寝ぼけたことをいっているのは菅である。令和とでも言っていれば平和なのに。
以下,自分なりの解釈である。
- イチローの野球人生は終わっていない。
- イチローは賞・権威にこだわらない。
- イチローは「己の美学」のみにて生きる。
- 己の美学を突き通す実力も努力もけして自慢しない。
- そしてそれは「花形満」。
僕は以前からイチローの近寄りがたいような気迫と情熱に花形満を見てきた。イチローだってきっと幼いときに再放送で観ていたんじゃないか
こうした「賞を辞退」するのは,イチローに限った話ではない。是枝監督も「賞を国からもらったりすると,自由に映画が作れなくなる,萎縮する」として辞退した。
イチローも賞をもらって崇め奉られ,神棚にのせられることを何より嫌う漢。
まさに真の漢なのだ。
辞退大いに結構。ときの政権の道具に使われる「犬」に成り下がるような漢ではなかった。
イチローは引退も潔かった。まさに「引き際が肝心」ということを示してくれた。
だが,イチローの野球人生は始まったのだ。またしても。
そういう漢なのだと思う。
忖度しまくった塚田元大臣の「豚野郎」に比べて,なんと潔いことか
ああ,比較した豚が可愛そうだ。
そんな感動を与えてくれてありがとう。