「晴れの国」が謳い文句の岡山も、さすがに時節の前には形無しで鬱陶しい日が続く。ここらでぱぁ~と憂さ晴らしといきたい所だが、御用繁多のみぎりどれもが中途半端なまま日にちだけが打過ぎる。
6月7日に弟家族がおふくろを見舞ってくれた際、パンパンに腫れ上がった右足を引き摺りながらの義妹を気遣ったが、持ち前の豪放さで笑い飛ばした。おふくろにまつわる思い出話を交えながら、精一杯元気付けてくれた。その日を境にしておふくろは生き返り、今の所小康状態を保っている。
片や義妹の足の方だが、腫れが長く続くのは尋常ではないし、あまりにも痛々しい姿に病院を替えての精査を強く勧めた。以来本人や周りもその気になったらしく、この半月あまりの間に県立病院と医大を行ったり来たりして精密検査を受けた。
その結果、このほど右骨盤の陰影があまり良くないものと判明、来月10日に入院することになった。
小欄「2008/6/5 寿命」でも触れたように、我が家へ嫁いだ嫁は年代の半ばが鬼門となる。奇しくも義妹は5月30日が誕生日で、厄介な「重ね年」を迎えたばかり。
しかし、おふくろは見事にこのジンクスを覆した。そして他ならぬ義妹こそは、おふくろを蘇生させてくれた幸運の女神である。その主に幸運が訪れないはずがない。併せて、我が家系はさておき義妹は長寿の家系で、祖母は99歳の天寿を全うしている。勿論両親は未だに健在である。
がんを生きぬいた筑紫哲也氏の「がんイコール死ではない、治療すれば治る。がんでも元気に生きているサンプルになれれば…」は重い言葉であり福音だと思う。
岳父のように「がんと共生して14年」、91歳でなお矍鑠とした好例もある。絶対に治ってみせるという強い本人の意思と、周りの温かい励ましがあれば必ずや快方に向かうと信じている。
6月7日に弟家族がおふくろを見舞ってくれた際、パンパンに腫れ上がった右足を引き摺りながらの義妹を気遣ったが、持ち前の豪放さで笑い飛ばした。おふくろにまつわる思い出話を交えながら、精一杯元気付けてくれた。その日を境にしておふくろは生き返り、今の所小康状態を保っている。
片や義妹の足の方だが、腫れが長く続くのは尋常ではないし、あまりにも痛々しい姿に病院を替えての精査を強く勧めた。以来本人や周りもその気になったらしく、この半月あまりの間に県立病院と医大を行ったり来たりして精密検査を受けた。
その結果、このほど右骨盤の陰影があまり良くないものと判明、来月10日に入院することになった。
小欄「2008/6/5 寿命」でも触れたように、我が家へ嫁いだ嫁は年代の半ばが鬼門となる。奇しくも義妹は5月30日が誕生日で、厄介な「重ね年」を迎えたばかり。
しかし、おふくろは見事にこのジンクスを覆した。そして他ならぬ義妹こそは、おふくろを蘇生させてくれた幸運の女神である。その主に幸運が訪れないはずがない。併せて、我が家系はさておき義妹は長寿の家系で、祖母は99歳の天寿を全うしている。勿論両親は未だに健在である。
がんを生きぬいた筑紫哲也氏の「がんイコール死ではない、治療すれば治る。がんでも元気に生きているサンプルになれれば…」は重い言葉であり福音だと思う。
岳父のように「がんと共生して14年」、91歳でなお矍鑠とした好例もある。絶対に治ってみせるという強い本人の意思と、周りの温かい励ましがあれば必ずや快方に向かうと信じている。