噛みつき評論 ブログ版

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クソ真面目人間と原発事故

2012-09-17 10:06:04 | マスメディア
 福島第一原発の事故では、バッテリーの到着の遅れが事故拡大の理由となった可能性が指摘されています。東電のテレビ会議の記録から明らかにされたことですが、地震の翌日の3月12日の朝発注された1千個のバッテリーのうち320個が現場に到着したのは2日以上経った14日の午後8~9時であったそうです。すでに炉心溶融、3号機の爆発が起きた後でした。バッテリーは計器や弁操作の電源として使われるもので原発を制御するための非常に重要なものです。

 遅れた理由は、トラックが高速道路の利用許可の問題などで都内からなかなか出られなかった、ことだそうです。高速道路の利用許可などの遅れのために原発事故がより苛酷なものになったとすればちょっとお粗末すぎます。

 利用許可を出す担当者は規則に従って「適切な」業務を行ったに過ぎないかもしれません。むろんバッテリーの緊急性を伝える側にも問題があった可能性もありますが、許可する側の硬直性が原因になったことも考えられます。何のための道路の利用許可か知りませんが、許可の担当者や関係者が緊急性を理解し、規則を無視してすぐに許可を出す、という手がなかったかという疑問が生じます。

 推測に過ぎませんが、多分この関係者らは規則をちゃんと守る真面目な人達であったのだと思います。だとすれば規則をきちんと守るという見上げた心がけがとんでもない被害に結びついたことになります。「規則ですから」と役人に理不尽な扱いを受けた経験のある方は少なくないでしょう。なにしろ前例踏襲は役人の最大の特質ですから。

 ソクラテスが「悪法もまた法なり」と言って毒杯をあおいで死んだという話はよく知られ、教科書にも載っていた記憶があります。法治の重要性を説明するためにしばしば引き合いに出されます。この考え方は法を絶対視するところがあり、原理主義に通じるものがあります。かといって常習犯罪者のようにいつも法を気軽に無視する人間が多くては社会の秩序が維持できません。

 ソクラテスと常習犯は両極端であり、どちらも現実的ではありません。推奨されるべきは原則的には法に従うが、必要に応じて破ることもある、というところでしょうか。法は完全なものではあり得ないからです。それに四角四面の堅物ばかりでは世の中が面白くありません。まあ、破る手加減を学校で教えるのはちょっと難しいでしょうけれど。

 車が通らなければ赤信号でも平気で渡る国がある一方、車の通行が全くない場所でも日本人は青信号になってから横断するといわれています。真面目なのは国民性なのでしょう。それに加え、どこにでも石頭の連中はいるものです。

 少なくとも非常時には規則など無視してよい、あるいはより重要な目的のためには破ってよいと教えてはいかがでしょうか。ちなみに刑法では自分や他人の命の危険を避けるために違法行為をした場合などにその違法性を免れる緊急避難という実に都合のよいものがあります。