小学5年生の孫の国語の宿題をみていて、「じいちゃん、魚偏に冬と書く魚は何?」と尋ねられ、不覚にも即答できかねた。パソコンを立ち上げていれば「さかなへん 漢字」をキーワードに、その場で検索できるのだが、孫の後学のためにも漢和辞典を紐解かせてみた。
正解は「このしろ」と聞いて、な~るほどと納得した。魚偏の漢字はたくさんあり、その数は100を超えるが、意外と読めない(意味の分からぬ)字が多い。また、逆に読めはするが書くとなると宙で書けない字が、これまた多いのにがっくりさせられた。改めて日本語の語彙が豊富なことと、難解であることを再認識した。
ところで、今朝の山陽新聞のコラム
「滴一滴」の中で、<かつて大学の関係者から聞いた話を思い出す。「中学、高校の6年間、英語を学んできた大学生のほとんどが、英語で道案内もできない。指導の仕方が間違っている」と憤慨していた>と述べている。
コラム子が指摘するように、日本の英語教育の在り方に問題があるのかも知れないが、半世紀以上にわたって日々口にしている母国語にして先程の有様。ましてや高々6年そこらで外国語である英語を自由に操るのは難しいことも確かである。
日本語がマスターできるほどであれば、英語など御手の物と思えるのだが、現実はなかなかで、どちらも難しい。