ゆっくり一人歩き

いわゆる良い物ってどんなものだろう?考えるより、国宝を見るのが早いでしょう!国宝をゆっくり自分の目で見て廻ろう!

北野天満宮

2007-05-27 21:11:52 | 国宝の建築
この日の最後は北野天満宮です。

仁和寺からは北野天満宮のほうが近いのですが、時間の関係から遅くまで開いている神社は後回しにしました。

鳥居の横の道から、スカスカの駐車場に入り、小さなスクーターを偉そうにデ~ン!!と停めてやりました!

参道に行くと大きな門が出迎えてくれます。

↓北野天満宮楼門


門をくぐって中に入るとすぐ横に大きな絵馬を掲げた絵馬殿があります。

↓絵馬殿


なんだか、ただの休憩所みたいになっています・・・

ここから更に参道があって、中門があります。

↓三光門


ここに来ると本殿が見えてしまっています・・・

国宝北野天満宮拝殿


写真に写っているのは拝殿ですが、ここの社殿は拝殿と本殿が一体になっていて、国宝指定も本殿、石の間、拝殿及び楽の間となっています。

↓裏側の本殿?


裏に廻るとビックリです。


↑ここでも拝むようになっていました。

ここはさすがに学問の神様なんで学生さんが多かったです!
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大報恩寺

2007-05-27 10:30:07 | 国宝の建築
仁和寺の後は大報恩寺へ行きました。
ここも初めてのお寺なんですが、行くのに迷ってしまいました!(><)
なんでかと言うと、ここの本堂が目指す国宝なんですが、別名は千本釈迦堂といいます。
当然、千本通り沿いにあると思っていたんです・・・
そしたら、ちょっと西に入った所にあって、道も思ったより狭くてわかりづらいんです。
勘の良い私だから着けたようなもんです!ww

境内の南側の参道を歩いていくと本堂は目の前でした!

国宝大報恩寺本堂(千本釈迦堂)


鎌倉時代の建築で京都市内では最古の建造物らしいです。
柱に残る傷は応仁の乱の時のものだそうです。

本堂の中にも多数のおかめ像があります。
おかめさんの物語は皆さんも良く御存知の通りです。
おかめさんは良妻というだけでなく、この時代では結構な別嬪さんだったんでしょう・・・

↓おかめ塚横のおかめさん



実は、本堂に入る前に宝物館を先に見ました。
ここに仏像がずら~と並んでいたのですが、これがすごかったんです!
それで本堂の印象がちょっと薄くなってしまいました・・・(^^;)

大報恩寺の国宝は本堂だけなので、他の宝物の予備知識がなかったのです。
それが、学校の教室のような扉を開けて宝物館の中に入ると左側に快慶作の十大弟子像、右側に定慶作の六観音像が並んでいるのです!
快慶作の小振りの十大弟子像も良いのですが、定慶作の六観音像がすばらしすぎました!

定慶という人は何人かいるのだそうですが、これを彫ったのは運慶パパの康慶の弟子だそうです。
快慶と同じ立場の人ということでしょう・・・

う~ん、快慶もすごいけど、ここでの出来映え(といってはなんですが)は定慶が圧倒しています!

六観音像が六躯ともあるのは珍しいということなんですが、なんで国宝になっていないんでしょう・・・?

もともと、この六観音像は北野天満宮にあった北野経王堂のものだそうです。
それが廃仏毀釈で北野経王堂とともに大報恩寺に移されたということだそうです。

この六観音像を見れただけでも、ここに来た甲斐があったと思います!
う~ん!すばらしい!

↓鎮守社は稲荷です。


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仁和寺

2007-05-26 11:41:29 | 国宝の建築
蚕ノ社の後に行ったのが仁和寺です。

↓京都三大門の一つ二王門


駐車場もあるのですが、門の階段のすぐ脇にスクーターを止めました。
ここも本当に大きなお寺でほとんどの建築が重文指定なんで、どんどん進まないと時間が無くなります。

↓仁和寺白書院


二王門を入って左側に門があり、御殿と呼ばれる本坊があります。
御殿に入るには拝観料が必要です。
この日は御室流華道の行事が行われていたし、修学旅行生も来ていて人が一杯でした。
ついでに非公開の茶室なんかも見せてもらえるか聞いてみたんですが、ダメでした・・・

↓重文の観音堂


↓重文の五重塔


五重塔は各層の大きさをあまり変えていないので、ちょっと現代風です・・・

↓重文の鎮守社本殿


九所明神社といいます。なかなか優雅に建っています。


↓重文の経蔵


完全に閉まっていました。輪蔵廻したい・・・

国宝仁和寺金堂


桃山時代に建てられた京都御所の紫宸殿を江戸時代初期に移築したものだそうです。
綺麗です!
いかにも旧御所の建造物といった感じです。
内部には入れませんでした。

↓仁和寺鐘楼


鐘楼も重文指定の建造物なんですが、なぜか一つだけ綺麗に彩色されてました。


↓水掛不動


お不動さん一体だけの、水かけ不動です!
こういうのっていい感じです・・・

↓重文の御影堂


金堂と同じデザインだと思ったら、これも京都御所のものでした。
京都御所の清涼殿の材で江戸時代に造られたそうです。
金堂ももともとは桧皮葺の屋根だったそうです。


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蚕ノ社(木島坐天照御魂神社)

2007-05-25 20:27:12 | 歴史
広隆寺の近くの蚕ノ社と呼ばれる神社に寄りました。

この神社も広隆寺と同じように秦氏によって造られたそうです。
なぜ国宝でもないこの神社に立ち寄ったのかというとここには三柱鳥居という珍しい鳥居があって、それがオカルト的な推測を呼んでいるからなのです。
どんなものかというと、広隆寺の近くに「いさら井」と書かれた井戸があるので、この鳥居も景教(キリスト教)の影響を受けているとか、鳥居の示す方向に特別な意味があるとかといった類のものです・・・
で、どうこう言う前に行って確かめてみようと・・・

↓蚕ノ社


なかなか綺麗なお社です。この日も人が掃除していました。

↓蚕ノ社拝殿


まずは型どおりにお祈りをしました。

天照御魂というのは天照大神とは違うみたいです。
それでも、延喜式に名神大社として記載され、続日本書紀にも名前がでていることからかなり古い社であることは確かです。

肝心の三柱鳥居はというと拝殿横の池の中にありました。

↓三柱鳥居


池の中といってもこの日は掃除のためか、水が抜いてありました。
この池は「元糺の池」といって年中水が沸いていたそうです。

三柱鳥居を見た私の率直な意見ですが、この鳥居にオカルト的な要素は全くありません!

まず、三柱鳥居はこの神社の主たる信仰の対象ではなく、あくまでも本殿脇にあると言う事です。
確かに珍しい形なんですが、奇妙なことは何も無いのです!
おそらく鳥居に囲まれた所から水が沸いていたのでしょう・・・聖なる池の聖なる水の出口を鳥居で囲んで結界を造っただけのことに見えました。
なぜ四角く取り囲んでいないのか?というと単純に三角形の方が安定するからだと思います。
方角に関しても本殿と同じように普通に南向きに造っています。
三角形だろうが四角形だろうが意味をこじつけようとすれば幾らでも出来るだけでしょう!

この鳥居なんかより、私の興味を惹いたのは下のお稲荷さんです。



写真では解かりにくいかもしれませんが、中には間違いなくお稲荷さんがおられました。
この横にもお稲荷さんの祠が三つ程ありました。

なんで摂社に三つも四つも稲荷神社があるのでしょう?

そもそも稲荷神社とはなんであるのか?どこにでもあるこの神社のことが、いまいちハッキリしていないのです。

伏見稲荷大社は平城京遷都の頃に秦の伊呂巨という人が伊奈利山に三柱の神を祀ったのが始まりとしています。
これがいつ稲荷明神とされるようになったのか?また、狐と関係するのかは解かりません・・・

それ以前に、欽明天皇の時代、今の伏見稲荷の場所に秦の大津父という人がいた事が、日本書紀に書いてあります。

欽明天皇は聖徳太子の祖父にあたり、しきしま天皇とも呼ばれます。
古事記によると奈良にあった師木島大宮を皇居としていたそうです。
読み方こそ違いますが、蚕ノ社の正式な名前はは木島坐天照御魂神社です・・・

広隆寺を造ったのが秦河勝で祀られているのは聖徳太子だし、秦氏の関係ですべて繋がっているような気がします。

大津父という人の名前もすごいでしょ!
大津に住んでいないのに大津父という名前なんです!
しかも、この人は商売で伊勢に行ったとされています。
そうであるなら天照大神を祀るの普通だと思うんですが・・・

時が過ぎて、近江大津宮に遷都をしたのが、中大兄皇子(のちの天智天皇)です。
日本書紀が完成したのは藤原氏の時代で、当然、藤原氏の意向が入っているはずです。
大津父と天智天皇の関係を示唆しているのでしょうか?・・・

天智・天武・持統天皇が産湯を用いたとされるのが三井寺の閼伽井で、三井寺の名前もここからきています。

三井寺といえば前に行った新羅善神堂があります。秦氏は新羅系だという説もうなずけます。

しか~し、天智天皇の時代は新羅と最も関係が悪かった頃の筈です・・・

う~ん・・・何がなんだかわからなくなってしまった!(^^;)


ネットで調べると、こんな話もあります!

江戸時代になり、この木島坐天照御魂神社を再興したのは三井財閥を創った三井氏なんだそうです。

三井氏が藤原氏の系統で、大津の地と関係があり、名前が三井寺から来ているのは周知のことです。
百貨店の三越の屋上には、ここの木島坐天照御魂神社を分霊した三囲神社と稲荷神社があります。
三井氏が商売を始めたのは伊勢街道沿いの松坂だそうです。

三井家は大津父のことを知っていたのでしょうか?
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広隆寺

2007-05-23 19:06:33 | 国宝の建築
日曜日は京都に行ってきました。
久しぶりにスクーターで行ったんですが、ちょっと寒かったです・・・
今回は期待はずれだった所が多かったので、ちょっと辛口な文で書いてみます・・・

まず行ったのが、広隆寺です。

↓広隆寺楼門


この門の前は今までにも何度も通っていたのですが、なかなか入る機会がありませんでした。この日は桂宮院の公開日なので期待して参りました。

広隆寺の駐車場に止めるよりも、門前の警察の駐車場に止めた方が早いのですが、まじめな私はちゃんとお寺の駐車場へ行きました。駐車場は門を通り過ぎた所にあります。奥に広い駐車場で、奥に入れるほど境内に近いのですが、私はスクーターなので手前の端っこの方に止めさされました。
駐車場からは門を通らずに直接境内に入ることになります。

境内の受付で拝観料を支払います。境内に入るだけなら拝観料は要らないのですが、霊宝殿と桂宮院は有料です。霊宝殿は700円、桂宮院は200円です。霊宝殿の拝観料を支払うと駐車場は無料にするということらしいです。安いような高いような・・・桂宮院の200円はこの時点では安いなと思ったんですが・・・

受付から一番近かったので、最初に本命の国宝桂宮院に行くことにしました。
最初に説明しておきますと、桂宮院は鎌倉時代の建築で、桧皮葺の美しい屋根を持つ純和様の八角堂です。現在は霊宝殿にある聖徳太子像などが中に納められていたそうです。

↓桂宮院本堂への門


この細い道をまっすぐに進んでいくと桂宮院があります。桂宮院は周りを塀に囲まれ、その外側も竹林に覆われていて、普段はその外郭でさえ見ることが出来ません!で、行ってみて驚きました!公開というのに入れるのは塀のところまでで、門から覗くしかないのです!確かによく手入れがされていて、雰囲気がいいのですが、この公開の仕方は無いでしょう!
せめて塀の中に入れてくれ!(悪いこともしていないのに塀の中に入れろ!というのもなんですが・・・ww)という思いはここに来るみんなが持つでしょう!
これで200円はボッタクリです!
しかも、なぜだか解かりませんが、写真もお断りだそうです・・・ケチ!

道を戻って、今度は霊宝殿に向いました。

霊宝殿では数々の国宝の仏像などが気を和らげてくれる筈です!
なんてたって!あの弥勒菩薩像があるところですからねぇ・・・・

で、期待して中に入りました!そしたら、大きな不空羂策観音像などはよく見えるものの、弥勒菩薩像は薄暗い遠くの高い場所に座っておられて、私のサブの眼鏡ではよく見えませ~ん!先日、眼鏡を壊してしまい、このサブの眼鏡はいまいち度があってないのです・・・隣の泣き弥勒にいたっては笑っている様にしか見えませ~ん!

この弥勒菩薩像は今から45年程前に京大生に指を折られたということがあったそうです。なので私たちの手の届かないところにあるのも仕方が無いのかもしれません・・・

そういうことで、トボトボと外に出ました・・・

↓上宮王院太子殿


本尊は秘仏の聖徳太子像です。


↓講堂


なかなか良かったのが、この講堂です。京都最古の建造物だそうで重文指定です。また本尊の阿弥陀如来は国宝です。



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正倉院

2007-05-09 20:57:42 | 国宝の建築
奈良公園付近はさすがに5時頃でも渋滞していました。なんとか転害門近くの駐車場に車を止めて、奈良博に行く前に正倉院の写真を撮りに行くことにしました。

正倉院は宮内庁の管轄なので土日祝日は拝観できません!でも、私が国宝めぐりを始めた頃は正倉院正倉は国宝でなかったので、行く必要が無く、良かったのです。が、世界遺産登録のために正倉院正倉が国宝に指定されてしまったんです・・・それで今回、写真だけでも撮りに行こうということにしました。

↓正倉院入口にはわざわざこんな案内板が掲げられていました。


書いてある通りに行くと見えました!

↓国宝正倉院正倉


こんな位しか見えませんが、結構な人数の若い人が興味深げに覗いていました。
まぁ、校倉造は義務教育で学びますからねぇ・・・

↓こんなのもありました。


皇室の方々も奈良にはよく来られますからね・・・


この後、奈良国立博物館に行きました!
なかなかの展示内容なんですが、館内は空いていたというか、ガラガラでした!金曜日のこの時間に来ている人はかなりの物好きしかいないのかも・・・一つ一つゆっくり見ることが出来たのですが、余裕がありすぎて、時間が足らなくなってしまったほどです。ボリュームありすぎ!・・・平常展をまったく見れずに帰ることになりました。


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円成寺

2007-05-08 20:16:28 | 国宝の建築
石上神宮から次に向ったのが円成寺です。
道がわからなくてちょっと遠回りしながらも辿り着きました。素直に169号線を行けば良かったんですが、柳生の方から廻ってしまいました・・・

駐車場から中に入って驚いたのが楼門前の庭園です。手入れも行き届いた綺麗な庭でした!

↓円成寺楼門


室町時代の建築で重文指定です。門の前に池と庭園があるなんて珍しいですよねぇ・・・

楼門は今は通れないみたいで、横の山門から伽藍に入ります。

↓山門


山門を入ってすぐの受付で拝観料を支払い中に入ります。

↓まずあるのが護摩堂でした。



↓そして本堂


国宝にはなっていませんが、室町時代の建築で大きな向拝と舞台が付いている珍しい造りです。本尊は定朝様の阿弥陀如来です。


↓多宝塔


この多宝塔は近年の建築ですが、扉の向こうのガラス張りの中には運慶作の国宝!大日如来坐像が収められています!
運慶25歳頃の作品らしいですが、こんな風に見せられるとやっぱりすごいなぁ~と思ってしまいます!

↓国宝春日堂・白山堂


鎌倉時代の建築で、現存最古の春日造り社殿です。こんな風に写真にとると少しは大きく見えるかもしれません!国宝建築の中では海龍王寺五重小塔か、これが最小だと思います。高さでは圧倒的にこっちですが・・・あ、これが春日大社からの移築ということは、春日大社本殿も同じ大きさだと思います・・・


↓春日堂・白山堂拝殿


拝殿は立派です!


円成寺は初めてだったんですが、一遍に好きになってしまいました!
なんか行き届いた手入れと雰囲気がすごくいいのです。
家の近所にこういうお寺があれば良いんですけどねぇ・・・
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石上神宮

2007-05-07 20:28:53 | 国宝の建築
GW後半の五月四日にも奈良に行ってきました!
まだ行ったことの無い石上神宮から円成寺、最後は奈良国立博物館の神仏習合展を見て帰る予定にしました。金曜日なので遅くまで博物館も開いてるし、GWでも遅い時間はすいているはずなので、この日がベストだと思ったのです。

まず向ったのが石上神宮です。天理で高速を降りると後は10分程で着きます。

↓石上神宮入口


入口から参道を歩いていくと鳥居が見えてきました。さすがに綺麗に整備された参道です。

↓石上神宮参道


私は入口付近の駐車場に車を止めたのですが、奥の鳥居の所にも駐車場がありました・・・

境内には意外なほど人が多いのですが、どちらかというと山の辺の道のハイキング目的の方が目立ちます。

↓石上神宮楼門


この楼門は鎌倉時代建築の重文指定です。

楼門から中に入ると目の前に国宝の石上神宮拝殿があります。

↓国宝石上神宮拝殿


鎌倉時代の建築として国宝に指定されていますが、平安時代の移築とも言われくわしくわかりません!お祓いを受ける時など普通に拝殿には上がらせてもらえるみたいです。この日も何人も上がっておられました。
拝殿の向こうには禁足地があり、今は本殿も建っています。国宝の七支刀もこの禁足地から発掘されたそうです。

もう一つの国宝建造物は楼門の前の石段を登った所にあります。

↓国宝石上神宮出雲建雄神社拝殿


鎌倉時代の建築ですが、唐破風つきで美しい割り拝殿です。初期の唐破風だと思うのですが、なかなか綺麗なもんです。もとは後で行く内山永久寺の鎮守社の拝殿だったものらしいです。

今は摂社の出雲建雄神社の拝殿となっていますが、移築する場所が悪すぎます・・・割り拝殿の意味が無いし、ここから拝む人なんていないでしょう・・・
なんで、ここの摂社に出雲建雄神社なのかも謎なんですがねぇ・・・

↓出雲建雄神社


せっかくなので、内山永久寺跡に行ってみることにしました。

内山永久寺は廃仏毀釈により潰されてしまった代表的な寺院です。

山の辺の道のハイキングコースを10分ほど歩けば池があります。この池が唯一残った内山永久寺の遺構の浄土池です。まぁ、この池も今はため池として使われているみたいです・・・

↓今は浄土池の中島に記念碑が建っているだけです。



↓かってここに本殿があった!らしい・・・



この日、奈良博で神仏習合展を見たばかりなので、明治期の廃仏毀釈については色々思うところがありますが、ここでは止めておきましょう・・・

国宝建造物マイマップ
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清涼寺

2007-05-06 10:47:04 | 仏像
清滝の駐車場を出た時は、そのまま家路に着こうと思っていたのですが、清涼寺の駐車場のPの文字が見えた時にはウィンカーを点けていました!

↓清涼寺仁王門


この清涼寺には国宝の建造物は無いものの、有名な国宝の釈迦如来像があります。三国伝来のお釈迦様で像内に五臓六腑を模ったものが納入されています。秘仏なんですが、この日は霊宝館と合わせて公開中でした。

すぐにでも見たいところですが、流行る気持ちを抑えてまずは鎮守社です・・・

↓清涼寺鎮守社


清涼寺もやはり鎮守社は愛宕大権現でした。


↓清涼寺経蔵


ここの経蔵なんですが、百円で中の輪蔵を廻させてくれるんです。面白がって廻していたのは私一人でしたが・・・

もったいぶるのもこの位にしておいて、本堂へ参りました。

↓清涼寺本堂


中に入って驚きました!本尊なので公開といってもほとんど見えないんだろうなぁなんて勝手に想像していたのですが、思いのほかよく見えます。参拝客も少なくて、まん前に陣取って拝むことが出来ました。う~ん!当たり前なんですが、DVD等で見たまんまでした!

本堂内を拝観して初めて解かったのですが、ここは徳川家と縁が深いようです。仏像以外の宝物もなかなかのものでした。

本堂裏にはこんな綺麗なお堂や庭園等がありました。

↓清涼寺弁天堂



次は霊宝館に向いました。

↓っと!霊宝館に行く前に阿弥陀堂がありました。


そもそも清涼寺は光源氏のモデルといわれる源融の別荘があった場所に建てられたお堂(棲霞寺)が始まりだそうです。その最初のお堂がこの阿弥陀堂だそうなんですが、建物自体は当時のものではなく何代目かの再建だそうです。


霊宝館には源融をモデルにしたと言われる国宝の阿弥陀三尊像などが収められています。平安時代の仏像の宝庫でした!


↓豊臣秀頼の首塚


近年、大阪城から発掘された秀頼のものと思われる首を収めたそうです。


このあと、有栖川ちかくのスーパー銭湯でゆっくりして家路に着きました。
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愛宕神社~月輪寺2

2007-05-05 22:09:36 | 仏像
月輪寺編

愛宕神社の鳥居を手前辺りに右に入る道があります。この道が月輪寺への道みたいです。

↓道標


少し歩くと次の分岐点です。



右に行くと月輪寺、左に行くと三角点らしい?です。登る前は三角点の景色が良いらしいのでそこまで行こうと思っていたのですが、この道案内には三角点って書いて無いのです!たぶん左に行くと三角点に行けるんだろうなぁと思いつつも間違ってたら嫌なので素直に月輪寺に降りることにしました。帰ってから調べると三角点に行くにはここを左で合っていたみたいです。ちょっと後悔・・・

月輪寺への道は細くてなかなか険しい道なので月輪寺方面から登るのは大変そうです。

↓先ほどの分岐点からすぐの所


この辺りの景色が私が歩いた道程では一番良かった!


細い道を滑らないように気をつけながら降りていくと月輪寺までは体力要らずで着きます!




愛宕神社は本当に水がありません!本殿裏に水がめを作って雨水を貯めているくらいで・・・自販機があるものの通常150円のペットボトルが300円もします!でも月輪寺には本当においしい水があります。

↓龍奇水


持っていたペットボトルにも水を詰めたのですが、ここから先は下りの道ばかりで必要ありませんでした・・・

↓月輪寺本堂


↓月輪寺三祖師堂

手前に写っている桜がしぐれ桜といって葉先からしずくが垂れ続けるのだそうです。

↓月輪寺愛宕権現堂

左に写っているのは天然記念物の石楠花の花です。

↓月輪寺宝物館


月輪寺の拝観は要予約となっていましたが、この日は団体の先客もおられて宝物館にも入ることが出来ました。宝物館は新しくなったばかりらしくて、場違いなほど綺麗です!尼僧さんの話では建て替えるのにかなり苦労したそうで、借金の光背が出来たそうです・・・ここの尼僧さん、なかなかの話し好き?親切に細かく説明してくださりました。宝物館の中にはたくさんの重文の仏像が納められています。ここの空也上人像は口から出る南無阿弥陀仏を現した小さな像が二本に別れて出ています。よく教科書に載っている一本で出ているのは六波羅蜜寺の像です。

細くて険しい道を降りていくと、やがて水の音が聞こえてきます。

水音が聞こえてきたら、月輪寺登山口まではすぐでした。

↓月輪寺登山口


ここまでは車で入れるので、ここから登り始める方もいるみたいです。ここからの方が時間的に早く月輪寺に着きますが、体力に自信のない方にはお勧めしません・・・

同じ場所で空也滝の道標を見つけてしまいました・・・見つけたからには行かなければならないでしょう・・・



行ってみたんですが、これがなかなか寂しい道でした。渓流沿いの舗装された道を進むのですが、誰もいないので本当にこの道であっているのか不安になりました。

それでも10分ほど歩くと鳥居がありました。



鳥居をくぐり、民家の間を抜けていくとやっとありました。

↓空也滝


なかなか雰囲気のある滝で驚きました。

↓役行者


鳥居や石灯籠に仏像となかなか賑やかです。

月輪寺から空也滝に直接下りるルートがあったらしいですが、道が悪いみたいで今は使われていないみたいです。

空也滝から月輪寺登り口まで来た道を戻ります。そこから先はアスファルトで舗装された道路をひたすら清滝を目指して歩くだけです。途中で何組かのグループとすれ違い、彼等はこれからあの道を登るのかなぁ?なんて想像しながらテクテク進みました。

↓途中、高雄との別れ、ここまでくればあと少し!


駐車場に着いたら3時半になっていました。

ボロボロになってしまったのに、終わってみれば、次はどこに挑戦しようか?と考えている自分が怖いです・・・


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