長女と二男が、「厄」なので、お守りでも送ってやろうと、近くの神社へ「お守り」を買いに行った。初詣の喧噪がウソのように境内は静まりかえっていた。「授与所」という看板の所へ行って、「厄除けのお守りを2個ください」と、言った。
応対に出たお兄さんが、しどろもどろ…。すると、背を向けていた神主がこちらへ向き直り、「祈祷に来た人の分しかない。祈祷を受けないのなら、これを買え」と、一般的なお守りを差し出した。その態度のぞんざいさ(ぞんざいには漢字がない)に、非常に腹が立ちました。いやしくも、神様にお仕えする神主が、私に対して、「このオヤジは、適当にあしらってもいい」という態度をとる。神社業界、大丈夫か?こんなことでは、潰れるぞこの神社…!
「いりません」と、ピシャリと言って、とっとと帰ってきました。強欲な神主から、どうでもいいようなお守りを買って持っていたところで、おそらく何らの厄除けにもならなかったでしょう。
お金でお守りを買うということにも抵抗がありましたし、買わなかったことに何の後悔もありません。
神様は普段はどこで暮らしておられるのか?神様にも専門分野があり、それぞれ得意分野の所におられるらしい。植村花菜さんのお祖母様によると、トイレにもおられるという。
もっとも、トイレに神様がおられるという話は、昨年の「トイレの神様」の大ブレークから始まったわけではない。中国では、大昔からおられた。日本にトイレの神様が伝えられたのは、奈良時代。鑑真が中国から連れてきたらしい。トイレにおられる神様の話は、親から子へ伝えられた。私も親から聞かされた。植村花菜さんのお祖母様も、親から聞いたと思います。
神様がおられる中国のトイレ…(この話を始めると際限がなくなる)万里の長城の究極のトイレ…おそらく今なお存在しているでしょう。私は、究極のトイレの写真を大切に持っています。究極のトイレは、「何もないトイレ」。個室なし、もちろんドアなし。便器なし。それがどうしてトイレと分かるかって?「トイレはここ」という立派な看板が立っていたから解ったのです。日本人の多くは、人前で排便・排尿するのはイヤだと思います。しかし、かの国の人たちって、(全員ではないでしょうが)平気なのです。隣同士、談笑しながらの排便…。それが正しい排便の仕方なんでしょうねえ…?排便は隠れてコソコソするものではない。太陽の下、堂々とすればよいということかな。
究極のトイレを見たとき、「神様がおられる」ことを実感しました。
途上国のトイレは、正直言って汚い。神様がいないと思います。
近年の日本のトイレ…おおむね清潔だが、神様がいなくなってしまったんじゃないかと思います。神様がおられたころの日本のトイレは、「汲み取り式」だった。水洗トイレは神様がのんびり暮らせない。ボヤボヤしていると洗い流されてしまいます。
厄除けのお守りなんですが、子供達はすでに持っているかも知れない。2つも3つもお守りを持っていると、神様同士がケンカするので御利益がないという説がある。一方、神様がそんな狭い了簡なわけがない。だから、お守りは複数個持っていても何ら問題ないという説も。
私どもは、後者の意見を採用し、買うことにしたのですが…小銭を儲けようとするような神主からは買わない。さて、どこで買おうか…。スーパーには置いてないでしょうし…。コンビニ?…お守りについては、コンビニエンスじゃないね。
応対に出たお兄さんが、しどろもどろ…。すると、背を向けていた神主がこちらへ向き直り、「祈祷に来た人の分しかない。祈祷を受けないのなら、これを買え」と、一般的なお守りを差し出した。その態度のぞんざいさ(ぞんざいには漢字がない)に、非常に腹が立ちました。いやしくも、神様にお仕えする神主が、私に対して、「このオヤジは、適当にあしらってもいい」という態度をとる。神社業界、大丈夫か?こんなことでは、潰れるぞこの神社…!
「いりません」と、ピシャリと言って、とっとと帰ってきました。強欲な神主から、どうでもいいようなお守りを買って持っていたところで、おそらく何らの厄除けにもならなかったでしょう。
お金でお守りを買うということにも抵抗がありましたし、買わなかったことに何の後悔もありません。
神様は普段はどこで暮らしておられるのか?神様にも専門分野があり、それぞれ得意分野の所におられるらしい。植村花菜さんのお祖母様によると、トイレにもおられるという。
もっとも、トイレに神様がおられるという話は、昨年の「トイレの神様」の大ブレークから始まったわけではない。中国では、大昔からおられた。日本にトイレの神様が伝えられたのは、奈良時代。鑑真が中国から連れてきたらしい。トイレにおられる神様の話は、親から子へ伝えられた。私も親から聞かされた。植村花菜さんのお祖母様も、親から聞いたと思います。
神様がおられる中国のトイレ…(この話を始めると際限がなくなる)万里の長城の究極のトイレ…おそらく今なお存在しているでしょう。私は、究極のトイレの写真を大切に持っています。究極のトイレは、「何もないトイレ」。個室なし、もちろんドアなし。便器なし。それがどうしてトイレと分かるかって?「トイレはここ」という立派な看板が立っていたから解ったのです。日本人の多くは、人前で排便・排尿するのはイヤだと思います。しかし、かの国の人たちって、(全員ではないでしょうが)平気なのです。隣同士、談笑しながらの排便…。それが正しい排便の仕方なんでしょうねえ…?排便は隠れてコソコソするものではない。太陽の下、堂々とすればよいということかな。
究極のトイレを見たとき、「神様がおられる」ことを実感しました。
途上国のトイレは、正直言って汚い。神様がいないと思います。
近年の日本のトイレ…おおむね清潔だが、神様がいなくなってしまったんじゃないかと思います。神様がおられたころの日本のトイレは、「汲み取り式」だった。水洗トイレは神様がのんびり暮らせない。ボヤボヤしていると洗い流されてしまいます。
厄除けのお守りなんですが、子供達はすでに持っているかも知れない。2つも3つもお守りを持っていると、神様同士がケンカするので御利益がないという説がある。一方、神様がそんな狭い了簡なわけがない。だから、お守りは複数個持っていても何ら問題ないという説も。
私どもは、後者の意見を採用し、買うことにしたのですが…小銭を儲けようとするような神主からは買わない。さて、どこで買おうか…。スーパーには置いてないでしょうし…。コンビニ?…お守りについては、コンビニエンスじゃないね。