秋田県由利本荘市の郊外、県道9号(秋田雄和本荘)線を北進中。
思わずうっとりして幸せな気持ちになる農村の長閑な春の風景。
沿道に何気なく咲いているサクラの素朴な美しさが素敵ですね。
枝垂れサクラでしょうか、バイクを停めてサクラと一緒に記念撮影。
新波橋から望む雄物川の流れは、雪解け水を満々と湛え重量感に溢れています。
協和町まで行けばわかるだろうと、大体の位置を頭に入れてきたのですが・・・・
行きつ戻りつする国道13号線の道端に「物部長穂記念館」の案内を見つけました。
なかなか人に出会えない中、JR峰吉川駅近くの郵便局で道筋を訊き、何とかたどり着いた。
記念館は「まほろばの里 中世の館 唐松城」として整備された公園の奥の方にありました。
学生時代の水理学や水文学の教科書に「物部式」を何度も見ました。
偶然、地図上に「物部長穂記念館」を見つけた時、いつかは・・・と思っていました。
まさか、秋田県のこんな片田舎(すいません)のご出身とは思わなかったものですから。
水理学の追試を4回も受けたボクが敢えてここを訪ねるという大いなるミスマッチが、笑える。
水理学水文学の分野よりも、構造物の耐震性に関するものが多かったのは意外でした。
神童にとってはすべてが専門分野ということ、"赤点野郎"と一緒にすんなっていうこと。
博士がお国の技術官僚だったということを初めて知りました。
大隈重信、西園寺公望が辞令交付者とは恐れ入りましたなあ。
日本近代史の一ページを見ているようだぜ。
久しぶりの「マニングの公式」には、思わず苦笑した。
ずいぶん、お世話になりました。
物部長穂博士は近くの神社が実家だとあったので訪ねてみた。
立派な杉並木の先にあった「唐松神社」
何組かの赤ちゃんを抱いた家族連れやお腹の大きい妊婦さんがお参りするのに遭遇。
安産と子授けの神社としてこの地域に親しまれているんだそうな。
物部長穂博士の生家と記された案内の先に建つ威厳のある建物。
多分これが生家だと思いますが、近づいてみると「社務所」とありました。
行き帰りに走った秋田雄和本荘線沿いを流れる芋川で、面白い景観に出くわした。
100% 自然がつくった景観なんでしょうか・・・、疑いながらよーーく観た。
上流部には明らかに人工物とわかる構造物がある・・・取水のための頭首工でしょうか。
分からないのがこの岩らしきもの、風化した表面は岩そのものなのか、モルタルっぽくもある。
この辺の道路河川に詳しいヤス君に今度会ったら訊いてみようかな。
この頃よく考えるようになったなあと思うことは、いつバイクを降りるかってこと。
そろそろ・・・とは思いつつ、今じゃないだろう的な思考回路は、老いの症状なんでしょう。
自分では決めかねていたボクに、唐松神社の神様が引導を渡してくれたのかもね。
そう、ボクも今がいい潮時だと思います。