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大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

旧杉山家住宅の西(乾)蔵

2021年10月12日 | じないまち あれこれ

2021年10月5日 12:40 富田林市富田林町 旧杉山家住宅。

 

10月から西蔵が公開再開しました。

すこし緩和されましたが、コロナ禍が終息したわけなく、マスク、手の消毒、体温、入館記録表は継続です。

 

これが西蔵。大きい内部が二階建ての蔵です。正確には乾(いぬい)蔵。

家の中心から乾(戌亥=北西)の方角にあり、巽(辰巳=南東)とともに方位的に吉。

昔からこの方向に蔵を立て、大事なものを保管しました。

鬼門の艮(丑寅(うしとら)=北東)の方向や、裏鬼門の坤(申未(ひつじさる)=南西)に蔵を建てないのはそのためですね。

 

その中で特に乾蔵は大きく、特に大切なものを保管していたようです。

 

そのため、盗っ人に狙われやすく、頑丈にしっかり作られています。

ここも壁の厚さが数十センチもあります。防火もバッチリ。

 

中は2層になっています。現在は杉山家や露子さんゆかりの品々などの展示がなされています。

 

籠。お寺なんかに残っていることが多いですが、大きなお家でも残しているところはごくまれです。

 

箏(お琴)。露子さんはお琴の演奏も卓越していたようです。

 

右が行燈。左が「昼行燈」用。これは冗談です。

 

60町歩も田んぼを持っていた杉山家は小作米を納めに来た人々にこの証文を渡していたようです。

 

露子さんの手紙 部分部分しか読めません。

 

露子さんの書簡

 

「いしかはの人」「いしかはのつゆ子」「いその上つゆ子」

 

蔵のそとに、寺内町の「用心掘」に掛けられていた石橋が保管されています。「古手屋橋」

 

「岩永橋」

 

「岩永橋」江戸時代の寺内町の商人の寄進によるものです。

 

同じく保管されている根元が折れている道標2基。

 

「右 瀧谷不動観心寺道」富田林市で一番大きな道標 160cm

天保15年(1844)の建之。もとは川向町にあったようです。

 

「左 金剛山千早城址 東部教育會」もとは寺内町の市場筋堺町の交差点にあったようです。

 

おそらく造り酒屋を営んでいた時の石臼、今は庭の飛び石。

 

この石は何の石。角礫を含んでいます。

 

かつては屋根に上がっていたと思われる鐘馗さん(現在は上がっていないようです。)

 

庭の丸石。川の石を庭にあしらっています。

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撮影:2021年10月5日

2021年10月12日(HN:アブラコウモリH )

 

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