ささやかなOB会の翌日、朝焼けが残る早朝にホテルの近くを散歩した。
ボクが学生の頃、盛岡駅とその周辺はいつも工事をしていた印象がある。
多分、それは、5、6年後に控えた新幹線開通の関連工事だったんでしょう。
駅西の雫石川周辺は、ボクを「浦島太郎」にしてしまうほどの大変貌ぶり。
朝焼けの空をさえぎるように建っているのは、盛岡駅前タワーズという高層マンション。
垢抜けた空間? 無機質な印象を受けるのは、早朝で人気が少ないからだけではない。
盛岡駅の西側、線路と北上川に挟まれたエリアは、学生時代からあまりなじみがない。
開運橋と明治橋の間に架かる「不来方橋」は、当時はなかった。
唯一、この辺りの思い出といえば、盛岡ガスでの「スス取り掃除」のアルバイト。
二年の夏休み、カン先輩に「暇なら来い!」と言われ、付いて行った。
一番近くにいて、カン先輩の魅力を解らないまま、ボクは盛岡を離れてしまった。
もっと早く先輩の個性を理解できていたら、ボクにとって別の四年間があったと思う。
卒業後、そのことをやっと話せるかなと思い始めた頃、カン先輩の訃報を聞いた。
ビル街の裏、ボクの時代の「盛岡」がまだ踏ん張ってる!?
「菜園通り」という響きに、田舎者のボクはおしゃれで都会的な印象を覚えた。
通りを歩けば、素敵な女性と出会えるような気がしてさ。
駅行きのバスで通り過ぎるだけだったのに、妄想だけが膨らんでいたバカです。
盛岡に暮らした四年間、北上川に架かるいくつかの橋を何度もわたった。
夕顔瀬橋や館坂橋が架け変わり、当時のままの姿を残すのは、開運橋だけになった。
受験生として初めて来た時に渡り、帰省する時に渡り、また盛岡に戻ってきて、渡る。
そして、盛岡を去る時、最後に渡った橋。 開運橋には今でも特別な思いを感じる。
この日の朝、氷点下10度を下まわっていたけど、陽の光はとても優しかった。
街の変貌は激しいけれど、それでも、ボク等の時代が少しだけ残っていた。
自然環境はそこに暮らす人の人間性に何らかの影響を与えるといいますね。
この海を日常の風景として生かされたボクの人間性には、どう影響してるんでしょう。
盛岡からの帰り道って、いつも、こんな気持ちになるんだよ・・・