この冬初めて雪らしい雪が降ったので、赤川堤の下見に行った。
これからはちょっとした晴れ間だってそう望めるはずもない。
墨絵のような道を一人で走るなんて寂しすぎる。
週二日、いや、きっちり二日は意外に難しい。週一じゃあ、どうしようもないし。
間を取って「四週で六日」。手の届きそうな目標じゃないと・・。
この冬初めて雪らしい雪が降ったので、赤川堤の下見に行った。
これからはちょっとした晴れ間だってそう望めるはずもない。
墨絵のような道を一人で走るなんて寂しすぎる。
週二日、いや、きっちり二日は意外に難しい。週一じゃあ、どうしようもないし。
間を取って「四週で六日」。手の届きそうな目標じゃないと・・。
7:16始発で酒田、秋田と乗り継ぎ、10:45 五能線への乗換駅「東能代」に着く。
何故、本線上に能代駅がないのか。何故、わざわざ東能代で乗り換えねばならないのか。
鉄道がこの地にも伸びてきた文明開化の時代、能代の駅をどこにするか議論があった。
能代は当時から米代川河口の港として、秋田杉をはじめ「水運」で栄えた町。
「丘蒸気」には無関心。むしろ忌み嫌い遠ざけた・・と聞いたことがある。
今回の目的地は、今ではローカル線の代名詞のひとつとなったJR五能線の「あきた白神」。
来るのは三回目。過去はいずれもソロ・ツーのオートバイ。JRで降り立つのは初めてだ。
JRと併走する国道101号は、夕日に染まる荒涼とした原野が広がる「津軽」への道。
思い入れの深い道。 十三湖、下前、権現崎、小泊・・胸キュン聖地へ繋がる、特別の道。
ひとり駅に降り立つボクに、「ハタハタ館、今日は休館日よ。」と声をかけてくれた人がいた。
「わかってます。」とばかり手を振るボク。そこは事前(実は今朝)に確認済み。
ここを最寄り駅とするもうひとつの温泉があるんだよ。
降りた駅は「あきた白神」ですが、この標識によれば青森県に降りたことになる。
ボクの地元でも、鼠ヶ関と新潟県山北町との県境を挟んだ住民同士の「綱引き」がある。
国道から間道を抜け、海岸の方へ下りていきます。もちろん初めての路。
この時季、この地でこんな日本海を眺めてしまうとは・・。嬉しいけど、異常です。
駅から五分ほどで海岸部を走る県道に出た。
目的の温泉はこの直ぐ先にあるはず。
初めての八森いさりび温泉「湯っこランド」。
ここの休館日は昨日の水曜日。玄関には昨日の「水曜休み」の看板が出たまんま。
紛らわしいなあ。 さあ、入ろう。戸を開け・・、ん?「開かない!!」
休館、いや、廃業? マジかよ!!
冗談じゃない、こんな寂しい所で。駅に戻るにしたって、次の電車までは二時間。
海眺めていたいほど傷心してないし。こんな最果て感満載のところに一人残されて。
頭ん中、真っ白。あまりの衝撃に海に身を投げて・・。
いやいや、「安心してください。歩いてますよ。」
電車から見えた「ハタハタ館まで5キロ」の看板を思い出した。たぶん、八森駅あたり。
歩いたって一時間ほどじゃないか。旅の目的を「八森町ダーツの旅」に切り替えた。
第一町人が全く現れない。
海沿いばかり歩いてもつまらないと思い、集落の中に入ってきたけど。
道端の墓地に建つ石碑には「梵字」。
かろうじて「元治二年」の文字が読める。幕末だあ。
東北の各地をぶらぶらしていると、「菅江真澄」によく出会う。
詳しくは知りませんが、江戸時代の旅行家・学者。「みちのく」のあちこちに足跡を残す。
期せずして歩いているこの道は「大間越街道」といって関所もあった古い街道らしい。
まるで、オートバイに乗って撮っている写真のようでしょう。
いやいや、違います。「安心してください。歩いてますよ。」
賑やかそうな町が見えてきた。「あきた白神」からは二つ目の駅あたりだ。
健康のため、ひと駅前で降りて、歩いて通勤する都会のサラリーマンの話を聞くが・・。
「そんなんじゃ、ねーし!!。」
通りを歩いているおばさんに、「この辺にJRの駅ありませんか?」と尋ねた。
「あそこ。商工会と一緒の・・」と言って、正面の建物を指さし、「どこから来たの?」
「温泉が休みで、そこから歩いてきた。」と答えると、「へえ~、いやいや、そりゃあ・・・」
「でも、おばさん、安心してください。歩いてますよ。」
駅舎からホームに上る木造の通路。さすが、秋田杉の産地。
駅舎の壁に「東北の駅百選選定駅」の看板。そんな選定委員会があるとは。
駅を確認したあと、昼食をとるため町の通りに出て店を探してみたけど・・。
町人に食堂を尋ねたら、駅から徒歩10分ほどの海沿いのレストランを教えてくれた。
小奇麗で洒落たレストラン。
若い(ボクよりも)女性二人で切盛りしているようです。
カウンター席の窓越しには、白神駅から歩いてくる間ずーっと見えていた「雄島」。
晴れた昼下がり、海を望む静かなレストラン・・・、とくれば、
♪♪ ソーダ水の中を 貨物船がとおる・・・♪♪ 「海を見ていた午後」ですよねえ。
初めて聴いたのは、山本潤子。しかも生。伴奏は、伊勢正三のアコースティック・ギター。
いかったねえ〜。
麺類でもよかったけど、ここは秋田。比内地鶏の親子丼。800円でした。
高台にある駅舎から見下ろす畑の中にひっそり佇む「椿銀山山神社」。
この神社についてググってみたら、色々、興味深いことが分かった。
♪♪ 秋田名物 八森ハタハタ・・♪♪ 八森は、ハタハタの町だけではなかった。
明治の時代、労働者千人を抱える銀産出量日本一の「発盛鉱山(別名 椿鉱山)」があった。
神社はその鉱山会社が建立したもので、やがて、鉱山の衰退とともに神社も・・・。
世界遺産に認定された産業遺産じゃないけど、ここにも複雑な歴史を刻む明治の痕跡があった。
さあ、もう帰ろう。10分もすれば電車が来ます。ホームには地元のお爺さんとボクだけ。
秋田からは奥羽本線経由で帰ろう。酒田行きを一時間以上待つよりいい。到着時間も一緒。
「あきた白神」で放っぽり出され、一時はどうなることかと思ったけど。
でも、安心してください。とにかくメゲない Okaムラ・・でした。
まだ明けきらない朝、一番電車を待つ駅の灯りを見ていたら、また心がうずいてきた。
駅から歩いていける温泉・・。次は「森岳温泉」に行ってみようかな。
ヤスが「なかなか、良い。」と言っていたし。
その前に行かなきゃならない場所がある。
加齢のせいか、運転免許証更新のたびハラハラ・ドキドキの視力検査。
今日の処は予約だけ。少しでいいから良くなって欲しい。
地元にいてはまず利用することのない「コンビニ」に寄る。
何やらココじゃないとダメらしい。
日頃、まず飲むことのないドリンクを4本購入。「2本に1個」のサービスとか。
「8」と「6」は、それぞれ大学・社会人時代に背負った番号。
手に取ってみたら意外と・・。タダだもの、こんなもんでしょう。
冷たい時雨模様の天気が続いていましたが、今朝は、穏やかな空模様。
エルニーニョ様々と言いたいところですが、降るものが降らないと、困る人もいる・・。
ボクの身体にも異変。「ハイキング」の翌日、左肩甲骨の下の辺りに、痛みが・・。
雪中行軍の疲れか、と思いつつ、いや違う。四年ぶりに「石」が動いた!!
ボクの腎臓は、「石」を生産する。これまでも、二回ほど痛い目に合っている。
四年前の座薬が三日分ほど残ってる。挿さずに済めばいいけど。
「どの辺を彷徨ってるんだろ。」と尿管を想像していたら、SF映画を思い出した。
アメリカ映画「ミクロの決死圏」。医師が潜水艇に乗って体内に入り、病気を治癒する。
紅一点ラクエル・ウェルチのウェットスーツ姿に、中学生のボクは・・。
前日とは打って変わって、お持ち帰りしたいほどの晴天。
美味しいコーヒーと朝食をご馳走になった上、先輩の車で、駅まで送って頂いた。
8:59発盛岡行きで北上まで。そこから、一両電車横手行きに乗り換える。
薄らと積もった雪がまぶしい「ほっとゆだ」駅で途中下車。次の横手行きまでは三時間半。
車中、温泉だけでは持て余す時間の使い方をずーっと考えて、ふと、妙案が浮かんだ。
駅裏の川尻神社から始まるトレッキングルートを、十何年ぶりに歩いてみよう。
JR東日本「駅からハイキング」にも載る、錦秋湖を望む『かもしかコース』全長4km。
計算違いだったのが、想定外の雪。今さら、後戻りしたくない。天気も最高だし。
雪は10センチ程度、この先もこの程度であることを川尻神社に祈願して、出発。
いきなり「きつい坂」ときたか。どっこい、ただの六十路ジジィじゃないぜ、ボクは。
でも、これは、ほんの序の口。この先、いろいろありました。
雪で迷いそうになることもありましたが、雰囲気を頼りに歩を進めました。
圧倒されるような真っ青な空と冬木立の美しさに感動!!「来てよかったあ!!」
こんな感じの尾根道が続いています。あちこち、立ち止まっては、パチリ。
他に人の歩いた形跡はありませんが、この雪の程度なら、問題なさそう。
登り始めて20分ほどで、木立の先に「錦秋湖」が見えてきました。
葉が落ち切った、この時季ならではの冬木立と錦秋湖の眺望が、なんとも、美しい。
案内板には、1548mの焼石岳を最高峰とする錦秋湖南側の山々。
防寒着はリュックの中。上着を脱ぎ、更に、ラグ・ジャーを脱いで、シャツ一枚。
結構、いい運動です。 登り始めて45分ほど、ここで、ちょっと小休止。
門外漢ですが、これは「ブナ」ですよね。その存在感に思わず、「お、おっ!」。
登り始めて約一時間。北に眺望が開ける展望台。
スタート地点の案内板にあった標高447mは、多分、ここ。
眼下に湯本温泉、更に、沢内村かな。遠方の白い頂は、和賀山塊最高峰の和賀岳1439m。
天気は最高、カモシカコース最高の眺望に、ボクの感動も、最高峰!!
靴に入った雪をこまめに払っていましたが、途中から諦めた。靴の中は、びしょ濡れ。
この程度の不快感は、この素晴らしい体験に比べれば、どうってことない。
青空に映える冬木立の美しさを体感するのは久し振り。
スキー場から遠ざかって以来、こんな冬の風景とも、ご無沙汰になっていた。
実は、少し恐怖感を抱え、びくびくしながら、歩いていたのです。
ウサギと思しき足跡ばかりと思っていたところに、「デカい・・、まさか、クマか?」
クマ除けの鈴の代わり、♪♪ ここラグビー部に 栄あれ 栄あれ・・と、歌いながら歩いた。
「ガサッ!!」という音がするたび、肝を潰しながら。
後半の下り坂は難所が多く、頼りなく張られたロープでも、助かりました。
登り始めて一時間半、疲れを感じ始めた足腰。早く、温泉入りたい。
これは珍しい。 分水嶺・・、いや、分雪嶺??でしょうか。
二時間足らずで、川尻保育園側の登り口に到着しました。
思えば、少し無茶だったかもしれませんが、好天気に助けられました。
でも、暖冬のこの時季、クマって、どうなんでしょ・・、もう、起きてますか?
横手行きの時刻まで、一時間ちょっと。温泉で疲れを癒すには十分です。
駅向かいの「湯夢プラザ」で、湯上りに飲んだ、自販機のブレンドコーヒー120円。
ナント、美味しかったこと!!。
さあ、あとは帰るだけ。14:23発の横手行きを待ちます。
横手で奥羽本線に乗換え、新庄へ。陸羽西線余目行き18:30まで、二時間の待ち。
駅近くの飲み屋を物色。チェーン店ばかりで足が向かず、駅待合室で、ちびり・ちびり。
温泉に浸かってから、ずーっと裸足。靴の中も濡れたまま。
でも、楽しかったなあ。
最後の乗換え駅 余目(あまるめ)。鶴岡到着は19:35の予定。
コン先輩・キクちゃん、大変お世話になりました。
おかげ様で、とっても素敵な二日間になりました。
神様が導いてくれたとしか思えない「絶景」。
すばらしい命の洗濯ができた。
JR余目駅で羽越本線から陸羽西線へ乗り継ぐ。
大学時代のラグビー部の先輩が住む一関まで、久しぶりの「青春18きっぷ」旅です。
国道47号東雲橋。立谷沢川が最上川に合流する。
本日、東北全域が曇天雨模様。天気は期待できません。
新庄駅には、奥羽本線と東西の陸羽線が乗り入れる。
在来線の鈍行と並んで発車を待つのは、山形新幹線「つばさ」。
コン先輩んちで、この写真を見せたら、結構、ウケた。「これが、何で新幹線よ?!」
陸羽東・西線沿線には「奥の細道」所縁の旧跡が多く、それを冠する愛称がある。
最上川沿いを往く陸羽西線には、「奥の細道最上川ライン」。
瀬見、赤倉、鳴子など、名湯が続く東線は「奥の細道湯けむりライン」。
県境付近の雪に、ちょっと驚いたけど、12月も半ば。そりゃあ、降ります。
出発前からの予定通り、鳴子温泉で途中下車。
「ひとっ風呂」浴びていこうと思います。
鳴子は、二年ほど前、コン先輩からの帰りに ヤスと一緒に訪れて以来。
その時は「滝の湯」でしたが、今日は、駅から近い「早稲田桟敷湯」。
鳴子の情緒とはかけ離れたような、ちょっと、斬新な外観。
ボクが初めて体験した鳴子の湯。今回は二度目の訪問です。
道路から入口までのアプローチ。
見上げた「空」の切り取り感。斬新ですねえ。
先客が4人。無言のまま、湯に浸かっていましたが、間もなくしてボク一人。
ゆっくりしていこうと思いましたが、余りに物足りない湯の感触。
「温度調整のため加水」と、あります。「滝の湯」にしておけばよかった。
早稲田の刻印にこだわりを感じます。そこじゃないでしょう。入浴料も高いし。
湯に向かう道すがらでも、心奪われていた看板。何がDXなのか気になる。
温泉町に、このノスタルジーは貴重です。鳴子温泉建物遺産に決定。
車中には、リュック姿の、首から一眼レフをぶら下げた初老の男が、うようよ。
時間はあるが、金はない。結構、付き合いにくい人間が、「18きっぷ」でフラフラ。
あっ! ボクもそうだ。あんな風に見られてるんだろうか・・・。
7:40鶴岡駅を出発。4路線5列車を乗り継ぎ、14:32定刻通り、一ノ関駅に到着。
鳴子温泉での滞在時間が予定より短かったので、ひと電車早い到着となりました。
小雨ですが、少し風がある。コン先輩宅までの小一時間、歩くことにした。
これが、思いがけない、「じぇ、じぇ、じぇ~!!」につながろうとは。
旧国道4号沿いを南に歩く。大きな寺院が何軒も連なる。そして、大慈山祥雲寺。
一関藩主田村家の菩提寺。時間があれば、ちょっと寄ってみたい雰囲気。
山門前の案内図・・、「えぇ! ホントかよ!!」
マスコミによく登場する政治学者の話を聴いて、読み返そうと思った漱石の「三部作」。
そのとっかかりの「三四郎」をこの旅に携帯して、読み始めたばかり。
上京する「三四郎」が、汽車の中の乗客を観察する場面から始まる。これも偶然の面白さ。
コン先輩んちでの「宴」がお開きになった頃、酔っ払いオサムからの電話。
「なんで、Okaさんが、そこに居るんですかあ?!!」 これも偶然、たまたまだよ。
師走に入って、「もう、そろそろ・・」と思っていたところに、「ブゴ~ン」の訪問。
羽黒山の修験者が、法螺貝を吹きながら街を往く「松の勧進」。
大晦日から元旦にかけて行われる「松例祭」の浄財を募る。
子供の頃、「マツノカンジン ブゴ~ン!」と囃しながら、あとについていった。
今どきの子どもは、どうなんだろ?
「同じものが、二枚??」と言ったら、羽黒生まれの奥サンが教えてくれた。
「位上と先途の二枚よ。」松例祭を仕切る二人の「松聖」の位を意味するらしい。
ふーん、そうなんですか。
今朝、朝焼けの空に、スカッとするほど一直線にかっ飛ぶジェット機を見た。
流れ星じゃないけど、思わず、お願いをした。
いいこと、いや、いいことがなくてもいいから、家族が「無事」でありますように。