東国原宮崎県知事に次期衆院選出馬を打診し、世の人気者を担ぎ出す手法が党内外で物議を醸している自民党の古賀誠選対委員長。その後はご自身が立候補を予定する福岡7区において、あの松山千春さんが応援に駆け付けたそうだ。
その古賀氏に一度だけお目にかかったことがある。名刺の肩書きには「自由民主党筆頭副幹事長」とあるから、第2次橋本内閣で運輸大臣として初入閣する前の1995年(平成7年)の頃だったと思う。
当時職場のボスが岡山県遺族連盟会長を務めており、その会合へ日本遺族会会長として臨席された序でに職場へ挨拶に見えたもの。失礼ながらボサボサ頭で風采は上がらぬが、秘書も伴わず単身で訪れ、気さくに話される姿に飾らぬ御仁との初印象がある。
一方、要請を受けた東国原氏、任期途中にも関わらず国政に意欲満々のようだ。そんなことなら知事なんかにならずに、最初から衆議院議員を目指せばよかったはず。
或いは最初から国政を狙っていたのか。知事になったのは、偶々知事の席が空いたから、立候補したまでかも知れない。どうみても野心満々だが、県知事としての任期を全うせず1年7カ月残して国政転身を狙うようでは、政治家として先は長くないと思われる。
先の岡山市長選が好事例で、首長は衆議院議員の腰掛けではないと言いたい。
その古賀氏に一度だけお目にかかったことがある。名刺の肩書きには「自由民主党筆頭副幹事長」とあるから、第2次橋本内閣で運輸大臣として初入閣する前の1995年(平成7年)の頃だったと思う。
当時職場のボスが岡山県遺族連盟会長を務めており、その会合へ日本遺族会会長として臨席された序でに職場へ挨拶に見えたもの。失礼ながらボサボサ頭で風采は上がらぬが、秘書も伴わず単身で訪れ、気さくに話される姿に飾らぬ御仁との初印象がある。
一方、要請を受けた東国原氏、任期途中にも関わらず国政に意欲満々のようだ。そんなことなら知事なんかにならずに、最初から衆議院議員を目指せばよかったはず。
或いは最初から国政を狙っていたのか。知事になったのは、偶々知事の席が空いたから、立候補したまでかも知れない。どうみても野心満々だが、県知事としての任期を全うせず1年7カ月残して国政転身を狙うようでは、政治家として先は長くないと思われる。
先の岡山市長選が好事例で、首長は衆議院議員の腰掛けではないと言いたい。