自転車が歩行者と衝突する事故が増え、昨年の死者は5人に達したと、一時マスコミ騒ぎました。これを受け、警察庁は自転車の歩道通行を制限する方向を打ち出しました。これに関しては自転車のマナーの悪さなど、多くの報道がなされましたが、自転車乗車中の死亡者数が昨年は658人であったことに言及した報道はなかったように思います。
この死者658人の大部分は車道での対自動車の事故であると思われます。自転車の歩道通行を制限し、車道へ追い出せば、死者が増えることはあっても減ることはないでしょう。自転車による歩行者の死者5人に対して、自転車の死者は658人と100倍以上あるため、仮に3%の増加でも20人増えることになります。
歩行者の危険を強調する報道がほとんどでしたが、歩道から車道へ追い出される自転車の側の事情にも触れなければまともな議論になりません。いつもながら一斉に同じ方向に流れるマスコミの付和雷同体質です。それが「自発的に」であるだけにいっそう不気味です。
自転車は軽車両に分類され、車道通行が原則とされています。このこと自体が適切なのでしょうか。単純に車輪の有無で区分されたのかもしれませんが、人間と自転車、自動車の性質から見ると別の分類も考えられます。
異種間の衝突という観点からすれば、それぞれの重さ、速度、そして破壊力につながる運動エネルギーの大きさが重要になります。重さを人間55Kg、自転車70Kg、自動車1500Kgとし、速度をそれぞれ5Km/h、15Km/h、50Km/hとすると各比率は以下のようになります。
重さの比 1 : 1.3 : 27
速度の比 1 : 3 : 10
運動エネルギーの比 1 : 11 : 2700
どの比率を見ても自転車は人間に近い位置を占めています。とくに自動車の運動エネルギーは人間の2700倍、自転車の約250倍と大差があります。そして自動車は箱に囲まれていますが、人間と自転車は生身です。この3区分にすべきものを無理やり2つに区分するならば、自転車は人間と同じグループに入れる方が物理的には理に適います。少なくともタマ(車輪のことです)の有無で区分するよりはマシでしょう。
自転車の歩道通行が認められたのは78年頃(*1)だそうですが、これは事故の増加という実情に対処するために軽車両という形式的な古い分類を実質的に変更したものと解釈できます。したがって自転車の加害性だけを強調し、本来の車道走行に戻すべきだという意見は問題の一面だけを見るものです。
マスコミが一面的な理解に基づいて騒ぎ立て、それに迎合する形で、あるいは「民主的警察」を演じる形で、警察が動くという事態にならないように願いたいものです。
(*1)この翌年には自転車事故の死者数が1割程度減少しました。
この死者658人の大部分は車道での対自動車の事故であると思われます。自転車の歩道通行を制限し、車道へ追い出せば、死者が増えることはあっても減ることはないでしょう。自転車による歩行者の死者5人に対して、自転車の死者は658人と100倍以上あるため、仮に3%の増加でも20人増えることになります。
歩行者の危険を強調する報道がほとんどでしたが、歩道から車道へ追い出される自転車の側の事情にも触れなければまともな議論になりません。いつもながら一斉に同じ方向に流れるマスコミの付和雷同体質です。それが「自発的に」であるだけにいっそう不気味です。
自転車は軽車両に分類され、車道通行が原則とされています。このこと自体が適切なのでしょうか。単純に車輪の有無で区分されたのかもしれませんが、人間と自転車、自動車の性質から見ると別の分類も考えられます。
異種間の衝突という観点からすれば、それぞれの重さ、速度、そして破壊力につながる運動エネルギーの大きさが重要になります。重さを人間55Kg、自転車70Kg、自動車1500Kgとし、速度をそれぞれ5Km/h、15Km/h、50Km/hとすると各比率は以下のようになります。
重さの比 1 : 1.3 : 27
速度の比 1 : 3 : 10
運動エネルギーの比 1 : 11 : 2700
どの比率を見ても自転車は人間に近い位置を占めています。とくに自動車の運動エネルギーは人間の2700倍、自転車の約250倍と大差があります。そして自動車は箱に囲まれていますが、人間と自転車は生身です。この3区分にすべきものを無理やり2つに区分するならば、自転車は人間と同じグループに入れる方が物理的には理に適います。少なくともタマ(車輪のことです)の有無で区分するよりはマシでしょう。
自転車の歩道通行が認められたのは78年頃(*1)だそうですが、これは事故の増加という実情に対処するために軽車両という形式的な古い分類を実質的に変更したものと解釈できます。したがって自転車の加害性だけを強調し、本来の車道走行に戻すべきだという意見は問題の一面だけを見るものです。
マスコミが一面的な理解に基づいて騒ぎ立て、それに迎合する形で、あるいは「民主的警察」を演じる形で、警察が動くという事態にならないように願いたいものです。
(*1)この翌年には自転車事故の死者数が1割程度減少しました。