日本人の「謝り方」について、「頭頂部の品評会」と評したものを読んで、大笑いさせていただいた。
確かに、謝るとき、カメラのフラッシュを浴びて90度腰を曲げるから、頭頂部のドアップを見せられることになる。それがどうして、「大笑い」なのかって?謝罪する人たちは一様に、「ウスゲ(薄毛)」「ヌケゲ(抜け毛)」「ハゲ(禿げ)」である。この状態を「ゲ、ゲ、ゲ」と呼んでいます。(私も人のゲゲゲを笑っちゃいられないが)そんなわけで、頭頂部の品評会は、ゲゲゲの品評会なので大笑い…。
市川海老蔵の謝罪会見…さすが、役者だと感心しました。海老蔵の謝罪は江戸しぐさの「うかつあやまり」じゃないかって?状況から考えると、ごく普通の謝罪。うかつあやまりなんて上等のものではない。(うかつあやまりについては、昨日のアンティークマンを御参照あれ)
海老蔵の父親の、団十郎が「私自身、舞台に立つべきか、立たざるべきか迷いがある」と、言っていた。
これは、うかつあやまりに近いが…計算されたもの。役者じゃのう!ってところ。
海老蔵も団十郎も、のど元過ぎれば、「七三の道」を無視するでしょう。
「七三の道」も、江戸しぐさ。道路を歩く際は真ん中を譲って少し脇を歩くべしという教え(いましめ)。酒に酔って見知らぬ人に、「おまえ、なんぼもらってるんだ?(報酬はいくらか)」と絡み、「この小者が!」と罵倒する奴が、「七三の道」のいましめを実践しているはずがない。
初詣の雑踏で、「肩がぶつかった!」と大声を出したバカがいた。江戸しぐさにそのまんまの教えがある。「肩引き」というもの。肩引きは、すれ違うとき、双方が半身になり(肩を後ろに引いて)譲り合う。
電車の車内広告に、「こぶし一個分つめると、もう一人座れます」と。これも、江戸しぐさにある。「こぶし腰浮かせ」というんですがね。こぶし腰浮かせは、そのまんま、こぶし一つずつ譲り合って、もう一人座れる席を作るというもの。
江戸時代…庶民に、思い遣りの心が根付いていた時代だったのですねえ!現代?「思い遣り」が「重い槍」になって、どこかへ飛んでいってしまいました。全く、投げやりなんだから…!
確かに、謝るとき、カメラのフラッシュを浴びて90度腰を曲げるから、頭頂部のドアップを見せられることになる。それがどうして、「大笑い」なのかって?謝罪する人たちは一様に、「ウスゲ(薄毛)」「ヌケゲ(抜け毛)」「ハゲ(禿げ)」である。この状態を「ゲ、ゲ、ゲ」と呼んでいます。(私も人のゲゲゲを笑っちゃいられないが)そんなわけで、頭頂部の品評会は、ゲゲゲの品評会なので大笑い…。
市川海老蔵の謝罪会見…さすが、役者だと感心しました。海老蔵の謝罪は江戸しぐさの「うかつあやまり」じゃないかって?状況から考えると、ごく普通の謝罪。うかつあやまりなんて上等のものではない。(うかつあやまりについては、昨日のアンティークマンを御参照あれ)
海老蔵の父親の、団十郎が「私自身、舞台に立つべきか、立たざるべきか迷いがある」と、言っていた。
これは、うかつあやまりに近いが…計算されたもの。役者じゃのう!ってところ。
海老蔵も団十郎も、のど元過ぎれば、「七三の道」を無視するでしょう。
「七三の道」も、江戸しぐさ。道路を歩く際は真ん中を譲って少し脇を歩くべしという教え(いましめ)。酒に酔って見知らぬ人に、「おまえ、なんぼもらってるんだ?(報酬はいくらか)」と絡み、「この小者が!」と罵倒する奴が、「七三の道」のいましめを実践しているはずがない。
初詣の雑踏で、「肩がぶつかった!」と大声を出したバカがいた。江戸しぐさにそのまんまの教えがある。「肩引き」というもの。肩引きは、すれ違うとき、双方が半身になり(肩を後ろに引いて)譲り合う。
電車の車内広告に、「こぶし一個分つめると、もう一人座れます」と。これも、江戸しぐさにある。「こぶし腰浮かせ」というんですがね。こぶし腰浮かせは、そのまんま、こぶし一つずつ譲り合って、もう一人座れる席を作るというもの。
江戸時代…庶民に、思い遣りの心が根付いていた時代だったのですねえ!現代?「思い遣り」が「重い槍」になって、どこかへ飛んでいってしまいました。全く、投げやりなんだから…!