東吉野村、吉野川の支流、高見川に沿った道路脇に
ニホンオオカミ終焉の地の像があります。
未だに何処かで生息していてほしいと願うニホンオオカミ
ニホンオオカミが最後に確実に確認されたのが、
ここ東吉野村だったのです。
最後に捕獲された個体の毛皮と頭骨は
ロンドンの博物館に今も大切に保存されているとか・・・
紀伊半島は今でも本当に山深い場所なので、
オオカミもカワウソも生きててほしいな・・・と
ロマンですかね・・・(笑)
ニホンオオカミの像のすぐ横に天皇行幸の記念碑が建っていました。
戦後の昭和天皇行幸の記念碑です。
南北朝時代から天皇崇拝意識が高いとされる地区なので
相当な歓迎を受けたんじゃないですかね・・・
土曜日、仕事を兼ねてドライブ!
R166から東吉野村に入る。
道路脇に天誅組終焉の地の碑
天誅組と言えば幕末の歴史には必ず出てくる名前ながら
幕末維新の時代劇なんかでも、
ほんのちょっぴり触れられるだけのものが多く、
あんまりよく知らないというのが本当のところ・・・
総裁の一人、吉村寅太郎は土佐藩の脱藩浪士なので、
坂本龍馬などとの扱いの違いは悲しいくらい・・・
東吉野村周辺には、ここ以外にも天誅組に関する史跡があるのですが、
取り敢えず、目に留まった終焉の地にだけ寄ってみました。
終焉の地とされるのは天誅組の総裁であった吉村寅太郎が
銃弾で撃たれた場所だからとのこと
碑のある所から橋を渡った場所に吉村寅太郎の墓があります。
尊皇攘夷を掲げて挙兵したものの
結局、ただの反乱軍として、この地まで落ちることになり、
墓の奥にある大岩の裏で撃たれたとのことです。
吉村寅太郎享年27歳っていうんですから、幕末の志士って本当に若いんですよね。
主将で公家の中山忠光なんて10代だったというんですから・・・
担ぎ上げられて怖いもの知らずでイケイケだったのでしょうけど
エネルギーだけはあったんでしょうね・・・
ここ数年、市街地を歩いていると綺麗な道路には自転車レーンが作られていて
さすが都会は進んでいるなと思っていたのです。
それが最近になって、私の住む田舎町にも
今まではただの路側帯だったところに
青い印で自転車の走行帯が示されるようになり
時代が変わったんだなぁ~と感心していました。
そうこう思いながら、いつものジョギングコースを走っていると
歩道と道路の分離帯に真新しい束石のようなものが置かれていて
ちょっと気になっていたのです。
街灯でも建ててくれたら、夜も走りやすくなるなぁ~
なんて思っていたのですが・・・
こんな↑ものが建てられていました!
太平洋岸自転車道の標識なんだそうです。
千葉から和歌山までの太平洋岸をつなぐ自転車道なのだそう・・・
いつの間にそんなものが出来たのか知りませんが、
調べてみると、国と沿道の県によって整備された公共事業の様です。
東海自然歩道の自転車版のような感じなのでしょうかねぇ?
コロナコロナで、お伊勢さんも人が少ないようなので
少しでも多くの人たちが来てくれれば良いのですけどね!
田舎は人が少なすぎて、コロナどころかインフルにも
感染しそうにありません・・・