てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

出会いは偶然or必然?!

2007-10-04 15:52:58 | 暮らしと生活

時節のずれた彼岸花と、バックは季節はずれの木瓜の花

満開の彼岸花

 「♪出会いはいつでも 偶然の風の中 きらめく君 ぼくの前に ゆるやかに立ち止まる」(天までとどけ さだまさし作詞作曲)

 今朝は寝過ごしていつもより30分遅れのウオーキングスタートとなった。6時前隣町に差し掛かったところ対向の車が目前で、つと止まり窓が開く。道でも尋ねられるのかなと思いきや、高校の同級生A原である。彼はこちらの会社の会長、グループ企業の社長を勤める超多忙の身、社長自ら車を運転してこの時間に出社とは。聞けば「これから社内旅行の打合せ」とか。
 
 ガラス越しの車内は割りと見え難いものだが、中から外はよく分かるもの。こうしてウオーキング中の姿を、本人が気付かぬ内に、人様からは意外と見られているやも。いつぞやもある方からの年賀状に「○○で(ウオーキング中を)見かけました」との添書きに驚かされたことがある。

 A原に会うのは、8月12日の同窓会以来。たまたま寝過ごしたばかりに、或いは今日のウオーキングコースが故の、絶妙なタイミングでの“偶然の出会い”である。相手は車なのだからタイミングを外せば絶対会わなかったはずだ。

 過去にも何度か奇遇は経験ずみだ。ハワイ旅行中に取引先のH野さんとバッタリ、帰国数カ月後には国内旅行中のロープウェイの中でも再会した。
 またグアムの恋人岬ではS経新聞社の知人に出くわしたことがある。その時の彼の驚ろきぶりといったらなかった。先方は女性連れということもあってか「なんでこんなとこにいはりまんのん…」の一言残してそそくさとその場を離れてしまった。

 決定論者によれば「偶然はそもそも存在せず全てが必然である」と唱えるが、「偶然と必然」というテーマは、古くて新しい極めて哲学的な問いであり、小生は未だによくわからない。

 ノーベル賞科学者であるジャック・モノーは、ずばり『偶然と必然―現代生物学の思想的な問いかけ』という著書で分子生物学の哲学的な含意を論じている。そちらへ答えを求めたいと思っている。
 この本は未だ読んでいないが、最後は次のように結ばれているそうだ。

 『旧約は破られた。人間はついに、自分がかつてそのなかから偶然によって出現してきた〈宇宙〉という無関心な果てしない広がりの中でただひとりで生きているのを知っている。彼の運命も彼の義務もどこにも書かれてはいない。かれは独力で〈王国〉と暗黒の奈落とのいずれかを選ばねばならない。』
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする