ゆっくり一人歩き

いわゆる良い物ってどんなものだろう?考えるより、国宝を見るのが早いでしょう!国宝をゆっくり自分の目で見て廻ろう!

古座川の一枚岩 滝の拝 虫喰岩

2018-11-30 21:27:24 | その他

潮岬から古座川の一枚岩へ向かう!

和歌山には変わった岩が沢山あるので廻ってみることにしました。

ここは以前から見てみたいと目をつけていた場所

やっと来れました・・・

一枚岩としては日本最大級といわれる

見えないところはどうなっているのか?ハッキリとはわかりませんからね!

でも、この一枚岩は見る限り、見えている部分以上に巨大な気がします。

川の対岸にあるので、これ以上は近寄れないのが残念・・・

夏場だったら泳いで近寄れるかもね!

愛を叫びたくなるような日本のウルルでした!

お次は滝の拝と呼ばれている所

ここは川底が一枚の岩盤みたいなのですが、

その岩盤に無数のポットホールが出来ているのです。

数個のポットホールは見たことがあるけれど、これは凄すぎ!

写真では、なかなか伝わらないだろうなぁ~

私は初めて見ましたよ!こんな地形!

川べりに神社があったので参拝

灯篭だと思っていたものを、よく見ると

丸い岩!

これ!ポットホールに入っていた岩じゃないでしょうかね?

最後は虫喰岩へ!

滝の拝の穴とは違う出来方の穴が一杯!

七里御浜から、この辺りまでは、このような穴の開いた岩が所々にありますよね・・・

でも、ここまでのは、珍しいですね!

端っこに祠があるのですが、

本来は虫喰岩の上部にあったそうで

見上げてみると、それらしき場所が確認できました。

 

取り合えず、個人的に、これらの三つの岩を今回の旅の和歌山三大奇岩に認定することにします!

 

和歌山の旅の締めは、やっぱり温泉!

悩んだ挙句に、数ある温泉から選んだのは

ゆかし潟にある「ゆりの山温泉」!

この周辺の温泉の特徴は湯量が豊富でぬるい!

お湯は浴槽だけでなく、洗い場のカランも垂れ流し状態

ただ湯温は体温とさほど変わりがないんじゃないかと思うぐらいヌルイ!

そのために長風呂で体を温める感じ・・・

私はやっぱり熱い方がいいかな(笑)

 

 

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潮岬

2018-11-27 21:12:25 | その他

紀伊大島を後にして潮岬へ!

タワー前の駐車場に車を止めて本州最南端へ

↑潮風の休憩所

無料休憩所が出来ていました。

休憩所ではあるけれど展示物も!

明治時代、串本の潜水士がニューギニアとオーストラリアの間の海域にまで

白蝶貝を採りに出稼ぎに行ったのだそうだ。

本州最南端の場所は展望台があったけれど、

この周辺の展望台としては、あまり景色はよくなかった・・・

駐車場付近に戻って潮岬観光タワーへ

一階は海難1890の映画の展示ブースになっていました。

映画で使われたセットや顔出しなど

そのうちにDVDでも借りて観てみよう・・・

車に乗って今度は潮岬灯台へ!

灯台のそばに神社があったので先にそちらで参拝!

山のてっぺんと一緒で岬の先にも神社はありますね!

さすがにここの社殿は石垣や木で覆われて暴風から守られています。

本殿もがっちり覆いで囲われているようです。

潮岬へは何度か来ましたが灯台は初めて

潮岬灯台は中に入れて登れる灯台

上からの眺めは最高だけど、台風が来たら怖いんだろうな・・・

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関西文化の日 樫野埼灯台旧官舎 トルコ記念館 

2018-11-26 22:46:55 | その他

橋杭岩から紀伊大島へ!

紀伊大島東端の樫野埼へ行きました。

駐車場からは綺麗に観光地化されている。

土産物屋等が数店あるけれど、どこも人が少なくて入り難い(笑)

先ずはトルコ記念館へ!

展示はエルトゥールル号関係のものばかりです。

記念館の窓を覗くと遭難地点

座礁地点は想像していたよりも、岬に近い岩!

こんなに近いのに屈強なはずの海軍人が沢山亡くなっているとは・・・

想像以上の嵐だったか、逃げ出す間もなく沈んでしまったのか・・・

↑慰霊碑

新しく見える慰霊碑ですが、建てられたのは昭和12年!

当時の世界情勢などを考えると非常に興味深いですね・・・

先へ進んで

↑樫野埼灯台旧官舎

明治時代に造られた日本最古の石造灯台官舎

トルコの軍艦エルトゥールル号が樫野埼で遭難した1890年

一番最初に遭難者が助けを求めて駆け込んだのが、この官舎!

今はガラス張りになっている扉が当時は引き戸だったそうだ。

樫野埼灯台は中には入れないけれど

外に螺旋階段が設けられていて登ることはできます。

なので他所では見ることのできないこんな↓姿も

ここにも灯台カードのQRコードがあったのでダウンロード!

やっぱり灯台は良いよねぇ~

お次は、ちょっと離れた場所にある日米修好記念館へ

駐車場に車を止めて記念館へ向かうとシャッターが閉まってる!

臨時休館の張り紙・・・

えぇ~もう残念過ぎる!

こんなとこまでなかなか来れないのに…

どうして関西文化の日の日曜日に休館してるかなぁ・・・

仕方がないので記念館の先にある岬へ

海金剛と呼ばれているらしい

雄大な眺めだけれど高所は怖かった・・・

 

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関西文化の日 橋杭岩

2018-11-25 18:27:59 | その他

太地から潮岬へ!

途中にある橋杭岩に立ち寄り

道の駅があるので観光客も入れ代わり立ち代わり訪れる場所でした。

あまりにも有名なので何度も写真や映像で見ていましたが、実際に見るのは初めて!

ここに来る道路沿いに数か所、規模の小さい似た地形がありましたが、

確かに、この景色は他にありませんよね!

遠浅なのにもビックリ!

見れば見るほど不思議な地形・・・

和歌山は温泉にしろ、地形にしろ、面白いところが沢山

交通の便さえ、もう少し良ければ・・・

 

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関西文化の日 太地町

2018-11-24 12:56:42 | その他

那智勝浦から太地町へ!

ここも関西文化の日の参加施設はないけれど

見ておきたい場所がありました。

くじらの博物館の前の広い公園には捕鯨船

800トンあるから、よく見る漁船と比べるとかなり大きい!

↑くじらの博物館

くじらの博物館は時間と費用の関係から今回はパス!

車を置いたままで、もう一つ先にある浜に歩いて向かう

イルカの追い込み漁を行う入江である。

実際には、ここからは入口しか見えない陰に隠れた入江だそうだ

そこに向かう遊歩道が整備されているのですが、

あの騒動の後で進入禁止になってしまった。

表向きには落石の恐れのための立ち入り禁止ですけどね・・・

今も妨害活動があるのかどうかは知らないけれど、

臨時に造られた交番は今もあります。

個人的には、くじらは知性があるから捕ってはいけないという理論には

違和感がありますけどね・・・

 

この後にくじらの見張り場のあった燈明崎へ!

↑吉備真備上陸碑

行くまで知りませんでしたが、吉備真備が唐からの帰りに、

この地に上陸したとの伝承があるそうだ。

唐から何をしたら、こんな場所に着くんだろうと思ってしまいますが、

伝承があるんだからしょうがないですよね!

なんと!燈明崎は、この前の台風で被害を受けたのか?

立ち入り禁止になっていた・・・残念!

岬の手前にあった神社に行ってみました。

金刀比羅神社だそうだ

祭神といい、造りといい三重から少し離れるだけで神社も変わるもんですね・・・

次は灯台のある梶取崎へ!

灯台があるので駐車場もあるし、公園になっていました。

駐車場の手前に面白い岩

石で叩いて音色で天候を占ったりするそうです。

↑くじらの供養碑

ここにも、くじらの見張り台がありますからね

↑梶取崎灯台

ダムカードみたいに灯台カードみたいなのがあればいいのにと思っていましたが、

今は出来たんですね!

とは言っても、カードを貰う訳ではなくて

灯台に貼られているQRコードでダウンロードするタイプ

これから頑張って集めようかな(笑)

クジラ漁のための狼煙場は岬の先っぽ

地球の丸さと自分の小ささが、わかる場所!

思わずパノラマで撮ってみた!

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関西文化の日 補陀落山寺 熊野三所大神社

2018-11-23 14:15:27 | 歴史

関西文化の日の日曜日は和歌山の串本町周辺を巡ることにしました。

先ずは関西文化の日と関係はありませんが、那智にある補陀落山寺へ!

↑補陀落渡海船

この船に乗ったら最後、死んでも戻ってこれません・・・

まぁ、行者さんは自ら望んで乗るんですよねぇ

即身成仏と同じような考えなんでしょうが、

死んだら最後と思っている私には理解できませんね!

江戸時代の台風で伽藍が破壊されたそうで、

歴史あるお寺とは思えないほど、こじんまりとした境内

平維盛の供養塔があるというので寺の裏山に登ってみました。

墓石が並んでいて、どれが維盛のものなのかハッキリしない

維盛の供養塔の一段下に並んだ墓石は補陀落渡海した上人のもの

こちらは傷みが激しくて墓石の形が、はっきりとわかるものは数基しかありません・・・

補陀落山寺の隣には熊野三所大神社

明治の神仏分離までは補陀落山寺と一体

拝殿は、割り拝殿

本殿も三間社流造

最近は神明造ばかりを見ているので、ちょっと新鮮!

熊野三所大神社は浜の宮王子と呼ばれていた所

平維盛は浜の宮王子で入水したと言われていますが、本当ですかね?

まぁ、そんな謎から平家の落ち武者伝説が出来るんでしょうけれどね・・・

 

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関西文化の日 2018 村山龍平記念館 惇子内親王の墓 小津安二郎青春館

2018-11-22 18:50:02 | その他

関西文化の日の土曜日は午後から出発!

通常も無料だけれど、まだ行ったことのなかった近場の施設に行ってみました。

先ずは田丸城跡にある村山龍平記念館

村山龍平と聞いても、何も思い浮かばなかった私・・・

誰だろうと思って入ってみたら朝日新聞の創始者でした。

ここ田丸の出身だったそうです。

朝ドラで「私は士族の娘よ!」というセリフがありますが、

この人の場合は正真正銘の士族!

田丸城に勤めていたそうです。

記念館の裏には田丸城の奥書院

維新の後、移築されて農家の居宅として使われていたものを譲り受けて

こちらに再移築したのだそうだ。

書院なのだから内部には装飾もあると思うのですが、

雨戸が閉められているので全くわからない・・・

書院の隣にはなぜかSL

何度か田丸城に来たけれど、今までSLがあったなんて気づかなかった・・・

それぐらいひっそりと置かています。

 

お次は関西文化の日とは関係ありませんが、

気なっていた場所へ

惇子内親王の墓

伊勢で亡くなった二人の斎宮のうちの一人

行ってみても、この案内板があるだけ・・・

ここは宮内庁の管轄ではないらしい・・・

案内板の後ろは木と草が多い茂っているのですが、こんもりとした形が判ります。

これが古墳なのですかね?

それにしても宮内庁管轄の隆子女王の墓とは扱いが違いますね・・・

 

この日の最後は松阪にある小津安二郎青春館へ

本当は午後四時までだったらしいのですが、

時間を過ぎていったのに、快く見学させていただけました。

小津安二郎というと原節子が思い浮かぶのですが、どちらも生涯独身・・・

世代の違う私には今まで、おじさんと美女という構図しか浮かばなかったのですが、

ここにきてイメージが変わりました。

小津安二郎は高身長でイケメン!しかも良いところのおぼっちゃま!

メチャメチャいけてるおっさんだったんですね!

噂通り、原節子は小津安二郎に惚れてたんだろうな・・・

 

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関西文化の日 2018 マコンデ美術館

2018-11-20 21:03:57 | その他

今年も関西文化の日がやってきました。

一年は早いですね!

まずは開催日のずれているマコンデ美術館へ!

去年も行きましたが、面白かったし、

日にちがずれているというのは本当にありがたい!

展示内容は、さすがに去年と同じだけれど

たまに異世界のようなこういう空間にいるのは、やっぱり楽しい

今年も入館料を払ったつもりで、お土産をゲット!

それにしても人が少ない・・・

平日とはいえ、入館料が無料なのだから

もっと人が来てもいい施設だと思うのですけどね・・・

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猿田彦森

2018-11-16 21:28:21 | 歴史

伊勢と志摩の境界である逢坂峠の志摩側に猿田彦の森と呼ばれる森があります。

伊勢道路が整備される以前は磯部街道と呼ばれる街道があり、

伊勢から志摩に行くのに多くの人が、その森を歩いたそうなのですが、

今は、その森の下に志摩路トンネルがあり

多くの人は知らずに通り過ぎていることになります。

そんな猿田彦の森なのですが、伊勢参宮名所図会にも載っていて

描かれている御神木が今でもあるということです。

猿田彦の森へは天の岩戸神社の水穴から風穴に歩いていく道の途中にある鳥居をくぐり、

今は歩く人のいない、その鳥居の道が昔の街道になります。

窪んだ街道跡は、はっきりとはしているものの

倒木と落ち葉で、まともに歩けない・・・

そんな山道を構わずに進んだ先に

伊勢参宮名所図会に描かれた御神木があります。

古い灯籠は明治22年、新しい方は昭和47年となっています。

御神木の前に置かれた石碑

御神木の半分は皮がはがれていて、まるでキメラのようです。

雷にでも打たれて半分が死んでいるんですかね?

伊勢参宮名所図会が描かれた 江戸時代から、この姿のはずなので

それにしては元気です。

 

さらに進んでいくと、もっと大きな木がありました!

この森は天の岩戸神社の境内だと思うのですが

大木が何本もありました。

昔の人は、これらの大木を横目に歩いていたんですねぇ・・・

さらに登って、ちょうどトンネルの中間の真上あたりが逢坂峠

伊勢と志摩の境界で神宮の森との境界

↑逢坂峠

神宮の森を管理する人しか車で入らない道路が交差していて

ちょっとした広場になっていました。

一般人は、ここまでだそうです。

このまま、まっすぐ進むとまた伊勢道路と合流して、

やがて内宮に到着するはずです。

 

 

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志摩一宮 伊射波神社

2018-11-15 21:56:45 | 神社

満留山神社から志摩国一宮の伊射波神社へ!

 

志摩国一宮は伊射波神社とする説と伊雑宮とする説があるそうですが、

伊勢の隣の志摩の国の一宮が、どちらかはっきりしないというのが

神社っぽいですね(笑)

延喜式には粟島坐伊射波神社となっていて

粟島を安楽島とすると伊射波神社は、ここのような気もするのですが

神島では古くから伊雑宮に奉納するための祭りを行っていることを考えれば

やはり伊雑宮が式内社とも思える・・・まぁ、わかりません!

 

伊射波神社へは満留山神社に車を置いたまま歩いて向かいます。

一応、車道があるのですが、一般の参拝者は歩くことになっています。

しばらく山道でトイレがないので安楽島海水浴場のを使えと

わざわざ注意書きまでありました。

案内板通りに道なりに進んでいくと浜に出て鳥居がありました。

鳥居の下には穴の開いた石が積まれています。

石笛とか言われるやつですね・・・

貝が穴をあけるそうです。

ここで、この鳥居の前の浜の石を持って帰ると必ず腹痛を起こすという謂れがあるそうなのですが、

そんなことを知らない私は奇麗な石があったので

ポケットに入れて持って帰ってしまいました!

石なんてめったに持って帰らないんですけど

なぜか、この時だけ持って帰ってしまったんですよねぇ・・・

この話を知って、しばらくは気持ち悪かったですけれど

幸か不幸か?腹痛は起こしませんでした(笑)

 

参道はというと、ここからは普通に山道・・・

それなりの靴を履いて行きましょう・・・

この日は日曜日ということもあったり、

拝殿内にTシャツ等が売っていたりもするので、人が居られましたが、

御朱印などは安楽島の集落内にある宮司さんの家でいただくそうです。

↑本殿

 

領有神と書かれた案内に従い、岬の先へ行ってみる。

領有神とは何なのか?

何の説明もないので、さっぱりわからん!

岬の先っぽのはずだけれど

木が生い茂っているので展望は良くありません・・・

 

一宮というと参拝客が多くて参道なんかもしっかりしている印象があるのですが、

ここは、そんな先入観を翻してくれましたね・・・

一宮巡りをしている人たちにとれば難所かも!


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