噛みつき評論 ブログ版

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現代のパリサイ人(びと)

2015-11-23 09:00:11 | マスメディア
 安保法制が成立してから約2ヵ月、その話はメディアからすっかり消え失せました。成立前の騒ぎの大きさからすると、あの騒ぎはいったい何だったのか、と思ってしまいます。これが熱しやすく醒めやすい日本メディアの特徴だと言われば、返す言葉もありませんが。。

 従って「いまさら」の感がありますが、先月の産経のコラム、産経抄(10/10)に面白い話があったので紹介したいと思います。コラムでは米カリフォルニア州弁護士、ケント・ギルバート氏の意見を取り上げています。

「憲法とは本来、権力者に義務を課すことで専制を防ぐものだ。権力者の義務には、他国の侵略を防ぐ国防が含まれる。国防義務を十分に果たす上で9条が障害であれば、9条こそが憲法違反となる…。」

 9条は憲法の一部ですから、憲法違反という言い方は適切ではなく(その方が面白いですが)、国防を否定しているので、憲法として不適切、憲法に当然必要とされる要件を満たしていないというべきでしょう。

 憲法とは国のあるべき形を成文化したものと考えられます。とすれば、あるべき形と憲法のどちらが優先すべきものかは明らかでしょう。まあ形式上のことはともかく、ギルバート氏の意見は憲法の上位概念からの憲法評価であり、憲法論議に一石を投ずるものです。

 またコラムは「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである」というイエス・キリストの言葉を紹介し、「憲法を聖典化し、その解釈権を独占して自らの権威を守ろうとしている現代のパリサイ人(ユダヤ教の律法学者)」と、現在の憲法学者をパリサイ人に重ね合わせます。

 形式的な法の解釈にこだわる立場と現実的な対応を重視する立場との対立は2千年前も現代もあまり変わらないようです。もしかしたら、形式主義者と現実主義者、頭の構造が異なる二種類の人間がいるのかも知れません。

 今回の安保法制の騒ぎでは、珍しくも数多くの憲法学者が登場しました。法学は実学に分類されますが、憲法学は実学から遠い反面、イデオロギーとの関係性が強いためか、左派が多くを占めるとも言われています。憲法学者がイデオロギーを背景に、重要な安全保障政策にまで口を出せば、まさに現代のパリサイ人になるでしょう。