下宿を新田町に移した盛岡最後の一年間は、この路を歩き、正門からはいった。
その一年がなかったら、この路が、今も印象深く心に残ることはなかったと思う。
もう45年も前のこと。
二月の凍てつく深夜。見上げれば、天を衝く冬木立、満天の星・・・
並木の様相も全く変わり、思い出す風景は、多分に心象風景と化しているのかも。
年が明け、卒業が現実味を帯びるようになり・・・、盛岡を離れたくない。
OBのM先輩に「残ってラグビーをやりたい。」と言うと「バカかあ。さっさと卒業しろ!」
疎外感、劣等感、路の先に何にもなかった、何も描けなかった・・で、今に至るってこと。
正門そばに立つ大木の案内板に、並木の変遷について記されていた。
ボクが見上げた並木は、大正時代に植えられたユリノキとキササゲ。81年に伐採されていた。
正門へのアプローチとして、風情風格とも、ボク等の時代の方が数段上。感じるものが違うよ。
欝蒼とした印象は、以前にも増したような感じがします。
ド素人の言うことだけど、このぐらいの手入れ具合に止めておいた方がいいと思う。
奥に見える小さな建物は、正門を入ってすぐ左側に建つ番所。
正門へのアプローチの土塁の一部とともに、重要文化財なんだと。
土塁もかい。へえーと言うしかない。心して通ればよかった。
温室の存在が、いかにも、農学部付属植物園って感じ。
ボクも相当ダサい田舎もんだったけど、ここだってベンチを置くような雰囲気じゃなかった。
少し垢抜けたぜ。
在学中、一度ぐらい中に入ったことがあったと思うけど、はっきりした記憶がない。
農学部だけでも足を運んだことのないエリアが今もある。キャンパスがとにかく広い。
徳さんの「破砕転圧工法」を駆使した、農学部同窓会の名を冠する北水池。
出来たのはボクの卒業後。時間の経過とともに、周りの風景に馴染んできたように感じた。
あとから色々作り出すより、いっそ一部でもいいから、「自啓寮」を残せばよかったのに。
そうでしょう、賢治さん。
ボクもここの学生だったんだよなあと、今でも思ってしまう。何だろ、この感じ。
勉強嫌いは認める。椅子が痛めていた腰に最悪で、その後の練習が出来なくなるんだ。
授業は欠席しても、グランドには欠かさず行ったよ。単位はぽろぽろ落としたけど。
当時の空気は、植物園の中に一番残っているような気がした。
今度来るときは、ボクもこうした時間が取れるよう、余裕をもって来ることにしようか。
午後三時。夕食にと買い求めるお客さんもあるだろうと来てみたけど、完売だとよ。
連続して何度目だ、フラれたのは。ヤスと来た時は奇跡的だったということか。
白沢せんべいは、その代用品じゃないよ。バイクじゃ割れやすい。慎重にバックにつっ込んだ。
南大橋から望む岩手山の風景は、ボクには新鮮だ。
岩手山と北上川は変わらないけど、盛岡の街並みが変わってきたんだ。
午後四時を過ぎている。
これが最後の岩手山・・・、またなあ。
仙岩の紅葉もゆっくり眺めたかったけど、寒い。一度停めたら、走る気力が減退するようで。
田沢湖辺りで漆黒の闇。走るにつれ体が冷えていく。首筋が固まり、腿の付け根が痛い。
この時季、いつものことだけど、衝動的に足を伸ばしたことを後悔した。
ラグビーワールドカップの熱戦を観ているうち、学生時代の仲間の顔がオーバーラップ。
ラグビーとの出会い、恩師、先輩、仲間との出会い。みんな、岩手がボクにくれたもの。
もう、泣きそうだよ。