性善説は人の本性は善であるとし、性悪説は悪と説きます。同じものについてまったく逆の説明をするわけですから、どちらかが誤り、あるいは両方が誤りと考えるのが道理です。
どちらも紀元前の中国の思想ですが、その時代には他方で、人の本性は善でも悪でもない、善の人も悪の人もいる、あるいは善と悪が入り混じっているという考えもあったそうです。私にはこれら中間派の考えの方がより適切だと思われますが、にもかかわらず、今日まで生き残っているのは何故か極端な、性善説と性悪説です。
性善説も性悪説も一面だけを強調し、そして複雑なものを単純化して理解しようとする点で共通します。それらはしばしば誤った説を作り上げる原因となります。世の中には〇〇説とか〇〇思想とかが山ほどあり、それぞれが「近親間」で対立を続けていますが、その対立の多くは一面だけの強調や、粗雑な単純化による誤りのためでしょう。
性善説も性悪説も単純化のおかげで非常にわかりやすく、しかもインパクトがあります。そのために両者とも広く受け入れられたのだと思われます。その理由のひとつとして、白か黒かで判断することを好み、白から黒の連続した灰色の中に最適な点を見つける面倒さを避けたがる我々の性向が挙げられるでしょう。中間派の説はより現実に近いものであるにもかかわらず、灰色のためにインパクトに乏しく、あまり知られていません。
善と悪という単純な二項対立にも問題があります。これに関しては1999年の蓮実重彦元東大総長の入学式式辞における発言が参考になります。あくまで一般論としてですが。
『そうした混乱のほとんどは、ごく単純な二項対立をとりあえず想定し、それが対立概念として成立するか否かの検証を放棄し、その一方に優位を認めずにはおかない性急な姿勢がもたらすものです。そうした姿勢は(中略)、現実の分析を回避する知性の怠慢を証言するのみであります』
〇〇説を作り出すのも、それを対立する××説を出して批判するのも学者の仕事です。極端な議論には怪しいものが多く、無用の混乱を招いているのですが、反面、それらは多くの学者センセイ方のメシのタネになっているわけで、簡単に辞められない事情があります。出版やマスコミもそのお相伴にあずかっていますが。
こうしてみると性善説と性悪説から様々な問題が見えてきます。学校ではその内容を簡単に習うだけですが、性善説と性悪説は人が真面目に考え抜いた上で間違いを犯す典型例であるとして教えてはいかがでしょうか。
またもう少し一般化して、〇〇主義や〇〇思想というものは誤りに陥りやすい性質を本来的に備えていることを教えてはどうでしょう。教育によって、主義や思想に熱くなって冷静さを失う人間が減れば、世の中の平和に少しは役立つかもしれません。
どちらも紀元前の中国の思想ですが、その時代には他方で、人の本性は善でも悪でもない、善の人も悪の人もいる、あるいは善と悪が入り混じっているという考えもあったそうです。私にはこれら中間派の考えの方がより適切だと思われますが、にもかかわらず、今日まで生き残っているのは何故か極端な、性善説と性悪説です。
性善説も性悪説も一面だけを強調し、そして複雑なものを単純化して理解しようとする点で共通します。それらはしばしば誤った説を作り上げる原因となります。世の中には〇〇説とか〇〇思想とかが山ほどあり、それぞれが「近親間」で対立を続けていますが、その対立の多くは一面だけの強調や、粗雑な単純化による誤りのためでしょう。
性善説も性悪説も単純化のおかげで非常にわかりやすく、しかもインパクトがあります。そのために両者とも広く受け入れられたのだと思われます。その理由のひとつとして、白か黒かで判断することを好み、白から黒の連続した灰色の中に最適な点を見つける面倒さを避けたがる我々の性向が挙げられるでしょう。中間派の説はより現実に近いものであるにもかかわらず、灰色のためにインパクトに乏しく、あまり知られていません。
善と悪という単純な二項対立にも問題があります。これに関しては1999年の蓮実重彦元東大総長の入学式式辞における発言が参考になります。あくまで一般論としてですが。
『そうした混乱のほとんどは、ごく単純な二項対立をとりあえず想定し、それが対立概念として成立するか否かの検証を放棄し、その一方に優位を認めずにはおかない性急な姿勢がもたらすものです。そうした姿勢は(中略)、現実の分析を回避する知性の怠慢を証言するのみであります』
〇〇説を作り出すのも、それを対立する××説を出して批判するのも学者の仕事です。極端な議論には怪しいものが多く、無用の混乱を招いているのですが、反面、それらは多くの学者センセイ方のメシのタネになっているわけで、簡単に辞められない事情があります。出版やマスコミもそのお相伴にあずかっていますが。
こうしてみると性善説と性悪説から様々な問題が見えてきます。学校ではその内容を簡単に習うだけですが、性善説と性悪説は人が真面目に考え抜いた上で間違いを犯す典型例であるとして教えてはいかがでしょうか。
またもう少し一般化して、〇〇主義や〇〇思想というものは誤りに陥りやすい性質を本来的に備えていることを教えてはどうでしょう。教育によって、主義や思想に熱くなって冷静さを失う人間が減れば、世の中の平和に少しは役立つかもしれません。