ニュースを娯楽にしてしまうワイドショーはすっかり定着した観があります。14日のスーパーモーニングの2つの話題は、ここまで娯楽化してよいのか、という疑問を感じました(もっとも私の方がテレビ界の「常識」から取り残されているのかも知れませんが)。
ひとつは「昼は主婦、夜は泥棒」「二つの顔を持つ女」と題して、深夜、鍵のかかっていない民家を専門に窃盗を働いていた主婦を取り上げたものでした。3人の子供の教育費と家のローン返済に追われていたそうです。
普通なら報道されることがないと思われるコソ泥程度の容疑者を、テレ朝は実名と共に住居や付近の映像を全国に放送しました。彼女の住む地域で、この事件は知れわたり、彼女の家族は近所の人に特定されたことでしょう。気の毒なのは何も知らなかった彼女の家族、夫と学齢期の3人の子供です。
テレ朝は「二つの顔を持つ女」として面白おかしく視聴者に提供しつつ、罪のない容疑者の家族を地獄に突き落とす手伝いをしました。犯罪者が刑を受け罪を償う以外に、メディアが恣意的に、つまり話題として面白いなどの理由で取り上げ、犯罪者とその家族に社会的制裁を加えてよいのでしょうか。テレ朝が制裁を判断する審判者になるのです。賢明な審判者ならまだいいのですが・・・。
容疑者の住居はその家族の住居でもあります。視聴者が僅かな娯楽を得るのと引替えに、容疑者の家族にまで不利益をもたらす行為は正当化できるのでしょうか。もしテレ朝に取り上げられなければ、容疑者は執行猶予付の判決を得て彼女の家庭はより平穏な生活を続けられたかも知れません。
もうひとつの話題は秋葉原事件の後、設けられた献花台の上の供え物を持ち去る人々を取り上げたものです。カメラは、献花台に近づき食べ物やペットボトル、タバコなどの供え物を持ち去る人物を追います。カメラは気づかれないように隠してあるのでしょう。
ディレクターと呼ばれた若い男がマイクを片手に初老の持ち去り男を追いかけて行きます。そしてなぜ持っていくのかなどと詰問します。なおも去ろうとする男を執拗に追いかけ、追求し、品物を戻すように迫ります。差し出した品物に満足せず、もっとある筈だとなおも追求します。
持ち去るのはホームレスや派遣労働者と思しき人々であり、十分な食物に恵まれているようには見えません。持ち去る前に、何度も献花台の前を行ったり戻ったりする若者の姿もありました。きっと気が弱く、迷っているのでしょう。
供え物は、いずれは捨てられるものと思われます。持ち去る人にはそういう気持ちがあるのでしょう。それに対してディレクターは供えた人の気持ちを踏みにじる行為だと詰め寄ります。若いディレクターは年長者に「指導」をしますが、閉口したのはその執拗さです。
放送という公共の役割を担うものが、些細なことを取り上げ、子供じみた正義を振りかざして詰問までする姿勢に疑問を感じます。世の中には「寛容の範囲」というべきものがあり、些細なことまで他人が口出すのは大人げない行為です。警察ですらこんなことはしません。
献花台を「罠」として隠れ待ち、やってきた「獲物」を無断でこっそりと撮影するという卑怯な手口。弱い立場の人間の恥を暴いて娯楽として提供する商売。まあよく嫌にならないものだと感心します。せっかくの娯楽ですが、私にとっては極めて不快な番組でした。
この番組は、恵まれたスタッフが、些細な不道徳行為を理由に、食物にも事欠く人々から食物を取り上げようとするという非常に「不快な構図」という一面を持っています。
深刻な問題はこれを「不快な構図」として理解しないテレ朝の見識・感覚です。私には供え物の持ち去りよりも、テレ朝の見識の方が余程重大な問題に思えます。子供のような正義感、面白ければよいといった、社会常識から遊離した感覚が心配です。そして彼らは社会に影響力を行使できる立場にあるのです。
他人の恥部を暴くことにばかり熱中していると、自分の恥が見えなくなるのでしょうか。
ひとつは「昼は主婦、夜は泥棒」「二つの顔を持つ女」と題して、深夜、鍵のかかっていない民家を専門に窃盗を働いていた主婦を取り上げたものでした。3人の子供の教育費と家のローン返済に追われていたそうです。
普通なら報道されることがないと思われるコソ泥程度の容疑者を、テレ朝は実名と共に住居や付近の映像を全国に放送しました。彼女の住む地域で、この事件は知れわたり、彼女の家族は近所の人に特定されたことでしょう。気の毒なのは何も知らなかった彼女の家族、夫と学齢期の3人の子供です。
テレ朝は「二つの顔を持つ女」として面白おかしく視聴者に提供しつつ、罪のない容疑者の家族を地獄に突き落とす手伝いをしました。犯罪者が刑を受け罪を償う以外に、メディアが恣意的に、つまり話題として面白いなどの理由で取り上げ、犯罪者とその家族に社会的制裁を加えてよいのでしょうか。テレ朝が制裁を判断する審判者になるのです。賢明な審判者ならまだいいのですが・・・。
容疑者の住居はその家族の住居でもあります。視聴者が僅かな娯楽を得るのと引替えに、容疑者の家族にまで不利益をもたらす行為は正当化できるのでしょうか。もしテレ朝に取り上げられなければ、容疑者は執行猶予付の判決を得て彼女の家庭はより平穏な生活を続けられたかも知れません。
もうひとつの話題は秋葉原事件の後、設けられた献花台の上の供え物を持ち去る人々を取り上げたものです。カメラは、献花台に近づき食べ物やペットボトル、タバコなどの供え物を持ち去る人物を追います。カメラは気づかれないように隠してあるのでしょう。
ディレクターと呼ばれた若い男がマイクを片手に初老の持ち去り男を追いかけて行きます。そしてなぜ持っていくのかなどと詰問します。なおも去ろうとする男を執拗に追いかけ、追求し、品物を戻すように迫ります。差し出した品物に満足せず、もっとある筈だとなおも追求します。
持ち去るのはホームレスや派遣労働者と思しき人々であり、十分な食物に恵まれているようには見えません。持ち去る前に、何度も献花台の前を行ったり戻ったりする若者の姿もありました。きっと気が弱く、迷っているのでしょう。
供え物は、いずれは捨てられるものと思われます。持ち去る人にはそういう気持ちがあるのでしょう。それに対してディレクターは供えた人の気持ちを踏みにじる行為だと詰め寄ります。若いディレクターは年長者に「指導」をしますが、閉口したのはその執拗さです。
放送という公共の役割を担うものが、些細なことを取り上げ、子供じみた正義を振りかざして詰問までする姿勢に疑問を感じます。世の中には「寛容の範囲」というべきものがあり、些細なことまで他人が口出すのは大人げない行為です。警察ですらこんなことはしません。
献花台を「罠」として隠れ待ち、やってきた「獲物」を無断でこっそりと撮影するという卑怯な手口。弱い立場の人間の恥を暴いて娯楽として提供する商売。まあよく嫌にならないものだと感心します。せっかくの娯楽ですが、私にとっては極めて不快な番組でした。
この番組は、恵まれたスタッフが、些細な不道徳行為を理由に、食物にも事欠く人々から食物を取り上げようとするという非常に「不快な構図」という一面を持っています。
深刻な問題はこれを「不快な構図」として理解しないテレ朝の見識・感覚です。私には供え物の持ち去りよりも、テレ朝の見識の方が余程重大な問題に思えます。子供のような正義感、面白ければよいといった、社会常識から遊離した感覚が心配です。そして彼らは社会に影響力を行使できる立場にあるのです。
他人の恥部を暴くことにばかり熱中していると、自分の恥が見えなくなるのでしょうか。