徐福公園から熊野川の河口近くの阿須賀神社へ!
熊野古道の九十九王子の一つ、阿須賀王子です。
社殿後ろの蓬莱山を神体山としているようです。
実際に社殿裏に経塚が発見されているそうで
隣接する新宮市の歴史民俗資料館で出土品が展示されているはずなのですが、
閉館時間を過ぎていて今回は残念ながら観れず・・・
境内からは竪穴式住居跡も発見されています。
↑竪穴式住居跡
三つの住居跡が重なっていることから
同じ場所に住居を三度も建て直して住んでいたらしく
全国的に珍しいそうです。
そして本殿横にあるのが徐福之宮
↑徐福之宮
このあたりに徐福が上陸したとされていて
阿須賀神社から熊野川に歩いていくと
徐福上陸の地とかかれた記念碑がありました。
うーん!徐福さん!
どうせなら竪穴式住居じゃない
もっと良い住居も伝えてくれればいいのに・・・
↑石碑の左右に猫がなぜか等間隔に並んでる!
二月も半ばになって、まだ陽があるので
今度は徐福伝説の地を探索!
まずは新宮駅からも近い徐福公園
徐福伝説なんて架空の話だと
心の底で思っている私には
ビックリの立派に整備された公園!
無料の駐車場や土産物店までありました。
この公園あるのが徐福の墓
↑徐福の墓
江戸時代に紀州藩によって建てられとされる石碑が建っています。
時代的に通信使もしくは当時の儒学者が中国の史書を読んで
徐福の存在を知り
この地に徐福が来たと主張したとも考えられるのですが
なんの根拠もない場所にいきなり墓を建てたというのも
おかしな話・・・
それ以前に徐福の話を伝えていた人がいるとすると
いつ頃か?
徐福さん!
あなたは本当に日本にやって来たの?
熊野速玉大社の国道を挟んだ向かい側に
城跡が見えたので行ってみました。
新宮城
平山城ということで熊野川に面した丘の上に石垣
車を丘のふもとにおいて登ります。
DAIGOのおじいちゃんの竹下さんが植樹したのかと思ったら
竹下さん時代に銀杯をもらった人の植樹でした・・・紛らわしい(笑)
新宮城は丹鶴城とも呼ばれるそうで・・・
源為義の娘の丹鶴姫の住まいがこの地にあったことによるそうです。
この城跡の石垣は見れば見るほどに奇妙な形
城マニアではない私が見ても違和感があります。
石垣に上る階段がやけに多いし
形がはっきりしません!
案内板をよく見ると
二の丸跡に旅館が作られたことがあり
ロープウェーがあったりと
改変されているとのことでした。
↑このあたりにロープウェーの駅が造られていたそうです。
なるほど!
城跡なのに庭園や池があるのも頷けます。
↑出丸は流石に城跡そのものでした。
改変されているとはいえ
観光するには良い城跡だと思います。
もう一つ!
この城跡の変わっているところは
城跡の真下に鉄道が通っているところ
鉄道のために石垣が削られたりしているのは多いのですが
ここはトンネルなので
壊されずに済んだようです!
お次は熊野速玉大社!
熊野三山の一つです!
知らなかったのですが、神倉神社の元宮に対して
熊野速玉大社を新宮と呼ぶそうです!
考えたことがなかったけれど
新宮市の新宮は、ここからきてたのですね!
一つトリビアが増えました。
鳥居の前に橋のある感じは神倉神社と同じですね!
↑宝物館
宝物館は残念ながら閉館時間を過ぎていました。
中には国宝の神像と神宝が展示されているはず・・・観れないのは残念!
↑梛の大樹
ナギとしては国内最大なのだそう
もう少し遅かったら門が閉まっていた感じ
熊野速玉大社は初めての参拝なのですが
この社の並びを写真で何度も見ているので、
そんな感じが全くしませんでした。
でもこれで、ようやく熊野三山を個人的に制覇したことになりました。
久し振りの熊野なので青岸渡寺に熊野那智大社だけでは終わりません!
新宮まで戻って熊野速玉大社とその摂社神倉神社に行くことに・・・
まずは神倉神社へ!
駐車場に車を止めて、いざ参拝へ!
勇壮な祭りとして知られる御燈まつり際には
↑この橋より先は女人禁制になるそう・・・
今でこそ熊野速玉大社の摂社ということになっていますが
熊野大神が初めに降臨されたのが、この地とされていて、
云わば熊野三山の始まりなのです。
そのため今でも神倉神社の御朱印には熊野三山元宮とされているそうです。
まぁ、流石に橋を渡った処から良い感じですね・・・
↑これが参道・・・
御燈まつりが勇壮な祭りとして知られる理由がこの参道・・・
まつりの時には
この参道を暗い中に松明の明かりだけで駆け降りるというのですから
ちょっと信じられません!
通常の石段より、かなり急だし不規則・・・
30年前ならいざ知らず、今の私が駆け下りようもんなら
数段で足を挫き、転がり落ちるのは必然!
やってみたいとも思いません!(笑)
石段を登りきったところに神倉神社!
見晴らしもよく
新宮の街を一望できます!
拝殿に寄り掛かるようにある磐座がゴトビキ岩と呼ばれるご神体!
社は本殿ではなくて拝殿!
地元の人に聞くとゴトビキ岩の裏が聖地で
神聖な場所なので行ってみなさい!とのこと
そこには
裏というか横に三方を巨石に囲まれた場所がありました。
ゴトビキ岩の周辺からは経筒などが発掘されているそうなので
昔から信仰の対象だったのは間違いありません!
私が参拝したのは
御燈まつりが行われてすぐだったので
この周辺にはまだ煤の跡が残っていました。
機会があれば観てみたいと思います。
お次は青岸渡寺のお隣の熊野那智大社へ!
明治の廃仏毀釈の時に青岸渡寺と別れたということなので
もともとは青岸渡寺と熊野那智大社は一つ!
でも青岸渡寺は廃仏毀釈の時に残った一つのお堂を母体としているので
熊野三山というと本宮大社、速玉大社とこちらということになるのですね
熊野那智大社も「007は二度死ぬ」のロケ地でして
青岸渡寺からショーン・コネリー一行が
この門を通り、式を挙げたのは
↑この拝殿
壁代の模様が替わっていましたが、柱はそのまま!
今回、行ったときは拝殿から本殿にかけて
修理中で足場と遮音ネットで覆われていたのが残念でした!
宝物館があったので300円払って観てみました。
展示は奉納された刀や鏡が主体
あとは那智の滝への参道付近にある経塚からの出土品
まぁ、一度、観たら十分かな・・・
青岸渡寺に到着!
景色は全く覚えていないなぁ~
でも先日観た「007は二度死ぬ」のロケ地はすぐでした!
↑先ずは浜美枝さんが花嫁姿で上がってきた階段
映画では幟は立っていませんでしたが
40年以上経った今でも、ほぼ変わっていませんね・・・
↑ショーンコネリーと丹波哲郎が花嫁を待っている場所は重文の本堂の前
ちょうど、その場所には
当時は無かったはずの世界遺産の石碑が建っていました。
↑鍾堂は当時のそのまんま!
今では007のロケ地なんて気にする人もいないのでしょうね
滝の見える場所で写真を撮る人はいても
ロケ地を目当てで来る人は私しかいないようでした・・・
この景色だけは前に行った時のことを覚えています!
それまで箕面の滝ぐらいしか見たことのなかった私には
その落差に驚きましたからね・・・
「007は二度死ぬ」を観て思ったことがあるのです。
丹波哲郎さんは太平洋戦争当時に飛燕の航空隊にいて
本土防衛の任務に就いたいたという話を聞いたことがあります。
そのためなのか?
映画での丹波さんは
日本人としての誇りを演じていたような気がするのです。
明治維新時に伊藤博文なんかが演じたのと
同じ気概を感じるのですが、
皆さんはどう思われますか?
まぁ、私もカッコ良く生きたいですね・・・
先日、尾鷲に行ったばかりなのに
今度は新宮に行ってきました。
というのも、この間に録画していた映画を見たのですが、
それが「007は二度死ぬ」だったのです。
大部分が東京と鹿児島で撮られているのですが
兵庫と和歌山でもロケが行われていました。
兵庫のロケは姫路城と神戸港ですが
和歌山のロケ地は青岸渡寺と熊野那智大社!
こうなったら、もう何十年も前に行ったきりなので
久しぶりに行くしかありません!
最初はすぐ近くの駐車場まで車で行くつもりでしたが
熊野古道の雰囲気も味わいたくなり
手前の大門坂を歩くことにしました。
土砂災害啓発センターの駐車場に車を止めて出発!
案内地図ではここから青岸渡寺まで40分程となっている。
あんまり時間がないので少し急ぎ足で・・・
↑ここから車道と別れます。
昔に行ったときは、どうやって青岸渡寺にまで行ったか全く覚えていない・・・
あまり歩いた覚えもないのでバスで行ったのかな?
鳥居をくぐり、橋を渡るとその先は霊界・・・
↑夫婦杉
石畳の道は本当に風情のある風景で、歩く価値がありました。
途中で平安衣装の観光客とすれ違い
顔はよく見えなかったけれど、きっと別嬪さんだ(笑)
↑熊野古道の最後の王子である多富気王子
大門坂は日本で有数の巨大杉並木だと思う・・・
大門坂を登りきったところには安倍晴明が庵を構えていたらしい。
それを伝える晴明橋という橋の石材がひっそりと残されていました。
東京では羽生選手が安倍晴明の映画のテーマ曲を使っていることから
安倍晴明ゆかりの神社に参拝客が増えているそうです。
大阪人だった私からすると安倍晴明だったら
京都の晴明神社か大阪の阿倍野でしょ!っと言いたいけれど
なんでも好きなものに絡めることができるファンってすごいですよね・・・
久しぶりに温泉に入りたくなって
どこに行こうか悩んだ挙句に
南に行けば良いだろうと思い
車を走らせ
着いたら尾鷲でした!
ただ温泉に入って帰るのでは味気ないので
近くの尾鷲神社を散策
駐車場に車を置いて入り口を探すのですが
ちょっと位置関係が変わった感じ・・・
鳥居のまっすぐ先には巨木!
夫婦に分かれた大きな楠!
木の瘤は良縁・子宝に良いらしい・・・
参道は大きな楠の手前で90度まがって拝殿
なんでだろう?
実は大きな楠の後ろには小さな祠
案内板にはこちらが旧社殿地だとか・・・
おかしな位置関係だなと思ったのはそういうことだったのですね・・・
↑本殿は神明造でした。
私が行った次の週にヤーヤ祭りと呼ばれる奇祭があるそうで
この日はまだまだ静かな境内
弓で的の星を射抜いたら
町を挙げて伊勢神宮にお参りするのだそうだ。
尾鷲神社参拝の後は
熊野古道センターにある夢古道の湯へ
温泉温泉と思っていたら
海洋深層水を沸かしたお湯でした・・・