
朝焼け(9月11日午前5時22分撮影)

我がライフサイクルを顧みるに、日常の行動パターンがすっかり定着してきた。朝起きて先ず仏前で手を合わせてから、早朝の1時間ウオーキングに出かけて心身をリフレシュさせる。
一汗かいた体をシャワーで清め、やおらパソコンに向かう。お馴染みさんのサイトに「おはよう」の挨拶とメールチェック、そして在宅の折には終日パソコンは立上げっ放しとなる。
さて日課の各サイト訪問だが、決まってお邪魔するブログの一つに「あじさい通信・ブログ版」がある。サイトを運営するkurashiki-keikoさんは、時折山陽新聞の読者投稿コーナーでもお見かけする。
本日11日付山陽新聞の「泉」欄では「物をなくして」と題して一文を寄せておられるが、当方も最近とみに物忘れがひどかったり、モノの名前が出てこなかったりでどっきり、がっくりすることが多く共感を覚えた。
小欄「2005/12/17 老いるショック」で紹介したように、こうしたガックリ状態を「老いるショック」と言い、「三度来る」のだそうだ。
まだ現役の頃、年が一回り上のK坂先輩から「本屋で立ち読みしていて、先日買ったばかりの同じ本を、うっかりまた求めてしまい2冊は不用なのでよかったらどうぞ」と、ある1冊の本を頂いたことがある。そんなことは自分にはあり得ないと思っていたので、何かしら薄ら寒いものを感じたものだ。
ところがいずれは通る道だった。近頃になって思い当たるフシが多々ある。先述の「老いるショック」になぞらえれば第一次・第二次ショックを通り越して、今やSAS対策にC-PAP装置のお世話になるというれっきとした第三次ショックに突入している。