突然ですが、伊勢は平家ゆかりの地であります!
平清盛は、白河法皇の子であるという説もありますが、一般に伊勢平氏の出であり、津で産まれたと言われています。
そういう土地なので、平家に関する話がいろいろと残っているのですが、よくある平家の落人伝説というものが、ちゃんと!伊勢にもあるのです。
壇ノ浦で負けた平家の一族が、どうやって伊勢にまで逃げてきたのか?そんな野暮なことはこの際、置いておいて、たしかに伊勢のある山奥の集落には伝説が残っているのです。
そういった話に目の無い私は早速行って、確かめてみることにしました!
伊勢から南伊勢町へ続く県道719号を走ると桜で有名な横輪という集落に入る道があります。
そこを入り、横輪町を通り過ぎ、細い道を進んでいくと矢持町という山奥の集落に着きます。
山深い土地ではありますが、内宮の森だから開発できないのか?どうかよく解りませんが、車で行くには、ぐるっと回っていくので、伊勢市街から遠く感じますが、実は内宮から山を一つ越えただけの直線距離では5㌔も離れていない場所で、昔の人みたいに山越えの道を歩けば意外にすぐ着くかもしれないような場所にある、この集落が平家の落人伝説の里なのです。
その伝説というのも、なかなかのもので、清盛の四男で壇ノ浦で碇を担いで入水したといわれる平知盛が実は落ち延びて、この里に辿りつき、平家再興を願いつつ、隠れ住んだというものです。
↑大河ドラマ放送の時に建てられたと思われる案内板
この集落に平知盛が平家一門の供養のために建てたといわれる久昌寺があります。
重文指定の本尊、阿弥陀如来立像が1221年に造られたことが解っているので、時代的には伝説にピッタリ!
本堂の裏側、一段高い場所に知盛と平家一族の五輪塔、もう一段上に鐘堂があります。
↑手前に一族の五輪塔、奥に知盛の五輪塔
↑知盛の五輪塔
供養塔が五輪塔っていうのも時代的にいい感じ・・・
普通に考えると伊勢平氏にゆかりの人達が、表だっては平氏を弔えないので山奥の、この地に寺を造ったと思うのですが、なぜ、それが知盛なのか?・・・なかなか興味深い伝説ではあります。
↑山口誓子の歌碑
現地では読めなかったんですが、調べると『知盛の谷水田とし植田とす』と詠まれているそうです。
誓子ぐらいになると知盛伝説の真偽よりも、伝説を伝えてきた時の流れと人の営みに思いを寄せるということですね・・・
野暮な男でゴメンナサイ!