鏡山の左側の森がくびれた場所が陸墓になる
河内王陵(かわちおうりょう)は、福岡県田川郡香春町にある古墳である。
通称は 「 外輪崎古墳 」 。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「 勾金(まがりかね)陵墓参考地 」
( 被葬候補者:第40代天武天皇皇孫長親王王子河内王 )として陸墓参考地に治定されている。
万葉集巻第三の417~419前文に「 河内王を豊前国鏡山(かがみのやま)に葬る時、
手持女王(たもちのおおきみ)の作る歌三首 」 とあり、
417番に「大王の親魄(にきたま)あへや
豊国の鏡山(かがみのやま)を 宮と定むる」と詠まれている。
河内王は太宰帥として九州に赴任し、この地で没したと言われる。
このため明治27年(1894)に、
天武天皇の皇子・河内王の勾金(まがりかね)陵墓参考地に治定された。
陸墓は現在はフェンスに囲まれ宮内庁が管理している。
横穴式の円墳であり、石室の一部が露出している。