もう,先週10/20の日には投票用紙が来ていたので期日前投票を済ませてある。
この掲示板では女性3名,男性1名である。問題はその先である。
女性候補者で多いのが「子育て中」を売りにする人たち。相当に恵まれているか・したたかなのだろう。
現実,セコイうちの会社では間違っても「そんなことはできない」。仕事と家庭,家族を両立するために,フルタイムで働くことすら厳しいし,残業前提で進んでいく業務の多さを変えることができない。
そうした理不尽さを「合理化」で超えようとするアプローチはよいのだが,自分のケチ臭い会社では「合理化すればするほど重要な責務から外れていく」のも歴史が証左している。
その理由を考察する前に,「合理化の闇」は考えておかないといけない。
合理化は,理屈がわかっていて・自ら行う人にメリットがあるが,利用するだけの人は「公文式」で積分計算だけができるような「公式あてはめ演習」しかできなくなってしまうことが大変多い。
仕事は多岐にわたるので,なんでも合理化・データ化しておけば巨大なデータベースができて活用できるはず,と考える。誰もが最初は考える。それは当然だ。
ところが始めてみると,巨大なデータベースが次第に足かせになって改訂できない。ましてや「利用しているだけ」のレベルでは理屈などわからないから,お手上げだ。
「公文式」を根本から否定する立場である 計算が早ければよいとか,子どもから英語が話せるとか,正直「本質」がズレている。「結果」が先にほしくなるところを,頑張って「理屈」が自分で考えることができるようにならないと,結局上記のように「システムに使われる」だけになる。
教員養成では,たとえば工学科を卒業すると理科の免許は付与されても数学は付与されない。その逆も然りだが,ここに学問の意味がある。理科で数学を使うが,それは道具でしかない。道具の意味を深く考えるのが数学だ。
閑話休題。
もしかしたら,久々の政権交代が起きるかもしれない。ただ,間違っても共産党は野合しないでほしい。先日,「非公認元自民党員への支援金」を暴いたばかり。そうした闇の受け皿は他の政党にできるはずがないし,できないから共産党なのだ。
最高裁判官国民審査は当然全員バツ。いまの国政を決めている連中に満足できないから。
投票先は,もちろん個人の自由だし秘密でOKなのだ。素晴らしい日本の選挙制度である。イスラエルやらの「ユダヤ・マネー」に怯えなくてよいし,安全なのだ。