アイスランドの大自然と動物たちが映り込む
羊たちの動きや表情からある日の不穏な様子が描写される。
羊たちのまなざしが物語る、何かがやってきた日だ。
禁断のネイチャースリラーとのふれこみ
ホラー作品らしい
カンヌ国際映画祭のある視点部門で《Prize of Originality》を受賞、
アカデミー賞®国際長編部門アイスランド代表作品にも選ばれた
羊飼いの夫婦と犬と猫と自然との毎日
ほかには何もない
ある日、夫婦が羊の出産に立ち会うと
羊ではない“何か”が産まれる。
それはタブー(禁断)のようだ
だが
幼い娘を失ったことのあるふたりは
その子を「アダ」と名付けて
羊小屋ではなく、自分たちの家で育て始める
顔は羊だが身体はいつも覆われたまま
産んだ母羊がしきりに付きまとい窓の外で鳴く、泣きやまない
ある日、「アダ」の姿がなく、母羊と一緒にいるのが見つかった
人間の身体を持った裸のアダは外気で冷え切っていて
奪い去るようにアダを取り戻して介抱する夫婦
やがて
マリアは母羊の存在が許せず殺して葬ってしまう
子供を亡くした過去があるマリアなのに母親の気持ちがわからないなんて
相手は羊だからか
アダは本当に夫婦への授かりものなのだろうか・・・
人間はなんてエゴのかたまりなのだろう
愚かさと悲しさとしっぺ返しと
羊でもない人間でもないアダのこれからを思った。
不気味な話なのに
アダがかわいすぎてそのことを忘れてしまう
服を着て歩きお手伝いもできるようになったアダ
しばらくはあどけないしぐさや表情を見ていたいと思うのだ
やがてやってくるだろう将来のことを
こんな田舎だからこそ
うやむやにしてしまおうと思っていたのか
「わたしたちのしあわせ」と言い放ち
マリアは帰ってきた不出来な義弟も追い払ってしまう
ほかには何もいらないのだ
彼らが病や老いで亡くなった後、アダはどうなるのだろうと
考えなかったわけではないだろう
だが、白夜と大自然の中、いつも不穏な雰囲気がつきまとう
犬と猫、夫婦と羊たちのほかに何かがいるのがわかる
アダは何の授かりものだったのだろう
罪と罰 人間のエゴでアダは産まれてきたのなら
どうすればよかったのか
どうしようもない悲哀の中で人間のエゴを戒めるための作品なのだろうかと
ぐるぐる思いは巡る
つかの間のささやかな幸せだったはずなのに