1月はアッという間に行き、もう2月を迎えた。これからが1年を通じて最も寒い、骨のある時期のはずだが、ここの所温かい日が続く。一気に春とはまいらぬが遠からじの感がする。
備前平野に春を呼ぶといわれる「西大寺会陽(えよう)-裸祭り」が2月21日から22日にかけて行なわれる。小欄「2006/2/18 10:51 春呼ぶ裸祭り」で3年前に会陽について書いたが、今年は創刊130周年を記念して山陽新聞社が祝い主となる。同会陽の祝い主になるのは、10年前の120周年に続き2回目。
10年前に山陽新聞社が祝い主になった時のこと。小生が出向先のM社長は自ら、裸祭りを盛り上げようと若い社員を数名引っ張り込んで、勇猛果敢に裸男として出場した。当時のM社長は今の小生の年恰好だが、まさに年寄りの冷や水となった。裸祭りの翌日は風邪を引き込み、鼻の頭を真っ赤にして出社された姿が忘れられない。
裸祭りの会場となる西大寺観音院の境内北にある鐘楼門には、今なお重文の梵鐘が残る。千余年前新羅時代の朝鮮鐘である。
嘉永七年(安政元年=1854年)1月18日、お寺が火災に遇った際、力士玉の森大吉が鐘楼から下に投げ落として朝鮮鐘を救った。西大寺観音院ではこの功績を深く称え、玉の森大吉の没(明治22年4月26日没)後は墓塔を建てて供養している。
この力士玉の森大吉こそは、西大寺ギタークラブの世話人M下さんの曽祖父にあたると知ったので、その梵鐘と墓塔を一度拝見したいとの思いに駆られ、本日西大寺観音院を訪れた。
同院でそのことを告げると、観光ボランティアガイドの足田ひろ美、岸浦隆両氏が丁寧に境内の各施設を案内してくださった。折りしも会陽五百周年(平成22年)に向けて地域一体となって準備を進めている中、岡山市のデジタルミュージアムに於いて「西大寺寺宝展」が開催(1月16日~2月22日)されており、梵鐘を始め仏像や宝物は出展されているとのこと。その足でデジタルミュージアムに出向き、晴れてご対面を果した。
春の足音がすぐそこに聞こえるような一日となった。

会陽を待つ観音院境内

会陽を待つ観音院境内

牛玉所と金毘羅両大権現を合祀している牛玉所殿

中央に見えるのが鐘楼門

朝鮮鐘(高さ111.5cm、口径65.2cm)

玉の森大吉の墓塔(左から2柱目)

「三丁目の夕日」の舞台となった五福通り

2009年(平成21年)1月27日付山陽新聞より
備前平野に春を呼ぶといわれる「西大寺会陽(えよう)-裸祭り」が2月21日から22日にかけて行なわれる。小欄「2006/2/18 10:51 春呼ぶ裸祭り」で3年前に会陽について書いたが、今年は創刊130周年を記念して山陽新聞社が祝い主となる。同会陽の祝い主になるのは、10年前の120周年に続き2回目。
10年前に山陽新聞社が祝い主になった時のこと。小生が出向先のM社長は自ら、裸祭りを盛り上げようと若い社員を数名引っ張り込んで、勇猛果敢に裸男として出場した。当時のM社長は今の小生の年恰好だが、まさに年寄りの冷や水となった。裸祭りの翌日は風邪を引き込み、鼻の頭を真っ赤にして出社された姿が忘れられない。
裸祭りの会場となる西大寺観音院の境内北にある鐘楼門には、今なお重文の梵鐘が残る。千余年前新羅時代の朝鮮鐘である。
嘉永七年(安政元年=1854年)1月18日、お寺が火災に遇った際、力士玉の森大吉が鐘楼から下に投げ落として朝鮮鐘を救った。西大寺観音院ではこの功績を深く称え、玉の森大吉の没(明治22年4月26日没)後は墓塔を建てて供養している。
この力士玉の森大吉こそは、西大寺ギタークラブの世話人M下さんの曽祖父にあたると知ったので、その梵鐘と墓塔を一度拝見したいとの思いに駆られ、本日西大寺観音院を訪れた。
同院でそのことを告げると、観光ボランティアガイドの足田ひろ美、岸浦隆両氏が丁寧に境内の各施設を案内してくださった。折りしも会陽五百周年(平成22年)に向けて地域一体となって準備を進めている中、岡山市のデジタルミュージアムに於いて「西大寺寺宝展」が開催(1月16日~2月22日)されており、梵鐘を始め仏像や宝物は出展されているとのこと。その足でデジタルミュージアムに出向き、晴れてご対面を果した。
春の足音がすぐそこに聞こえるような一日となった。

会陽を待つ観音院境内

会陽を待つ観音院境内

牛玉所と金毘羅両大権現を合祀している牛玉所殿

中央に見えるのが鐘楼門


朝鮮鐘(高さ111.5cm、口径65.2cm)

玉の森大吉の墓塔(左から2柱目)

「三丁目の夕日」の舞台となった五福通り

2009年(平成21年)1月27日付山陽新聞より