ゆっくり一人歩き

いわゆる良い物ってどんなものだろう?考えるより、国宝を見るのが早いでしょう!国宝をゆっくり自分の目で見て廻ろう!

宝塚古墳 松阪

2024-07-18 18:57:05 | 古墳

窓の外にカンナの花が咲き始め

鉢で育てているハイビスカスも三年目にして花をつけた!

そんな梅雨の晴れ間に

松阪にある宝塚古墳から出土した埴輪が国宝指定されること知って

見学に行ってみました!

こんなに立派な古墳公園があるなんて知りませんでした。

近場の資料館や博物館は調べていたはずなのですが、

なぜか?宝塚古墳に関するところだけ抜け落ちていたんですよね・・・

一号墳と二号墳があるようなのですが、

まずは前方後円墳の一号墳から

↑造り出し前から後円部

この一号墳の造り出し周辺から出土した埴輪が

国宝に指定されるということらしい。

ここの造出部は墳丘部に向かって土橋がかかっているという

特殊な作り・・・

しかも埴輪が造り出しの上に配置されているのではなくて

造出しの周囲に置かれているんですよね・・・

船形埴輪や囲型埴輪も造り出しの下部に置かれている。

ちょっと私の持っていた造り出しの概念が変わりました・・・

 

お次はお隣にある二号墳へ!

こちらはちょっと解りにくいけれど

帆立貝型前方後円墳と呼ばれるもの

造出し部は残念ながら道路で寸断されていて

現地ではハッキリわかりませんでした。

 

一号墳も二号墳も墳丘の上に登ってみたのですが、

どちらも埋葬部についての説明がないのが謎でした。

出土した埴輪が近くの松阪市文化財センターはにわ館で

展示されているということなので

埋葬部の謎も含めて

早速、行ってみました!

つづく!

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大和武尊 能褒野墓

2020-09-06 14:39:55 | 古墳

ヤマトタケルは能褒野で没したとされていて

その地に陵が作られたと記紀に伝えられます。

その能褒野が、どこにあるのか?

これには色んな説があるのですが、現在、宮内庁では亀山市田村町にある

能褒野王塚古墳を日本武尊墓として比定しています。

まぁ、古代神話時代の人の墓なので実際にどこにあるかは勿論のこと

実在したのかさえハッキリしない人なので

ロマンやミステリーの類の一つとして訪問してみました。

ナビに従うまま行ってみると

きれいに公園として整備されていました。

実は駐車場が二か所にあって

南側の駐車場に止めると参拝に便利なのですが、

私は北側の駐車場に止めてしまい、色々と迷うことになってしまいました。

まずは能褒野神社へ

古墳のそばに創られていてヤマトタケルを祭っています。

普通なら拝殿なり、本殿の後ろに古墳があると思うのですが、

こちらの神社はなぜか?そうなっていません・・・

私は迷って、結局、古墳の柵の周りをクモの巣を掻き分けながら

一周してしまいました。

やっと入り口にたどり着いて参拝!

前方後円墳らしいのですが、

一周回っても入口から覗いてみても柵と生い茂った木々に隠されていて

全く形はわかりません・・・

能褒野古墳群となっていて倍塚とされる古墳もあるはずなのですが、

それもさっぱり・・・飛び地と書かれた標がそれですかね?

 

唯一解ったのは南側の駐車場の方には案内板などが整備されているし

入口もわかりやすいのですね(笑)

能褒野王塚古墳、実は明治期に日本武尊に比定されるまでは

自由に立ち入りができたそうです。

墳頂部からは円筒埴輪の破片が見つかっているそうで

南側駐車場に円筒埴輪の装飾物があったのは

そういうことだったんですね…

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作山古墳

2019-03-02 18:22:23 | 古墳

国分寺跡からの帰り

すぐ近くの作山古墳へ!

古墳周囲の狭い道路を通って裾野にある駐車場に車を止める。

遠目で何とか形の分かった古墳も

大きすぎて、ここまで近寄ると何が何だか・・・

墳丘に登る道がついているので登ってみます。

作山古墳は三段で造られていて、写真でも段差が分かる。

登って初めて自分が登っていたのが前方部だということに気づく!

↑後円部から前方部

まぁデカい!

こんな大きな古墳なのに墳丘に登れるのは

ココが岡山で天皇陵じゃないから!

なんと!この作山古墳は未盗掘と考えられていて

発掘調査も、まだなんだそうです!

天皇陵は無理でも、ここなら発掘できるはずなので

私が生きているうちに発掘調査してほしいなぁ~

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こうもり塚古墳

2019-02-28 21:07:14 | 古墳

備中国分寺近くのこうもり塚古墳へ!

時間があればゆっくり歩いていくんですが、

仕事前なので早歩き!

六世紀後半の前方後円墳とされています。

後円部の石室が、こんな風に見れる古墳は珍しい!

石室の大きさや造りは畿内の円墳の巨大石室と同じよう・・

奥に入れないので奥行きや大きさがイマイチわからない

いつも不思議なのは前方後円墳ですから前後左右の方向があると思うのですが、

羨道の方向は、それらの方向を無視しているとしか思えないこと・・・

方角も方向も気にせずに造られている前方後円墳が多いんですよね・・・

基準は何だったんでしょうかね?

↑古墳に登って前方部から後円部

後円部の頂上には小さな祠

崩れ止めのシートが敷かれていて後円部には登れず・・・

国分寺が造られた時には、当然、この古墳もあったはずで

奈良時代の人々は古墳をどのように眺めていたんでしょうかね

 

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答志島 鳥羽離島の旅 その一

2018-09-12 23:19:25 | 古墳

日曜日、前から気になっていた鳥羽にある離島の旅に出かけてきました。

鳥羽の佐田浜にある鳥羽マリンターミナルから市営定期船に乗って離島をめぐります。

1,460円で四日間有効の周遊券を購入

予定は佐田浜~答志島~神島~菅島~佐田浜

一日で三つの島を周るのは、どうかな?とも思いましたが

取り敢えず時間内で目一杯巡ることを目標に出発!

九時発の答志行の定期船に乗船

新しいカタマラン船

この日はうねりがあったようで、少し揺れる・・・

短い時間なので酔うまではいきませんが苦手な人はシンドイかも・・・

答志島の和具で降りる人が多いのですが、答志まで乗っても30分足らずだし

次に乗る神島行は和具発なので答志まで行って、

観光しながら歩いて和具に戻ることにしました。

まずは答志の八幡神社へ

漁港横の赤い橋の架かった小島が八幡神社

離島を巡って気付いたのは、どの島の神社も島民の信仰が厚いようで、

綺麗に整備されているのが印象的でした。

そして、このあたりの神社は当然のように神明造

今日一日の旅の無事を祈ります!

答志の集落から和具の集落へ

答志の集落から山越えをしようと集落に入りますが

離島の集落は想像以上に道が狭く家が密集している。

道とは思えない迷路になった路地を進みます。

何とか山越えの登山道を見つけて登ったのですが

山道は倒木だらけで、まともに歩けませんでした・・・・

残念ながら撤退!

戻って車の走れる道を歩くことに・・・

時間が無い中、迷い道、回り道をしてしまいました。

答志と和具の間にある美多羅志神社

龍の形をした樹があるそうなのですが見逃した(笑)

境内のこんな小さな池に

こんなに大きな大ウナギがいたそうです!

ウナギって、たまにとんでもない場所に生息していたりしますね・・・

神社の横に、こんな案内板があります。

マリンターミナルでもらったウォーキングマップにも載っていたのですが

この案内板を見てしまったら、時間は無いけど、そっちの方向へ歩いてました(笑)

目的地の古墳まで案内板は数あるのですが、これがわかりにくい・・・

大事な分岐の場所に案内板がありません・・・

しかも、到着してからも不案内で、時間を短縮したいのに困る!

最初は蟹穴古墳に行こうと思っていたのですが

なぜか着いたのは岩屋山古墳

石室を覗くと立ち入り禁止

残念と思っていたら何かが違う・・・

気付いて裏に回ってみると

こっちが入り口でした!

この日は雨も少し降ってドロドロだったので中に入るのは断念!

戦時中に塹壕として利用されたそうで

後ろに穴が開いているのは、その当時の名残なのだそうです。

来た道を戻ります・・・

なんとか蟹穴古墳に到着!

ん~っと!

草がボーボーで、よくわからん!

天井石がなくなって、石室の壁だけが剥き出しになっていることが

なんとか観察できます。

ここの副葬品として重文の須恵器台付長頸瓶が出土しているというからビックリ!

もしかして石室は発掘された後に潰されたのかな?

どちらの古墳も古墳時代後期のものというので、飛鳥時代ですね

今より人口は、ずっと少なかったはずなのに、

こんな離島にまで古墳を造るような人がいたと思うと不思議・・・

 

つづく・・・

 

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西山古墳 三重県松阪市

2018-07-26 21:59:27 | 古墳

狩猟免許を受けたときに

農業大学校の裏の山に古墳があるということだったので

試験の合間の空いた時間に行ってみました。

四世紀前半というから、かなり古い古墳ですね

しかも前方後方墳!

これはなんとしても全体像を拝みたいところなのですが

ちょっと見ただけでは全くその姿が想像できません・・・

ぐるっと見渡したところ農業大学校のほうからなら墳丘に登れそうです。

頑張って墳丘らしき場所に登ってみたのですが全く分かりません・・・

まず、樹木と草が覆っていて見渡せないし、

どうやらこの古墳は隣の山と地続きになっているをみると

自然の地形を利用して墳丘にしているようなのです。

堀を持っているような巨大古墳以外は大概がこういう造りなのですが

ここまで樹木が覆っていると墳丘の形すらわかりませんね・・・

この山自体がさほど大きなものでは無いのに何故頂上付近に墳丘を造らなかったのか?

ちょっと不思議!というか

頂上付近にも古墳があるんじゃないのと思う私でした。

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津堂城山古墳

2018-06-10 12:17:03 | 古墳

親戚に不幸があって大阪へ

瓜破にある巨大な葬儀場兼火葬場からの帰り

古市古墳群の一つ、津堂城山古墳に寄ってみる。

津堂城山古墳は古市古墳群の中にあって最古の古墳とされている。

嬉しいのは登れる古墳ということ!

ほとんどの古市古墳群は宮内庁の管轄で登ることはおろか

入ることさえできません!

内堀とされるところは菖蒲園になっていて、ちょうど満開

雨上がりで少し足元が悪いですが、気にせず、さぁ!登りましょう!

んっと!

登ったのは良いのですが、墳丘はかなり削られいて形がはっきりしません・・・

辛うじて前方後円墳なんだろうなという感じ、

室町時代には城が築かれていたというので、しょうがないですよね・・・

それでも明治時代に後円部から石棺や副葬品が発見され、

慌てて陵墓参考地に指定されたというのですから驚きです。

↑後円部

その後円部には津堂八幡神社というホムダワケノミコトを祭神とする神社になっています。

歴史のある神社ではあるのですが、この地に移されたのは江戸時代のことというので

古墳との関係は無さそうです。

近くに「まほらしろやま」という資料館があるので行ってみました。

埴輪が展示されているけれど

説明が不親切すぎるし、何の目的に展示しているのか?全く不明!

見るべきは外に置かれている石棺のレプリカと竪穴式石槨の天井石

天井石は神社の石碑に使われていたり、手水鉢になっていたりと転用されまくっていたらしい(笑)

現在は元の様に並べて展示されいます。

本物の石棺は元の場所で埋められ、陵墓参考地として周囲に囲いがなされて立ち入り禁止になっている。

天井石を外して、どうやって埋めたのか?

まぁ、昭和後期までは古墳とかの文化財に対する扱いは、こんなものでしたよね(笑)

 

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近つ飛鳥博物館と近つ飛鳥風土記の丘

2013-09-06 23:39:31 | 古墳

近つ飛鳥博物館に到着!

噂には聞いていたのですがすごいですねぇ~

安藤忠雄の設計なのだそうです・・・

外から見る限り内部がどうなっているのか全く想像もつきません!

入り口がどこにあるかさえ解りませんからね・・・

今時は税金じゃなきゃこんな豪華なものなんて作れません!

入り口はぐるっと回った所にございました。

この近つ飛鳥博物館は名前だけではピンと来ないかもしれませんが古墳関係の博物館でして

展示物は埴輪などの埋葬品から石棺・・・

仁徳陵の模型がメインにあると、ここが大阪なんだと再認識・・・

これ↑は二上山の鹿谷寺跡にある石塔の復元品

二上山にある現物は失われている部分が多くて、そんなに高さを感じなかったけれど、復元されたものはかなりの大きさ・・・ビックリします!

この日の企画展は『さまざまなお墓』と題して、墳墓の移り変わりと埋葬方法の違いについての展示

写真の木棺も甕棺も大きさは一メートル足らず・・・

子供のお墓なのだそうです・・・

写真に撮れなかったのですが、発見当時は大々的に報じられた修羅と呼ばれる石材などを運ぶための船のような道具も展示されています。

博物館の周辺は『近つ飛鳥風土記の丘』と呼ばれる公園なのですが、一須賀古墳群と呼ばれる群衆墓が保存されていて、移築されたものもありますが、古墳の密集具合にはビックリです。

横穴式石室のものがほとんどで、古墳時代後期のもの

それこそ推古天皇や聖徳太子の時代・・・皇族の側近たちのお墓かも・・・

須恵器の窯跡↑なんかもあります。

それにしても

これ↑が、なんだかわかりますか?

ただの休憩所なんですよ、これ!

トイレでも何でもありません・・・

なんでこんな形なのか?

う~~ん・・・

う~~ん・・・・

まったく理解不能!!

さすがにもったいないとしか言いようがありません・・・

 

 

 

 

 

 

 

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昼飯大塚古墳と美濃安国寺

2013-08-20 23:21:11 | 古墳

大垣市歴史民俗資料館での展示とそこにあったパンフレットで近くに昼飯大塚古墳という前方後円墳があることを知る。

目的の温泉への途中にあるので寄ってみた。

旧中山道を走っていくと道沿いではないのでよく解らなかったが、着いてみると綺麗な史跡公園として整備されていた。

後円部の一部は葺石と円筒埴輪列が復元されている。

↑後円部頂上から前方部を望む

墳丘長約150mとかなりの規模で美濃最大の前方後円墳なのだそうです。

王様がいたんでしょうねぇ・・・

 

そして、予定があったので、ちょっと早いですが

本日の目的地!

池田温泉です!

本館と新館があるのですが本館の方へ行ってみました。

安いし、お湯もヌルヌルで良いのですが、人が多かった・・・

サウナにテレビが無かったけど、露天風呂に小さな滑り台がある・・・

脱衣場も狭すぎ・・・

なぜか休憩所が数カ所に分かれてあって、そこだけが唯一くつろげる場所でした・・・

 

近くの道の駅でお土産も買って、そろそろ帰ろうと思ったのですが、地図を見ていて美濃安国寺が近いことを知る・・・

時間はないけど行ってみた・・・

ちょっと想像していたけれど、ここの安国寺も寂れてしまっているよう・・・

いやぁ~

ほぼ当時のものは何もなさそう・・・

それでもさすがに歴史はあるので、悲願千人斬りなどの伝承も・・・

↑稲葉光朝の白雲塚?

今は小さなお寺なので、時間をかけることなく参拝できました。

 

 

 

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箕面の古墳 その二

2012-09-22 21:46:42 | 古墳

お次の古墳は新稲古墳

箕面の山の麓、大阪青山短期大学の入り口のすぐ近くにありました。

地図を見て、見当をつけていったのでわかりましたが、道路からの入り口に案内板はなく、ここに古墳があると知っていないとまずわかりません!

墳丘がかなり失われているのか?石室が露出しています。

石室自体はいい感じ!

玄室から羨道がまっすぐ伸びています。

中に行ってみました!

玄室の高さが最後部で2mを超えているとあったのですが、高くなっているのはごく一部・・・

流石に石舞台や鉢塚古墳の様な大きさはありません・・・

それにしてもここの玄室内は明るくて両袖型の玄門がよくわかります。

それもそのはずで・・・

玄室後部の天井部分が失われていて剥き出しになっているんですねww

こんなにきれいに玄室内部が見れる古墳ってなかなかないと思いますよ!

ちょっと離れてみるとこんな↑感じ・・・

大阪北部で石室に入れる古墳は少ないのでもったいない感じがします。

 

この後、まだ明るかったので近くの石澄の滝にも行ってみることにしました。

石澄の滝のある沢の支流の沢へ寄り道・・・

石澄の滝の周辺は鉱山跡が点在していて当時の名残がいっぱいです。

坑道も所々に・・・

こちら↑は一番大きな坑道で竪穴になっています。

高所恐怖症の私はちょっと覗けません!

小さい頃に聞いた話では金属類の鉱山だったらしく、宝石類の綺麗な石は無いそうです。

道を戻って

石澄の滝↑

あんまり人が来ないのか?

日曜日だったのですが、ここに来る途中は蜘蛛の巣だらけ・・・

参りました・・・><

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