ゆっくり一人歩き

いわゆる良い物ってどんなものだろう?考えるより、国宝を見るのが早いでしょう!国宝をゆっくり自分の目で見て廻ろう!

竹内街道歴史資料館・叡福寺と天皇陵

2013-09-05 23:29:01 | 歴史

富田林寺内町から太子町へ

竹内街道歴史資料館を目指します。

実は、この日のドライブは車のディーラーでみつけた『南阪奈道路で行く秋のおでかけドライブ』(近くの道の駅にも一杯置いてありましたけどね・・・)というパンフレットがきっかけ!!

最近どうも正規価格の嫌いな私は割引クーポンを使いながらの散策です。

↑竹内街道歴史資料館

日曜日・・・天気が悪かったこともありますが見学者は私一人・・・

入ってすぐのマジックビジョンとやらの映像が一番の見どころか・・・?

それなりに入場料も安かった。

 

お次は叡福寺!

聖徳太子の墓所とされているところです。

仁王門の先は正面奥に聖徳太子墓所で左手に金堂、右手に寺務所となっています。

あと仁王門の横には重文の多宝塔も・・・

創建当初の伽藍は信長に攻められた時に消失し、残っていない。

↑金堂

本尊は如意輪観音ということで中を覗くとうっすらとシルエットが見えた。

墓所に行く前に金堂横にある宝蔵に行く

仏像は平安期や鎌倉期のものもある。

消失前の絵画などを見て往時の姿を思い浮かべる・・・

入り口に灯篭が一つというのは古い形式らしいのですが、左右に一つずつあるよりも絵になりますよね!

聖徳太子はもちろん皇族なので墓所は現在、宮内庁の管轄

宝蔵の係員の人とも話したのですが、明治以前は普通に中に入れたようで内部の見取り図が残されています。

信長に攻められる以前の絵画には石畳が敷かれていたと現在より豪華な姿に描かれているし、一遍上人が参った時には装飾はほとんどなくて羨道部が開口しているように描かれています。

円墳の周囲には石柱があって、内側の石柱の方が古く、鎌倉期のものなのだそうです。

二上山にあるような石塔・・・

この塔も先程の石柱も二上山の凝灰岩のようです。

古い絵図に太子墓所裏の山の上に釈迦堂があったそうなので行ってみました。

今は石垣と宝篋印塔があるだけ・・・

叡福寺をあとにして近くの御陵を廻ります。

まずは聖徳太子の父

↑用明天皇陵

そして

聖徳太子の叔母ですね

他にも敏建陵や孝徳陵そして小野妹子の墓などもあるのですが

今回はここまで・・・近つ飛鳥博物館へ向かいます。

コメント
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