七大陸最高峰制覇を目指す、栗城史多(くりきのぶかず)さんのドキュメンタリー番組をテレビで観ました。ごくごく普通の若者だと思います。なぜその普通の若者が全国区というか、グローバルというか…になったか?!「純粋に直球勝負」ただそれだけ。周囲の状況の対し、暑いだの寒いだの、美味いだの不味いだの…そんなもの関係ない。ただ真っ直ぐ。
史多さんに対し、「偉い!」と、私が大声で言いたいことがあります。それは、エベレスト無酸素単独登頂で、危険と感じたときにキッパリと諦めて下山したことです。それこそが本当の、「勇気」だと思います。
単独登山と対照的なのは、600人の団体旅行でしょうか。小沢一郎さんが、600人を引き連れて中国へ行ってきた。昨年末のちょっぴり笑いも入る話題でした。民主党所属国会議員143人が600人に含まれており、胡錦濤国家主席と全員が握手して写真を撮った。修学旅行生が、観光地で有名人に出会ったという感じですかね。
それにしても、今回はなぜこれほどマスコミが騒いだか?民主党の国会議員143人のうち、80人ほどが先の衆院選で初当選した議員さんだからなのか?民主党政権になったからなのか?
前回は、2007年12月。その前はいつだったか…忘れました。前回も、ほぼ同じ規模の団体だったはず。バス10台を連ねて観光旅行(万里の長城)へ行ったのですから。小沢一郎さんが団長。副団長は誰だったと思いますか?国民新党の自見庄三郎さんでした。羽田さんも、この度財務大臣になった菅さんも行きました。今が旬の、というか、小沢さんの身中の虫的存在になってしまった石川知裕衆院議員も行きました。そして、同行ではなかったのですが、田中眞紀子さんも北京で合流し、「胡錦涛、小沢会談」に同席しました。これらって、今回よりおもしろい顔ぶれだと思いませんか!
600人の団体旅行で私が心配したのは、食事でした。いくら中国の国土が広くても、600人収容のレストランはない。つまり、一堂に会しての食事は出来なかっただろうなあ。ということでした。そんな低レベルな心配は不必要だろうって?性分だからしょうがないのです。みんなで食事をしなければ団体旅行の意味がないのではないかなあ。
今回も、1か月以上前から先遣隊が北京へ入って準備していました。参勤交代の先遣隊を連想しました。参勤交代の場合、600人なんてもんじゃない。大所帯(紀州徳川家など)の場合、武士、人足あわせて、4,000人という記録もあります。4,000人の旅行団の、宿泊・食事…もうめちゃくちゃだったことでしょう。
不肖私儀、参勤交代は、三年に一度つまり、「三勤交代」の思いが強く…。無知だって?いえいえ、三年に一度という時期もあったのです(文久の改革以降)。ですから歴史の先生は、テスト問題、「参勤交代は何年に一度か?」の答えを、「三年に一度」と答えた生徒にも○をあげてください。そして「五年に一度」の生徒にも○です。
五年に一度は×だろうって?遠隔地(蝦夷の松前藩など)の場合は、五年に一度が認められていたのです。
史多さんに対し、「偉い!」と、私が大声で言いたいことがあります。それは、エベレスト無酸素単独登頂で、危険と感じたときにキッパリと諦めて下山したことです。それこそが本当の、「勇気」だと思います。
単独登山と対照的なのは、600人の団体旅行でしょうか。小沢一郎さんが、600人を引き連れて中国へ行ってきた。昨年末のちょっぴり笑いも入る話題でした。民主党所属国会議員143人が600人に含まれており、胡錦濤国家主席と全員が握手して写真を撮った。修学旅行生が、観光地で有名人に出会ったという感じですかね。
それにしても、今回はなぜこれほどマスコミが騒いだか?民主党の国会議員143人のうち、80人ほどが先の衆院選で初当選した議員さんだからなのか?民主党政権になったからなのか?
前回は、2007年12月。その前はいつだったか…忘れました。前回も、ほぼ同じ規模の団体だったはず。バス10台を連ねて観光旅行(万里の長城)へ行ったのですから。小沢一郎さんが団長。副団長は誰だったと思いますか?国民新党の自見庄三郎さんでした。羽田さんも、この度財務大臣になった菅さんも行きました。今が旬の、というか、小沢さんの身中の虫的存在になってしまった石川知裕衆院議員も行きました。そして、同行ではなかったのですが、田中眞紀子さんも北京で合流し、「胡錦涛、小沢会談」に同席しました。これらって、今回よりおもしろい顔ぶれだと思いませんか!
600人の団体旅行で私が心配したのは、食事でした。いくら中国の国土が広くても、600人収容のレストランはない。つまり、一堂に会しての食事は出来なかっただろうなあ。ということでした。そんな低レベルな心配は不必要だろうって?性分だからしょうがないのです。みんなで食事をしなければ団体旅行の意味がないのではないかなあ。
今回も、1か月以上前から先遣隊が北京へ入って準備していました。参勤交代の先遣隊を連想しました。参勤交代の場合、600人なんてもんじゃない。大所帯(紀州徳川家など)の場合、武士、人足あわせて、4,000人という記録もあります。4,000人の旅行団の、宿泊・食事…もうめちゃくちゃだったことでしょう。
不肖私儀、参勤交代は、三年に一度つまり、「三勤交代」の思いが強く…。無知だって?いえいえ、三年に一度という時期もあったのです(文久の改革以降)。ですから歴史の先生は、テスト問題、「参勤交代は何年に一度か?」の答えを、「三年に一度」と答えた生徒にも○をあげてください。そして「五年に一度」の生徒にも○です。
五年に一度は×だろうって?遠隔地(蝦夷の松前藩など)の場合は、五年に一度が認められていたのです。