中国脅威論というものがあります。「中国 脅威」をグーグルで検索すると実に1220万件もヒットし、中国脅威論はネットではかなり盛んに論じられていることがわかります。しかし、産経以外の既存メディアで中国脅威論が目につくことはほとんどありません。
1966年、産経をはじめとする新聞各社は北京から追放されました(朝日だけは例外的に残ることを許されました)。このような経緯もあり、大手メディアには中国恐しというトラウマがあるのかもしれません。
朝日は中国から唯一優遇された新聞というわけで、それが親中報道とか媚中報道と批判される理由のひとつになっています。ところが意外にもその朝日が運営する WEBRONZA に「中国は脅威か?」と題する中国脅威論が載りました。WEBRONZAは朝日が発行する月刊誌「論座」が販売不振で休刊(実質は廃刊)になった後を継ぐものと思われます。筆者は元朝日新聞編集委員の萩谷順 法政大学法学部教授で、次のように述べています。
「第二次世界大戦後、とりわけ冷戦終結後、軍事技術が急速に進歩し、中国にそれを装備できる経済力が備わったことによって、事態は一変しました。中国の意図はともかく、目の前に隠しようもなく、あからさまに存在するようになった強大な軍事力は、それだけで客観的脅威です」
その上でかなり控えめながら軍事の重要性をも含めた「まともな」結論に至ります。
「軍事が外交や権益拡大の裏打ちになるという現実には変わりはありません。米欧日が経済危機に瀕し、基礎体力を失いつつあるいま、中国をどう見るか、そして日本がアジア太平洋地域で安全と平和そして私たちの基本的価値をどう守っていくかという大戦略を考える必要は日増しに大きくなっていきます」
ご興味があれば上のリンクから原文をお読みいただきたいのですが、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」といった空想的な建前論・平和論を前提とした朝日の従来の主張とは一線を画すものです。これがマイナーな媒体であるWEBRONZAでなく朝日の本紙に載ればよいのですが、それはまず望めないことでしょう。
戦前、日本は周辺国にとって軍事的な脅威であり、やがて脅威は現実になりました。現行憲法の9条はそんなことが二度と起きないように作られ、軍事力は防衛のための必要最小限度に抑えられました。しかし現在、脅威を与える国は日本ではなく、軍事力・経済力ともに勝る中国です。平和のためにいま9条を持つべきは中国であり、「9条の会」の方々は中国に中国版9条の制定を働きかけるべきでしょう(無駄なことはわかっていますが)。
中国は従来から覇権主義・拡張主義の傾向があり、政治も安定的とは言えず、いつ中国製の東条英機やヒットラーが登場しないとは限りません。防衛は国の基本であり、あらゆる想定に基づく議論が国民に共有されることが必要だと思われます。中国脅威論がネットという言わば裏側の舞台だけで行われ、テレビ・新聞という表の舞台でほとんど見られないのは好ましくありません。
「9条の会」はいまだに活動を続けているようですが、発起人の年齢を見てわかるとおり、これは前世紀の遺物です。国際関係の変化に目を背け、永遠に主張を変えようとしない態度は度し難い頑迷さを示すものです。
「9条の会」の「誇るべき成果」は、日本が戦争をしかけることにばかり注意を向けさせ、戦争をしかけられる可能性を覆い隠したことにありましょう。9条を支持する立場は常に軍事力(防衛力)の増強に反対であり、そのためには他国からの攻撃の可能性を隠蔽したいという動機があるからです。
9条を支持したメディアも同罪で、彼らが作り出した世論が、ここ10年ほどの防衛予算の漸減傾向が実現させたといえるでしょう。中国の驚異的な軍事予算の増加と実に対照的です。言うまでもなく、国際関係が「平和を愛する諸国民の公正と信義」で決まるというのは夢物語です。軍事力がものをいう世界であり、平和のためには抑止力が重要であることは歴史を見ればわかります。9条の存在はこの抑止力を弱める方向に働きます。
核武装を口にするだけで政治家の首が飛ぶとも言われ、軍事力の必要性を主張すれば右翼呼ばわりされます(左翼はインテリで右翼は頭が弱いというイメージがあります)。夢から覚めて、あらゆる選択肢について自由に現実的な議論ができる状況をつくることが表側のメディアの役割であると思います。
1966年、産経をはじめとする新聞各社は北京から追放されました(朝日だけは例外的に残ることを許されました)。このような経緯もあり、大手メディアには中国恐しというトラウマがあるのかもしれません。
朝日は中国から唯一優遇された新聞というわけで、それが親中報道とか媚中報道と批判される理由のひとつになっています。ところが意外にもその朝日が運営する WEBRONZA に「中国は脅威か?」と題する中国脅威論が載りました。WEBRONZAは朝日が発行する月刊誌「論座」が販売不振で休刊(実質は廃刊)になった後を継ぐものと思われます。筆者は元朝日新聞編集委員の萩谷順 法政大学法学部教授で、次のように述べています。
「第二次世界大戦後、とりわけ冷戦終結後、軍事技術が急速に進歩し、中国にそれを装備できる経済力が備わったことによって、事態は一変しました。中国の意図はともかく、目の前に隠しようもなく、あからさまに存在するようになった強大な軍事力は、それだけで客観的脅威です」
その上でかなり控えめながら軍事の重要性をも含めた「まともな」結論に至ります。
「軍事が外交や権益拡大の裏打ちになるという現実には変わりはありません。米欧日が経済危機に瀕し、基礎体力を失いつつあるいま、中国をどう見るか、そして日本がアジア太平洋地域で安全と平和そして私たちの基本的価値をどう守っていくかという大戦略を考える必要は日増しに大きくなっていきます」
ご興味があれば上のリンクから原文をお読みいただきたいのですが、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」といった空想的な建前論・平和論を前提とした朝日の従来の主張とは一線を画すものです。これがマイナーな媒体であるWEBRONZAでなく朝日の本紙に載ればよいのですが、それはまず望めないことでしょう。
戦前、日本は周辺国にとって軍事的な脅威であり、やがて脅威は現実になりました。現行憲法の9条はそんなことが二度と起きないように作られ、軍事力は防衛のための必要最小限度に抑えられました。しかし現在、脅威を与える国は日本ではなく、軍事力・経済力ともに勝る中国です。平和のためにいま9条を持つべきは中国であり、「9条の会」の方々は中国に中国版9条の制定を働きかけるべきでしょう(無駄なことはわかっていますが)。
中国は従来から覇権主義・拡張主義の傾向があり、政治も安定的とは言えず、いつ中国製の東条英機やヒットラーが登場しないとは限りません。防衛は国の基本であり、あらゆる想定に基づく議論が国民に共有されることが必要だと思われます。中国脅威論がネットという言わば裏側の舞台だけで行われ、テレビ・新聞という表の舞台でほとんど見られないのは好ましくありません。
「9条の会」はいまだに活動を続けているようですが、発起人の年齢を見てわかるとおり、これは前世紀の遺物です。国際関係の変化に目を背け、永遠に主張を変えようとしない態度は度し難い頑迷さを示すものです。
「9条の会」の「誇るべき成果」は、日本が戦争をしかけることにばかり注意を向けさせ、戦争をしかけられる可能性を覆い隠したことにありましょう。9条を支持する立場は常に軍事力(防衛力)の増強に反対であり、そのためには他国からの攻撃の可能性を隠蔽したいという動機があるからです。
9条を支持したメディアも同罪で、彼らが作り出した世論が、ここ10年ほどの防衛予算の漸減傾向が実現させたといえるでしょう。中国の驚異的な軍事予算の増加と実に対照的です。言うまでもなく、国際関係が「平和を愛する諸国民の公正と信義」で決まるというのは夢物語です。軍事力がものをいう世界であり、平和のためには抑止力が重要であることは歴史を見ればわかります。9条の存在はこの抑止力を弱める方向に働きます。
核武装を口にするだけで政治家の首が飛ぶとも言われ、軍事力の必要性を主張すれば右翼呼ばわりされます(左翼はインテリで右翼は頭が弱いというイメージがあります)。夢から覚めて、あらゆる選択肢について自由に現実的な議論ができる状況をつくることが表側のメディアの役割であると思います。
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