昨年はTPP加入に関する議論が盛んに行われました。朝日の社説が加入に賛成の立場から「資源に乏しい日本は戦後、一貫して自由貿易の恩恵を受けながら経済成長を果たしてきた」と述べたように、これをTPP加入の有力な根拠として挙げている議論が多く見られました。
つまり日本は自由貿易の恩恵を受けてきたから、これからも自由化を進めれば日本はさらに大きな恩恵を受ける、という論理です。一見、説得力があるようですが、これは自由化とそれによる恩恵がいつまでも正の比例関係にあるという前提に立っています。ならばその前提の根拠を示す必要がありますが、それはなかったようです。
自由化は全体の生産効率という点では優れていますが、特定の重要産業の保護という点では問題が生じます。自由化のために日本の林業が衰退し、山林が荒れてしまったのはその例です。保護の必要があるからこそ関税などの貿易障壁が存在する意味があるわけで、自由化と産業保護は二律背反です。
たしかに貿易の自由が全くない状態と完全な自由貿易という極端な場合を比較すれば自由な方が利点が多いと思われます。しかしこの両極端は現実的なものではなく、現実には両者の中間のどこかに最適な点(確定は難しいとしても)があると考えられます。
TPP加入の議論ではすべての物品の自由化率についての得失を予測した上で全体を評価することが重要であり、素人には難しいものです(にもかかわらず堂々と賛否を言う方々の勇気にはまったく感心しますが)。したがって自由化で恩恵を受けたからその方向が正しい、といった単純・抽象的な議論はわかりやすい反面、たいへん怪しいもので、詭弁といってもよいでしょう(意図的な詭弁ではなく単に本人の無思慮によるものでしょうけれど)。
ここでTPP加入の是非を言うつもりはありません。事例の説明が長くなりましたが、このような中間の最適点を求めるべき場合でも、抽象的な二項対立の議論になりがちであることを言いたいのです。
所得の再分配をしなければ格差拡大よって不安定な社会を招き、再分配を徹底すれば社会の沈滞を招くことは既に経験したことです。このように二律背反を含む二項対立の構図はしばしば見られます。何十年も意見が対立したまま、不毛な議論が延々と続くことはありふれたことです。まあ勝った負けたと議論を楽しむのであれば勝手ですが。
議論の明確化のためもあるでしょうが、二つの立場は概ね対極にあります。孔子やアリストテレスの中庸を持ち出すまでもなく、現実の最適解は両者の中間にあることがほとんどですが、それはあまり重要視されないようです。地道な実証研究によって最適解を求めるべきところが、わかりやすさや好みによって決まることが少なくありません。わかりやすい意見は多数の支持を得やすく、多数が決定するのが民主主義なのですから。
最適解が中間に存在するというのは世の中の多くの事柄が単純な正比例の関係、つまり一次関数で表せる関係ではないということです。むしろ極大値や極小値が中間にある二次関数や高次の関数の一部分に似ています。関数はこのような現象を理解するのに役立つ筈です。
現在の教育はこのような不毛な議論を避けるのにあまり役立っていないと思います。上記の例のように、世の中には二律背反の事象が多くあり、その対立概念が適切かどうかにはあまり注意せず、単純に一方を是とするような人が多くては困るわけです。これは今の教育の欠陥であると私は思っています。
つまり日本は自由貿易の恩恵を受けてきたから、これからも自由化を進めれば日本はさらに大きな恩恵を受ける、という論理です。一見、説得力があるようですが、これは自由化とそれによる恩恵がいつまでも正の比例関係にあるという前提に立っています。ならばその前提の根拠を示す必要がありますが、それはなかったようです。
自由化は全体の生産効率という点では優れていますが、特定の重要産業の保護という点では問題が生じます。自由化のために日本の林業が衰退し、山林が荒れてしまったのはその例です。保護の必要があるからこそ関税などの貿易障壁が存在する意味があるわけで、自由化と産業保護は二律背反です。
たしかに貿易の自由が全くない状態と完全な自由貿易という極端な場合を比較すれば自由な方が利点が多いと思われます。しかしこの両極端は現実的なものではなく、現実には両者の中間のどこかに最適な点(確定は難しいとしても)があると考えられます。
TPP加入の議論ではすべての物品の自由化率についての得失を予測した上で全体を評価することが重要であり、素人には難しいものです(にもかかわらず堂々と賛否を言う方々の勇気にはまったく感心しますが)。したがって自由化で恩恵を受けたからその方向が正しい、といった単純・抽象的な議論はわかりやすい反面、たいへん怪しいもので、詭弁といってもよいでしょう(意図的な詭弁ではなく単に本人の無思慮によるものでしょうけれど)。
ここでTPP加入の是非を言うつもりはありません。事例の説明が長くなりましたが、このような中間の最適点を求めるべき場合でも、抽象的な二項対立の議論になりがちであることを言いたいのです。
所得の再分配をしなければ格差拡大よって不安定な社会を招き、再分配を徹底すれば社会の沈滞を招くことは既に経験したことです。このように二律背反を含む二項対立の構図はしばしば見られます。何十年も意見が対立したまま、不毛な議論が延々と続くことはありふれたことです。まあ勝った負けたと議論を楽しむのであれば勝手ですが。
議論の明確化のためもあるでしょうが、二つの立場は概ね対極にあります。孔子やアリストテレスの中庸を持ち出すまでもなく、現実の最適解は両者の中間にあることがほとんどですが、それはあまり重要視されないようです。地道な実証研究によって最適解を求めるべきところが、わかりやすさや好みによって決まることが少なくありません。わかりやすい意見は多数の支持を得やすく、多数が決定するのが民主主義なのですから。
最適解が中間に存在するというのは世の中の多くの事柄が単純な正比例の関係、つまり一次関数で表せる関係ではないということです。むしろ極大値や極小値が中間にある二次関数や高次の関数の一部分に似ています。関数はこのような現象を理解するのに役立つ筈です。
現在の教育はこのような不毛な議論を避けるのにあまり役立っていないと思います。上記の例のように、世の中には二律背反の事象が多くあり、その対立概念が適切かどうかにはあまり注意せず、単純に一方を是とするような人が多くては困るわけです。これは今の教育の欠陥であると私は思っています。