噛みつき評論 ブログ版

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正義と不寛容を特質とする人達

2022-09-28 22:26:49 | マスメディア
 少し前、京都の宝ヶ池公園でのことである。ここでは時々ドラマの撮影が行われる。その際、撮影範囲に人が写っては困ることがあるのだろう、通行を2~3分間待ってくださいと撮影スタッフに言われることがある。むろん態度は丁寧だ。その日も1分ほど待って池の反対側へ行ったところ、そこには十数人の集団がいた。撮影の経緯を知った人がその旨を伝えると多くの人は撮影場所を避ける道を選んだ。しかしただ一人、60歳代と思われる女性が「私は行くよ、公園だから」と言って撮影場所に向かった。「少しくらい譲ってやったらいいでしょう」と私が言うと、彼女は「道を通る権利がある」と言い、行ってしまった。いさましい方である。彼女には正しいという信念があるように見えた。信念の中身が問題だが。

 交通機関で妊婦に席を譲ったり、老人の荷物を他人が持ってあげたりする光景を見ると心がなごむ。しかし宝ヶ池公園の60歳代の女性の行為を見ると、心が冷える。もしもこんな人が多数を占めたらどんなひどい世の中になるだろうと思うと暗い気持ちになる。

 なぜこんな話をしたかというと、安倍氏の国葬につながるからである。国葬の模様はテレビで見たが、その中に反対者の集会の映像があった。そこには国葬反対と大声でいきまいている女性が映し出され、それが宝ヶ池の女性が重なったというわけである。

 葬儀は亡き人を静かに送るものである。これは日本だけであるまい。大騒ぎする葬儀など見たことがない。それに酒を飲み過ぎて死んだ人ならともかく、演説中に非業の死を遂げられた方に対し、大騒ぎして反対するなど、許されることではない。人としてのもっとも基本的なモラルに反する。また、弔意を示し、安倍氏を静かに送ろうとする大多数の人々の心に対するひどい無礼である。心を踏みにじるとはこういうことを言うのだろう。

 国葬に反対する人々は、安倍氏に百の功績と一の失敗があっても安倍氏を許せない人達であろう。少しでも寛容な心があれば醜い反対運動などできまい。また葬儀の形式ということだけでここまで必死になるという気持ちも私には理解できない。これは彼ら自身が気づいていないかもしれないが、背後にある政治的な意図に踊らされている結果でもあろう。
厄介なのは彼らがそれを正義と信じていることである。「汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす」という山本夏彦氏の言葉が思い出される。コップの中の正義とでも言うべきか。

 より深刻な問題はメディアの姿勢である。国葬を中心に報道するように見えるが、本当の狙いは国葬をめぐる国民の分断、対立を映し出すことにあるようなメディアが少なくない。ごく少数者による反対運動を大きく取り上げすぎている。しかし、国葬は終わったのだから今から反対しても意味がない。もしまだ反対運動が続き、それをメディアが大きく取り上げることになれば、それは政治的な目的があるからだろう。この後のテーマは統一教会問題に移るかも知れないが。

 国葬に反対した人たちがすべてそうだとは言わないが、彼らの特質として不寛容と自分達の権利優先があるような気がする。また何年たっても「抑止力」が理解できないという不思議な頭を持っている。彼らは少数だがメディアが同調する限り、その影響力は何倍にもなる。

 言うまでもないが、安倍元首相は稀有の政治家であったし、葬儀はそれにふさわしいものであったと思う。とりわけ菅前首相の弔辞は胸を打つものがあった。葬儀の場でありながら自然発生的に拍手が起きたのはそれをよく表している。


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