てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

30数年で40コース

2010-07-29 22:16:00 | スポーツ
 下手なりにもゴルフ歴だけは結構古く、手を染めたのは40年前に遡る。1970年の入社早々のこと、某先輩からは仕事のイロハを習うどころか、否応無くゴルフショップへ連れて行かれ道具を一揃いあてがわれた。そして仕事がハネるのを待ち構えるようにして、ナイター練習場へ直行、先輩が師となって相当数打ち込んだものだ。

 折りしも、当時ゴルフをやらない上司から言われた一言が耳にこびりついている。「ゴルフなんざぁ、テメェのクラブがいうことをきかなくなってからやるもんじゃ!」
 つまり経済的にも、時間にしても余裕が出来てからやるもので、身の程をわきまえろといったところ。

 生来運動神経に恵まれない上、月イチゴルファーの宿命とあって中々上達がない。己の無能さにほとほと嫌気がさし、結局仕事のリタイアをキリにゴルフも一緒にリタイアした。それでも途中5年ほどのブランクを挟んで30数年間親しみ、スコアはさておいて日本全国40余のコースをラウンドしたことになる。ゴルフクラブは処分したが、スコアーカードと記念のマーカーだけは捨てきれず書架の隅で眠っている。

 過日、在職中に全国の名門コースでラウンドする機会を力めて与えてくださったK川先輩とゴルフ談義になった。K川さんは、これまでに全国で130のゴルフ場を極めておられる。氏とご一緒させて頂いた県外コースには、主だったところで82年7月各務原CC、82年12月高松GC、84年9月奥道後GC、85年11月東広島CC、86年4月宇部CC、87年8月芦ノ湖CC、96年5月沖縄国際GC、96年11月別府GC、97年10月大山平原GCなどがある。惜しむらくは、94年4月川奈ホテルGCの際に故あってゴルフをパスして観光組に回ったことである。
 県内のゴルフ場で、何度同じコースに足を運んでも、未だにコースが覚えられない。これなども上手くなれない一因かと思う。

 近所のH間ゴルフショップのオヤジさん、若かりし頃の青木功プロとプレーし、同プロの7番アイアン1本に対し、こちらはフルセットクラブを駆使して挑戦するも、軽~く捻られたと言う話を思い出した。
 その青木プロは「世界中のゴルフコースの芝の方向や小さな木の位置を記憶していて、そこで何番のクラブを使って、打った時のショットの感触がどうだったかまで思い出せる」と言い切っている。
コメント (2)
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