスゴイ大会じゃねえか・・・

盛工OBの方のブログ記事を読んだあと、当時の色々な思い出がウワーーッ!と蘇ってきた。

入部して数日後、バスセンターに集合し盛工グランドへ・・・突然のボクのデビュー戦だった。

バックスですか? 何も知らないボクにはサッカーのバックスの動きしかイメージがない。

変な動き方をした覚えがあるけど、そんなボクを出す方も出す方だよ。

 


 

相手が同年代の盛岡工高OBチームと知ったら、ガン・コン両先輩はなんて言うだろうな?

オヤジに「高校生相手にいい勝負してどうすんだ!」と言われたような、そうでないような。

当時、全国トップレベルの強さだったからね・・・盛岡工高と黒沢尻工高は。

幸い好天に恵まれそうだし、当時の色んな思い出とともに楽しい一日になりそうだぜ。


ふるさとの山はありがたきかな

2024-04-29 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

今日はジョギングを止めて、ボールを手に赤川堤へ来た。

ひとり、チョン蹴りしたボールを拾い、またチョン蹴りしてまた拾う。

誰もいない左にボールをパスし、転がるボールを拾い、今度は右にパスしてまた拾う。

 


 

ろくにウォーミング・アップもせずにやったからかなあ。

軽いキックでも当たる瞬間は、すべての関節と筋肉に衝撃が走る・・・盛った話じゃないよ。

パスにしても、放ったボールはとんでもない手前で失速し、芝生を転がっていく。

情けねーーなあ、元々、下手の不器用だったけど、遠ざかってしまえば尚更だよね。

 


 

振り返ってみると、五月の連休にみんなとボールを追っかけるのは五年ぶりだった。

へぇーーえ、そんなになるんだ・・・ボク等に五年という年月の経過は大きいよねえ。

パンツの色が変わるのはボクだけじゃないよねえ、きっと。

 


 

今度のグランドは初めて踏むけど、こんなふうに岩手山が見えるところだといいね。

もう五月の連休は行かないことにしていたのに、心が揺れて・・・よかったね。

  ふるさとの山はありがたきかな・・・・・第二のふるさとだけどね。