京都は三方が山に囲まれているため、比較的風が弱い。台風の上陸地から遠いこともあり、過去に何度かやってきたが、風による被害は少なかった。というわけで9月4日の午後に接近した台風21号の際も多くの人はあまり心配しなかった。私は嵐を見るのが好きで、少々期待もあった。
ところが風は予想外に強く(市内の最大瞬間風速は39.4m/s)、一時は風雨の中での防護作業を強いられ、見物どころではなかった。周りの人達も予想外の強さに驚いていた。事前に気象庁の発する情報が間違っていたのではない。気象庁は最大限の警戒を求めていたわけである。ただいつも気象庁は最大限の警戒を求めているので、今回も同じようなもので大したことはない、と考えていだけである。この強風は第二室戸台風以来の強さで、通常は30m/s程度にしかならなかったのに比べ、1.3倍ほどであるが、風圧力は二乗に比例するので1.72倍となる。倒木は数知れず、住宅や配電設備の被害も少なくなかった。
結局、気象庁がさんざん呼びかけた注意は視聴者には十分伝わらなかったことになる。7月の西日本豪雨では11府県に大雨特別警報が出たがその意味が十分周知されていず、効果が限定的で多大の被害が出たと言われている。予報精度はよくなったが、それが正しく理解されていなければ意味がない。そこで気象庁の情報伝達リテラシーを考えたい。
気象庁は台風を強い台風、非常に強い台風、猛烈な台風と3種類に分けている(弱い台風というものは実在するが分類にはない)。これは風速による分類であるが(他に大きさによる3分類がある)、3段階とはちょっと粗雑にすぎるように思う。米国のハリケーンは5段階である。中心気圧や中心付近の風速も発表されるが、素人にわかりやすいのは段階的表記であろう。
また、用語がわかりにくい。大雨注意報や大雨警報は分かるが「記録的短時間大雨情報」というのはわかりにくい。短時間とはどれくらいの時間なのか、長時間ならどう表現するのだろうか。また数十年に一度起きるという場合の特別警報もあるが、数十年に一度起きると言われてもわからない。数値や段階で表せないのかと思う。必要なのは文学的表現ではなく客観的表現である。
最上位の特別警報は昨年まで府県単位の発令であった。限られた地域にどれだけ大雨が降っても発令されないこともあった。大雨は府県全体に降ることなどあまりないのに、なぜこんなことに決めたのか、気象庁の考えていることは理解できない。しかし、昨年から市町村単位になった(あたりまえでしょ)。
表現が客観性に欠け、油断させないためだろうが誇張された表現が多いことも気になる。台風は日本の南海上で最も発達し、日本に近づくにつれて徐々に衰え、上陸後は急速に衰えるのが普通である。しかし気象庁は「衰える」という言葉をまず使わない。よく使うのは「勢力を維持したまま」という表現である。事実を伝えない姿勢が信用を失わせる。
実験室で20m/sの風速はこれほどすごい、といった映像をテレビは毎回のように見せるが、たいてい誇張がある。それよりも風速が2倍になれば風圧力は4倍になるということを知らせるべきである(テレビ局も知らないのだろう)。それがわからないと予想風速が何m/sと言われても意味が正確に伝わらない。40m/sなら20m/sの4倍の力となる。相当な違いである。
気象庁にすれば過少な予報のために被害が出ると責任を追及されるかもしれないので、誇張方向へのバイアスがかかるのだろうが、それを続けるとオオカミ少年となる。それは気象庁の信用が低下するのと同じである。それを避けるには予報を客観的な表現にするのがよいと思う。予想降雨量や最大風速はすでに数値化されているが、それでは素人にはわかりにくいので、A~E、1~5などのように段階的な表記がよいのではないか。
また、台風や大雨が予想されるとき、気象庁の予報官などがテレビに登場する。彼らはとても優秀な人達なのだろうが、なぜか説得力という点では感心しない。凄いことを言っても印象が軽いのである。説明が上手く、かつ信用のありそうな人物を広報担当にされてはどうか。その方がよく伝わるだろう。
ところが風は予想外に強く(市内の最大瞬間風速は39.4m/s)、一時は風雨の中での防護作業を強いられ、見物どころではなかった。周りの人達も予想外の強さに驚いていた。事前に気象庁の発する情報が間違っていたのではない。気象庁は最大限の警戒を求めていたわけである。ただいつも気象庁は最大限の警戒を求めているので、今回も同じようなもので大したことはない、と考えていだけである。この強風は第二室戸台風以来の強さで、通常は30m/s程度にしかならなかったのに比べ、1.3倍ほどであるが、風圧力は二乗に比例するので1.72倍となる。倒木は数知れず、住宅や配電設備の被害も少なくなかった。
結局、気象庁がさんざん呼びかけた注意は視聴者には十分伝わらなかったことになる。7月の西日本豪雨では11府県に大雨特別警報が出たがその意味が十分周知されていず、効果が限定的で多大の被害が出たと言われている。予報精度はよくなったが、それが正しく理解されていなければ意味がない。そこで気象庁の情報伝達リテラシーを考えたい。
気象庁は台風を強い台風、非常に強い台風、猛烈な台風と3種類に分けている(弱い台風というものは実在するが分類にはない)。これは風速による分類であるが(他に大きさによる3分類がある)、3段階とはちょっと粗雑にすぎるように思う。米国のハリケーンは5段階である。中心気圧や中心付近の風速も発表されるが、素人にわかりやすいのは段階的表記であろう。
また、用語がわかりにくい。大雨注意報や大雨警報は分かるが「記録的短時間大雨情報」というのはわかりにくい。短時間とはどれくらいの時間なのか、長時間ならどう表現するのだろうか。また数十年に一度起きるという場合の特別警報もあるが、数十年に一度起きると言われてもわからない。数値や段階で表せないのかと思う。必要なのは文学的表現ではなく客観的表現である。
最上位の特別警報は昨年まで府県単位の発令であった。限られた地域にどれだけ大雨が降っても発令されないこともあった。大雨は府県全体に降ることなどあまりないのに、なぜこんなことに決めたのか、気象庁の考えていることは理解できない。しかし、昨年から市町村単位になった(あたりまえでしょ)。
表現が客観性に欠け、油断させないためだろうが誇張された表現が多いことも気になる。台風は日本の南海上で最も発達し、日本に近づくにつれて徐々に衰え、上陸後は急速に衰えるのが普通である。しかし気象庁は「衰える」という言葉をまず使わない。よく使うのは「勢力を維持したまま」という表現である。事実を伝えない姿勢が信用を失わせる。
実験室で20m/sの風速はこれほどすごい、といった映像をテレビは毎回のように見せるが、たいてい誇張がある。それよりも風速が2倍になれば風圧力は4倍になるということを知らせるべきである(テレビ局も知らないのだろう)。それがわからないと予想風速が何m/sと言われても意味が正確に伝わらない。40m/sなら20m/sの4倍の力となる。相当な違いである。
気象庁にすれば過少な予報のために被害が出ると責任を追及されるかもしれないので、誇張方向へのバイアスがかかるのだろうが、それを続けるとオオカミ少年となる。それは気象庁の信用が低下するのと同じである。それを避けるには予報を客観的な表現にするのがよいと思う。予想降雨量や最大風速はすでに数値化されているが、それでは素人にはわかりにくいので、A~E、1~5などのように段階的な表記がよいのではないか。
また、台風や大雨が予想されるとき、気象庁の予報官などがテレビに登場する。彼らはとても優秀な人達なのだろうが、なぜか説得力という点では感心しない。凄いことを言っても印象が軽いのである。説明が上手く、かつ信用のありそうな人物を広報担当にされてはどうか。その方がよく伝わるだろう。