体重が夏から2㎏、3㎏落ちている。此処十日ほどの食事が不順だったからだろう。そこに少し長い距離を走っているので、どうしても痩せる。車を引きとってからなかなか落ち着かない状況があった。先ずは機能を活かすために電話の変更など早めに済ましたかったからだ。同時に技術的に試す事が多すぎる。
洗濯物屋から山の上に向かって、今迄も地面が落ちてぬかるんでいるので停めにくかったところにバックで入ると、映像にもなにもないのに警報が近づいた。調べてみると下草の枝であった。これは使えると思った。
一っ走りして下りてきて、バイパス沿いの駐車場でホットポインツを使うヴォーダフォーン経由のYouTubeも試してみた。ZDFもなにもかも山の中では登録まで行かなかった。電話とホッツポイントの双方が入る場所でないと登録できなかった。期間限定だが、機能を試すには持って来いである。
兎も角ギャラクシーとも車上WLAN登録を済ましたので、フォーンからテーザリングでモニターを使える筈なのだ。あとは時間を掛ければよい。確認したのはその形式では時速6kmぐらいを超えると画面が消える。USBの方はどうなるか確かめる必要がある。更にLINUXをそこに接続まで試してみないといけない。
イスラエルからの演奏会評が流れて来た。マーラー交響曲九番を当地のフィルハーモニカーで振ったものだが、先日から出ていたブルーノ・ヴァルター指揮の影響が語られてもいる。なによりもバーンスタイン流の黄泉の世界を描いた交響曲ではないとするものだ。
既にブレゲンツでコロナ期間中に振ったのを第二の故郷のフェルトキルヒまで追いかけてに回聴いたので分かっている。改めてブレゲンツでの中継録音を流している。当時はそこでのマーラーツィクルスの最終演奏会となっていたんでとてもとても名残惜しさがあった。
実際にコロナ期間に話していた様にその後に指揮者がイタリアへと本住居を移しているので、お別れの気持ちが強かったのはよく分かった。生き別れも死別もそれほど差はないだろう。上の評ではアバドやクレンツィスにおける見せかけである「それゆえに人生よりも大きなものが描かれていたか」無しに、最後には手を突き出して数秒の祈りがさりげなくあったという。それらをして真の再構成であって、月並みをバラバラにするだけではないとしている。
まさしくそこでバーンスタインにおけるそれがシオニズムの音楽的表現そのもので、イスラエルの建国と今日までのそれを語っているようなところがある。勿論イスラエルにも多くのリベラルな市民がいて、その人たちの為に音楽をしているようなものであろう。
アバドよりもバーンスタインよりも15分ほど早いというが、今手元の録音でも二回聞いた印象でも決して走った印象はない。それとは反対に来年のベルリナーフィルハーモニカーの演奏ではさらに早くなるところもあるだろうかと思わせる。それ程深く息をするだろう。どんなに鼓動が早くとも溜息の動機は溜息でしかない。
燃料は70%から37%まで走行で使って更に2%を作業中に使った。距離からすると十数キロしか走っていないのだが、35キロ分を使ったことになる。冬はやはり電気燃費が悪いのかもしれない。然し街を出る時に時速50kmから強く踏み込むとエンジンが稼働したので基本的なハイブリッドの調整の仕方は分かった。
参照:
全てのものからのお別れ 2021-10-14 | 音
ディクテーションへと 2024-12-20 | 生活
洗濯物屋から山の上に向かって、今迄も地面が落ちてぬかるんでいるので停めにくかったところにバックで入ると、映像にもなにもないのに警報が近づいた。調べてみると下草の枝であった。これは使えると思った。
一っ走りして下りてきて、バイパス沿いの駐車場でホットポインツを使うヴォーダフォーン経由のYouTubeも試してみた。ZDFもなにもかも山の中では登録まで行かなかった。電話とホッツポイントの双方が入る場所でないと登録できなかった。期間限定だが、機能を試すには持って来いである。
兎も角ギャラクシーとも車上WLAN登録を済ましたので、フォーンからテーザリングでモニターを使える筈なのだ。あとは時間を掛ければよい。確認したのはその形式では時速6kmぐらいを超えると画面が消える。USBの方はどうなるか確かめる必要がある。更にLINUXをそこに接続まで試してみないといけない。
イスラエルからの演奏会評が流れて来た。マーラー交響曲九番を当地のフィルハーモニカーで振ったものだが、先日から出ていたブルーノ・ヴァルター指揮の影響が語られてもいる。なによりもバーンスタイン流の黄泉の世界を描いた交響曲ではないとするものだ。
既にブレゲンツでコロナ期間中に振ったのを第二の故郷のフェルトキルヒまで追いかけてに回聴いたので分かっている。改めてブレゲンツでの中継録音を流している。当時はそこでのマーラーツィクルスの最終演奏会となっていたんでとてもとても名残惜しさがあった。
実際にコロナ期間に話していた様にその後に指揮者がイタリアへと本住居を移しているので、お別れの気持ちが強かったのはよく分かった。生き別れも死別もそれほど差はないだろう。上の評ではアバドやクレンツィスにおける見せかけである「それゆえに人生よりも大きなものが描かれていたか」無しに、最後には手を突き出して数秒の祈りがさりげなくあったという。それらをして真の再構成であって、月並みをバラバラにするだけではないとしている。
まさしくそこでバーンスタインにおけるそれがシオニズムの音楽的表現そのもので、イスラエルの建国と今日までのそれを語っているようなところがある。勿論イスラエルにも多くのリベラルな市民がいて、その人たちの為に音楽をしているようなものであろう。
アバドよりもバーンスタインよりも15分ほど早いというが、今手元の録音でも二回聞いた印象でも決して走った印象はない。それとは反対に来年のベルリナーフィルハーモニカーの演奏ではさらに早くなるところもあるだろうかと思わせる。それ程深く息をするだろう。どんなに鼓動が早くとも溜息の動機は溜息でしかない。
燃料は70%から37%まで走行で使って更に2%を作業中に使った。距離からすると十数キロしか走っていないのだが、35キロ分を使ったことになる。冬はやはり電気燃費が悪いのかもしれない。然し街を出る時に時速50kmから強く踏み込むとエンジンが稼働したので基本的なハイブリッドの調整の仕方は分かった。
参照:
全てのものからのお別れ 2021-10-14 | 音
ディクテーションへと 2024-12-20 | 生活