Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

なによりも良かった沈黙

2022-12-12 | アウトドーア・環境
週末は就寝中の喉の痛みに苦しんだ。木曜日には快い喉の痛みだったのでのど飴補給を怠ったほどだった。それが週末から嚥下に問題が出てきたが、何よりも就寝中にそれから熟睡を邪魔されたのがかなわない。道理でのど飴が売り切れ状態に近かった筈だ。平素から舐めているのでどういう時にどれがよく効くかは分かっているが、あまり強いものはお腹を壊す。

そして漸く痰のような老廃物の吐瀉物がぼちぼち出るようになってきた。恢復への目印だろう。身体も徐々に元気になってきたので、これでゴールまで走り抜けたい。さもないと週末までに影響する。幸い降雪は週の中間から金曜日ぐらいにまで掛っていて、土曜日の往路さえ何とか道が空いていれば、復路は問題がないだろう。なぜならば交通量も多い土曜日の午前中は除雪も進み時間さえかければ目的地へと進める。そしてアウトバーンも一度乾けばどんなに零下になっても大気さえ乾いていればそれほど状況は悪化しない。

出来るだけゆっくりと寝るためにベットにいる様にしていたが、一番問題だったのは折角買って来てあった酵母抜きのパンが食せない事であった。パサパサ感があって、これまた折角あったヤギのフランス製チーズを塗っても喉を通らなかった。粥を必要とまではなかったが、パンも食せないことがあるのだなと分かった。

その分、待降節用の薬草ケーキが食せた。これはそんなつもりで購入したのではないが、喉にも優しい。

批評を読んでいてよく分かるのはその公演の内容だけでなくて書き手の音楽の理解の程度である。嘗てはその人の洞察力とかそうした点がその人の理解の仕方に反映されるのかなと考えてたが、やはりそれ以上に若しくはその人の主義主張以上に何を聴いているのかがよく分かる。フランクフルトのチャイコフスキーに関しては明らかにその音楽や楽譜が有している中身を評価できない人が多いようであるが、やはり少数派でも分かっている人は分かっている。逆にヴァークナーとかになれば最初の前奏曲からして判断がなされて、最後迄とてもつまらない思いをしている。全ては指揮者の責任であるが、抑々最初から何かを期待して出かける方が悪い。

その意味からも、ヴィーンの音楽監督で期限延長されずにクビを言い渡されたフォリップ・ヨルダンの指揮は新制作「マイスタージンガー」ではある程度の評価もある。しかし、そこにに書いてあることから、それならばクビにはならなかったよということばかりである。つまり書き手は音楽的にそこが分かっていない。反対にミュンヒナーフィルハーモニカーの後任探しの一環としての登場で瞠目に価する批評があった。それは「神々の黄昏」からの演奏で、ラインへの旅では次から次へと新たな響きが鳴らされ最後に驚くべきリタルタンドでクライマックス、「ジークフリートの葬送」ではイザールフィルハーモニーの音響のテストにドアをも揺らがす程の音響で、一番素晴らしかったのは沈黙だったと書かせる。流石にこれには読者の批判のコメントが寄せられた。ここに、ヴィーンでの花束が投げ込まれた反響や、そしてこの指揮者が到底独墺市場では全く可能性の無いことを示している。ノイエズルヒャー新聞は書いていた。クビの理由は本人の為にも伏せられたと。勿論ヴィーナーフィルハーモニカーがイントロ当てクイズなどは演奏していられないということでしかない。



参照:
Pracht und Totale, Michael Bastian Weiß, Abendzeitung vom 17.10.2022
名曲もイントロ当てクイズ 2022-10-06 | 文化一般
縛られた「蝶々夫人」生中継 2020-09-09 | 生活
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一足先の蝙蝠の歯

2022-10-29 | アウトドーア・環境
コロナ以来初めてボールダーに出かけた。否、その前三年程の2017年以来かもしれない。コロナ期間中に出かけようと思ったのだが、車が動かなくなったらどうしようかなどを考えて、二年経った。結局五年程触っていなかった。一か所を見たのだが、岩の周りが掃除されているようで、この間に林も一部手が入って足元もよくなっていた。

それでも有名な岩の間にこうもりが寝ていたことからすれば、それほど訪問者が多いとも思われない。これだけ天気が良くても誰も見かけなかったので、不思議にも思った。

兎に角、そこに出かけて、マットを広げて靴を履き替えてが結構面倒なのだが、更に手も足も出ないとなると落ち込む。簡単なところで試したが、やはり力が入らなかった。これでは通常のクライミングも簡単なところしか登れない。平素使っていない神経が先まで回る様に複数回通わないとやはり駄目である。来週になると天気が悪くなりそうだが、足元が開いていて、南向きの場所ならばまた天気の良い時に試せるだろう。踵を引っ掛ける所に蝙蝠の宿も見つけてしまったが、冬になるとまた動いてくれるかもしれない。

力も入らず、新しい綺麗になっている岩を見つけて試してみた以外は成果がなかった。一時間程経ってから、その奥で走ることにした。初めてのコース取りだったが、往路15分まで岩の下の斜面の林道を走って、戻ることにした。どのあたりを走っているのかよく分からなかった。だからハイキング道の道しるべがあったので決めた。下の城への途上の路で、後で調べるとそこの斜面の下りだすところまで来ていた。海抜460m程のところで少し尾根筋のようになっていて車で走ると浮いた感じになる所で今の紅葉の時期には殊に気持ちがよい。往復で28分だった。但し林道にしては足元ももう一つで、4キロも走れなかった。それでも一時間半の中で一通り運動できたので、今後の参考になる。出来れば週の真ん中はこれぐらい運動したい。

準備体操から柔軟体操になるので、これで翌日の筋肉痛が少しでも解消されれば嬉しいのだが、その後遺症によっても今後の予定が変わってくる。腰の張りになっているのだが、様子を見てみよう。

郵便桶にミュンヘンからの封書が入っていた。火曜日までに払い込むかどうかで決断してというのがあったのだが、払わなかった。だから勘違いで結局送り付けたのかなと思った。それでも構わないと思った。こちらの希望に沿っていたからだ。それでもそうした猶予を持たせた意味も考えた。少なくとも席が無くなる訳ではないので、出来れば安い席を買えた方がいい。そう思って開封すると、その直前に購入したティケットで完全に忘れていた。それは18ユーロの立ち見席であった。こちらも椅子の方がよかったが安ければ仕方がない。

ボールダーから一っ走りして尾根から街道筋に降りてくると、ローマ人のブドウ園の背後の段々畠が綺麗だった。嘗ては斜面でそのように作っていたのだが、作業効率化からスロープが殆ど担ってしまった。最近は環境を考えたリヴァイヴァルで各地で石を積むところも増えている。



参照:
冬至に春の息吹きを想う 2007-12-23 | 暦
三大氏神下しへの可能性 2022-10-19 | 文化一般
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吹かされる黒い森の心理

2022-10-14 | アウトドーア・環境
承前)ロマン的な跳躍というものも存在するだろう。偶々乍ら、ベルクの歌劇などの後の作品としてヒンデミートによる「ヴェーバーの主題によるメタモルフォーゼン」が浮かび上がった。この曲には昨秋再び巡り合えた。その演奏に関しては既に纏めたのだが、その時に調べた原曲の民謡風のものにも想いが向かった。そしてメタモルフォーゼン、まさしくこの制作におけるそのヴェーバーの音楽の本来持っている危険性とその後のナチズムにおける「黒い森」の心理がここではパロディー化されている。ヒンデミートの創作の場合は反ロマン主義と反ナチズムとしての基本コンセプトであったのだが、それがこの制作ではまた今日的な視座からあらゆる社会的な関心事としてここでは扱われている。

バーゼルの「魔弾の射手」は長期ランで好評のようだ。どうも12月まで10回ほどの公演が計画されていたようで、結構入っている。そこで新たな批評なども出ていて、大成功している証拠でもある。恐らくチューリッヒなどのスイス国内だけでなく、遠方からもマルタ―ラーファンが駆けつけている様だ。つまりターゲットはオペラファンだけでなくて、芝居ファンも多いのだろう。

ホームページには一週間ほど前にティーテュス・エンゲル指揮の新たな音源がアップされていた。流してみると其の儘劇場の装置で簡単に録音されているに過ぎない。いつものようだがこうした録音を簡単に出している劇場も可也の度胸だと思う。元々その音楽的に高度な表現とかで売っている劇場ではないから可能なのだろう。

このような短い音源だから参考程度にしかならないのだが、とても面白かった。初日に聴いたものとの違いははっきり分からなかった。しかし序曲に於いても既に述べたような奈落のリフトアップをどうしても頭に受かべてしまう。実際によく録れている高音質再生ならば楽器の響き方が全く異なってくるので、その響きから上下動が見えるように聴こえる筈である。

其れでも批評にある様に緊張感もあり、尚且つ古楽奏法の殆どラフな音が出ていたとされる通りだ。なによりもこうして再聴すると、その一拍目のアクセント付けからの強調は可也のもので、基本コンセプト其の儘だろう。

アガーテのアリアは、歌手の実力に合わせて最大限にその歌を引き出している。特にフランス人の歌唱だと思うが、ドイツ語のアーティキュレーションをみっちり付けたようで、実際にそうした指揮をしている。序曲に於いてもああした歌い口はフルトヴェングラーとかそうしたドイツの指揮者に通じるもので、その様な面も高評価に繋がっているのは当然なのだ。

逆に、もう一つの大きな基本コンセプトであった「狩人の歌」がいいアクセントで歌われた後は、ガス抜きの様にホルンの独奏を女性奏者が舞台上で吹かす。もう一つのパターンが、管弦楽団がビールマグを口にあてながらハモるのである。その時舞台上で合唱団はブロイライの机を囲みながら各々がケースからヴァイオリンを取り出して音無しに弓を動かす。(続く)



参照:
録音を出してしまう度胸のあるバーゼルの劇場 (pfaelzerwein@pfaelzerwein_en)
独墺核レパートリー 2021-12-02 | 音
独墺交響楽の響き 2021-11-24 | 音
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基礎となるのは環境

2022-10-04 | アウトドーア・環境

カザルスフォールムを視察した。外観の完成は未だ来年になるらしい。それでも環境ニュートラルの雰囲気は佇まいにもあり、フランクフルトのアルテオパーに行くならこちらの方がいいと思った。緑も水もあって美しい。そうした自然の恩恵を使ってヒートポンプで賄っている。

気が付いたのはロビーの広さが十分ではないことで、会場廻りが片付くことでテラスやバルコンなどが使えるようになるからだろう。今後に期待したい。

肝心の音響に関しては放送で聴いていた程ではなかった。座席の関係もあるだろうが、あれだけマイクを使えばホールトーンと細かな音とのバランスをとれる。演奏した楽団と指揮者がよくなかったので、到底高度な音楽的な表現は確認できなかった。

最大の問題は、ミナシというイタリア人の指揮が古楽器奏法を使うにしても和声のバランスもとれておらず、ただただ上声部や内声部を出入りさせるだけの演奏としていたことで、バロックから古典派迄全くその機能和声が不明確で、低声部から乗る調性色が小汚く奏でられていたに過ぎなかった。その一方でアルバンベルクの弦楽四重奏曲「抒情組曲」の室内合奏版になると、案の定いい加減なアンサムブルで低音のドローンのような音を鳴らしていたに過ぎなかった。全くを以て身も蓋も無いミナシ指揮であった。

その誤りは、今回ヴィーンの国立歌劇場音楽監督を契約期間延長無しに更迭されるフィリップ・ヨルダンの其れにも似ていて、独墺や先進音楽国以外ではあり得る事なのだろう。一体どのような基礎的な音楽環境がそうした音楽家を排出するのか、それどころかなにが業界においてそうした音楽家がキャリアを築かせる下地になっているのかなどととても大きな問題を提示している。

まさしく、アルバンベルクのこうした曲をあまりにも容易にオペラ「ルル」か何かの様に読み込んでしまう感覚は、もはや野蛮の始まりとしか思えない。会場ではこのアカデミーの審査委員でもある指揮者のエッシェンバッハが座っていたのだで、その様子をちらちらと観察した。

この程度の規模の楽団で、この様にしか振れないシェフってどうなのかなと思った。ハムブルクのエルフィーを拠点にしている室内楽団なのかもしれないが、これならば先日のここを本拠地とする欧州室内合奏団の方が楽器は違うのだがまだ今後も成功するのではないかと思う。結局古楽器奏法での耳辺りの新しさだけで、それ以上のアンサムブルの芸術に欠けるのである。それは指揮無しで、チェロ協奏曲の伴奏をした時にも明白だった。この曲の面白さは、ホグウッド指揮のヴィデオを観ていても、全く異なる所にあるのだが、ソロ共々真面な音楽が弾けていなかった。ソロはアルカンテ四重奏曲の創立メムバーとか紹介されているが、丁寧な音楽家ではなかった。アンコールとしてデテュユーの小曲を演奏したが全く以て表面的な演奏で、ブーレーズの薫陶を受けているといってもさっぱり感覚的に駄目なのである。久しぶりにハイデルベルクで私の前で自身の曲の演奏に耳を傾けていた作曲家の面影を感じた。彼の考えていた音楽ではないと直感的に分かった。(続く



参照:
引き寄せられた街の様子 2022-10-03 | 雑感
こじんまりとした日常 2019-10-24 | 生活

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室内楽会場の環境芸術

2022-09-28 | アウトドーア・環境
街道筋の閉鎖が除去された。その一日前に数日ぶりに走った。前回水曜日は足の調子が悪かったが、休んだお陰で全く問題がなかった。やはり疲れると駄目なのだと分かった。

新ホールへの訪問は週末に迫った。曲目等は様々なのでと思ったが、改めてプログラムを見るとそんなに悪くないと気が付いた。時間を作ろうと思う。杮落としに関する評が載っている。音響が大絶賛されている一方、その環境にやさしいコンセプトなど全てが成功しているようだ ― 抑々、ホールの音響なら計算(と恐らく経験)で誰でもいいホールは作れると書いている。

そこから世界の有名室内楽会場、フィラデルフィアの1726ローカスストリート、ロンドンの36ヴィグモア―ストリート、マサチューセッツリノックスの297ウエストストリートの横にベートーヴェンプラッツのカザルスフォールムが置かれるだろうとしていて、カーティス、ウィグモアー、タングルウッドとカザルスフォールムとされるだろうとしている。

確かにここで書かれている通り、件のシフ指揮のバルトーク作曲ディヴェルティメントの演奏もその稀に聴く密な印象にも拘らず四声部の構造が拡大鏡で覗くように聴こえ、しかしその不協和音はあくまでもシャープであり、丸められていることはない、それが指揮者演奏家の腕だけとは聞こえずに、付け加えることのなく削られることもなく響いたと分かるとしている。

まさしく放送で響いたそのものであり、殆どぼけ老人の様なシフの指揮も楽団のアンサムブルの上に乗って、それでも自らの音楽となしていたが、それ程素晴らしい音響だった。それがこのホールでの最大規模の編成のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲では無指揮者で演奏されたことでも証明されていた。

いい演奏というのは、いい演奏家だけが為すものでなくて、聴衆が為すものではない、その環境が大切なのである。音楽に限らず、芸術を作るのは環境なのだ。故に当地の駅からの開発と組み合わされたようで、環境開発としても視察が楽しみである。

上の批評で思いつくのはやはり夏のツアープログラムのマーラーの七番である。如何に細部の楽譜を音化しながら同時に全体の響きとしてその音響構造に注意を向けるか、もしくは作曲家が意図したその音を聴かせるかでしかない。そういう音の構造自体が現在の交響楽団などが成立した時、つまりそれらが伝統とか個性とかするようなメインレパートリーでの演奏では要求されないアンサムブルなのである。尚の事、より歴史のある劇場の座付き管弦楽団の世界とは大きく異なる。

しかし、こうした室内楽のアンサムブルにおいてはよりその創作に迫れるというのはそういう意味合いもある。今回でも室内管弦楽団が演奏したハイドンにおいても、その弦の奏法とかで、比較的容易にありうるべきバランスのアンサムブルに近づけるというのはそういうことなのである。エアール音楽祭でそうしたブラームスの交響曲の演奏が叶った背景でもあり、個人的にも十年以上は大管弦楽団など眼中にはなかった理由でもある。



参照:
クロンベルク再訪へと 2022-09-26 | 文化一般
並行した空間からの響き 2006-02-03 | 音
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三年ぶりのライン渡し舟

2022-09-18 | アウトドーア・環境
ライン河を越えて試飲会に出かけるのは久しぶりである。前回はコロナ禍の前になるので2019年9月だった。三年ぶりになる。ロンドンのウェストミンスター付近でも凍えているようだが、これほど冷える九月は初めてだ。

久しぶりにヴィ―スバーデンから車を走らせると、最近は見ていなかった東側からのワイン地所も眺められて気持ち良かった。最近は行くことも無くなったのだが、それはそれで美しい場所柄である。ブラームスは1883年5月から滞在してライン交響曲の影響を受けて秋に三番を書き上げた。

行きは船賃をケチって遠回りして陸路を向かったが、やはり橋の工事だけでなくヴィ―スバーデンのアウトバーン入り口閉鎖などナヴィに把握されていなかったもので、街中も15分ほど余計に走った。船賃は一人一車5ユーロだったので、それぐらい余分に燃料を使ったかもしれない。

帰りも正刻と半を目指して船着き場を目指したが、少し遅れて30分待ちかと思ったら、数分遅れて入ってきたフェリーに乗れた。やはり、距離が短くなると酒帯運転でも大分楽になる。やはり陸路をラインを越えてマインを越えての価値はない。早くマインツの橋が直って欲しい。

危惧していたラインの水量は十分そうで、問題なくフェリーは走行していた。但し天候の為か自転車とかの行楽客は全くいなかった。これも今時としてはとても珍しい。

地元のワイン祭りが六月に開催されずに来週から六日間も開催されることを知った。幸運にもこの間に早朝出かけたり夜間外出の予定はなかった。事実上閉鎖されてしまう。新しい法律では完全交通閉鎖できるようになったようで、以前のように強行突破で自宅まで車を入れることは不可能になったようだ。要するに車両によるテロなどの防止が完全閉鎖へと繋がってしまったのだろう。

通常のお勤め人ならば早朝の通勤もあるだろうが、それが不可能になっている。つまり来年の例年通りの日程でもそれが通用する。既に計画した避難日程では土曜日にミュンヘン発になっているが、時間通りに恐らく15時にまでに帰宅できないと自宅まで車で入れないことになる。もしその解除時間が短縮されれば、週末を通して更に旅行を続けなければいけなくなる。

一体どれほどの経済効果があるのかは知らないが、朝までの飲んだくれ彷徨に一体どれほどの価値があるのか全く解せない。やってみてまた人が集まらなければまたコロナ禍以前のように縮小が続くであろう。

今回は涼しいので窓を閉め切れるのでそれなりの生活は可能となり、始終ノイズキャンセリングで暮らす必要はない。しかし六月は暑くなるので不可能なのである。世界最大のワイン祭りは今週で終わりだろうが、その客を更にということなのだろうか。確かに往時は地元で世界有数の規模で行われていたのは事実だった。今年は夜間は寒くなりそうなので、早々と店仕舞いで殺風景となって、来年は出店など縮小へと動いて欲しいと思う。権利だけは朝まで開ける契約でも客が来なければ資が取れない筈だ。



参照:
隠密のラインの旅 2019-09-22 | 試飲百景
塗り潰されていた感興 2022-08-10 | 音
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素晴らしい夏の響き

2022-08-28 | アウトドーア・環境
久しぶりの落雷停電だった。無料券で18時過ぎからのディジタルコンサートホールを生中継から、過去アーカイヴへと移って流し続けていた。23時30分は過ぎていたか、ブラックアウトになった。早速、デスクの前のボードのヘッドランムプをつけて、いつもの蠟燭に火を灯した。遠雷であったが当分回復しそうにないので、就寝することにした。それでも零時を回っていた。

やはりWLANも切れ、電話も掛からないとなると為すすべもない。タブレットに入っているフランス映画などを観ながら大人しくしていたが1時半ぐらいかに点灯した。その時のことを考えて、もう一度電源が入った時の危険性をチェックして起き上がろうと思っていた時だ。結局階下のラムプを消し忘れていた。やはりそういうことは仕方がないので、消し忘れるのが普通だと思う。炊事時に地震などの時は誰でも消し忘れるだろう。

それで安心して就寝したが,少なくともその間冷蔵庫には電気が流れていないことも先ほど気が付いた。幸い雷雨があって十分に冷えていたので関係はなかったが、夏の暑い盛りならば、生鮮食料品の痛みも早くなっただろうと思う。

さて、生中継は先ずは怪我の指揮者ペトレンコが普通に歩いて出てきていて安心した。高椅子に腰を落とす感じで、右足のギター奏者の足台のような物を使って、結構立って指揮もしていた。流石に最後の答礼でチェロソロ奏者を立たせるのを忘れる程痛かったっ様で、踏ん張り過ぎていたようだ。

例年の事で、二回目のザルツブルクで少し抜いて指揮をしてもらえばそれでいいだろうか、ルツェルンでしっかりとやって貰いたい。音楽的な細かなことはもう少しお勉強して、実演後のネタとして置いときたいが、印象は結構強かった。

なによりも余り動き回らないので、身体の軸が安定しているようで、落ち着いた音が出ていた印象がある。良し悪しではないが、何か今後にいい影響を与えそうで楽しみである。ペトレンコ指揮の音楽の最大の利点は引きづらないことで、テムポを上げたから解決するものでもなく、早くても弾きづる指揮者も少なくない。反面、曲によってはもう一息入れたいと思わせることもある。特に独墺系の核レパートリー指揮で思わせることであるが、今回のマーラー作曲第七交響曲では、それは一つの曲の特徴として作曲家の当時の状況として活きていたと感じた。

そしてコロナ後初めての独伝統配置での響きは素晴らしく、ミュンヘンで絶賛されたライヴ録音のCDを彷彿させた。これだけいい響きのベルリナーフィルハーモニカーは初めだ。ピッチも何か安定してきているようで、疑問点が悉く解決されて行っている。弦楽の上手さは米国のビッグファイヴのそれを超越して更に木管が絶妙につけている。響きに関してはやはりフィルハーモニカー自身が語っているように、「スペードの女王」での奈落の響かせ方が、ビフォアーアフターで効いてきているようで、素晴らしいとしかいいようがない。

独伝統的配置がよく鳴るシューボックス型のルツェルンの会場でどのような響きとなるか今から余りにも期待が膨らみ過ぎる。



参照:
ベルヒテスガルテン眺望 2022-08-12 | 音
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
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SP三人の圧力に抗する

2022-08-08 | アウトドーア・環境
日曜日の晩にキルヒハイムボーランデンのコンサートに出かけた。お目当てはオクサーナ・リニヴ指揮ウクライナユース楽団の演奏だ。そのパウルス教会はモーツァルトが演奏したオルガンで有名である。マンハイムからパリへの寄り道でそこでオルガンを弾ている。だからそのオルガンを聴きに行ったのが30年程前だと思う。それ以降は40km程の距離にしても出かけていなかった。さしたる用事がなかったからだ。もう一つには道がもう一つ連絡がよくなかった印象があった。一時間では着けなかった。

今回走ってみるとワイン街道の北端グリューンシュタットまでもバイパスが半分以上できていて、開通すれば信号無しでパリ郊外まで走れる ― 全自動運転ならシャムパンを傾けながら車窓を愉しめる。ザルツブルクなどと同じ感覚で出かけられる。今回は未だ目的地までは何回か信号待ちをしたので50分ほど掛かったのだが、ヴァケーションシーズンで近郊の行楽客が少ないのか渋滞はなかった。

但し私のオールドタイマー車をゆっくり走らせて愉しめるようなドライヴではなかった。先ずはグリューンシュタットの街中で道に迷ったり、そこを過ぎてからはワイン産地ではないのでさしたり明媚な風光もない。それは致し方がない。

目的地の街の面影は変わっていたが、無料ガレージも直ぐに分かり問題なく停めれた。教会の下にはウクライナユース管弦楽団のバスが駐車してあった。お陰でそこは駐車不可になっていた。

開演75分程前に教会に着いた。既に何人かの人は集まっていた。自由席だからだろう。そしてサウンドチェックが始まっていた。ここの主催者が委嘱した作品でコロナ中に初演は済んでいた。その関係もあって今回ツアーはバイロイトで始まり、その次にこちらにやって来て、翌日月曜日にはルツェルンの中ホールで演奏会を行う。

練習風景を30分以上観ていたのでとても参考になったが、更に興味深かったのは、眼つきの悪いSPを見つけてその警護対象を探した。挨拶の声が聴き取れなかったがウクライナのフランクフルトかどこかの総領事だと思われる。三人がイヤフォーンをしてソフト警護をしていたが、直ぐに拳銃に手が届くように上着の中に手を入れるのが不気味だった。

一人は運転手兼なのだろうが、一介の領事としてはあまりにも完全警護で、余程狙われると考えているのだろうか。成程ベルリンの全権大使ぐらいに嫌ドイツ連邦政府を打ち出している無礼者ならばドイツの国粋主義者にやられるかもしれないが、こうした少なくとも発言を見るとそれ程の特異な外交官ではなかった。飽く迄も援助をお願いベースにしていたと聴き取った。

しかし何よりも効果は、先ずは指揮者のオクサーナ・リニヴに圧し掛かっていたと思う。どうも国防省の許可を取っていたかのように思えて男子楽員も頑張っていたが、プログラムに対する圧力や飽く迄も体制よりの態度は求められていただろう。そこに圧力をかけるかのように3人ものSPが付けば殆ど強制的な圧力を感じないわけがない。サウンドオブミュージックのトラップ男爵がナチの旗を引き摺り破る気持ちが分かる。



参照:
アホをギャラリーする 2019-08-17 | 文化一般
オープンエアーの季節 2022-07-10 | 暦
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美しい中山での風景

2022-08-07 | アウトドーア・環境
今週もお勤めはこなした。週に10㎞も走れないのが情けないが、回数を一回増やしたのは健康的だ。総合高度差も減っている。久しぶりに摂氏20度以下で走れた。来週あたりかラもう少し運動量を増やしたい。足の調子がよくなれば頂上往復もしたい。

先週の中山への登りでは久しぶりに使っていない筋肉を使った。やはり大きな落差の足場を登るのは走るのとは全然違う。幸い後遺症はなかったが、普段使っていないことに気が付いた。それを鍛えておかないと高山には登れない。標高が低くとも石灰質地盤でそれが経験できたのが良かった。更に頂上岩壁帯はガラ場は短ったのだがルートファインディングを間違うと結構面倒なところに出る。

上から下りて来た親仁が苦労していたのも足場が石灰でつるつるになって覚束なく、手に力が入ってしまうからだろう。長めのストックを上手に使いこなす人ならいいのだろうが、使っていなかった。自分自身もアルプス行にはストックは欠かせないのだが、今回は走ることを目的としたので荷物も殆ど無しで、久しぶりに手ぶらで出かけた。やはり同じようなトレイルランニングシューズを履いていても大分異なるなと改めて思った。

すれ違った婆さんが頂上から主張したという意味もよく分かった。ハイキングだけにしてもアルプスなどでも歩いていた人なのだろう。恐らくアルパイン協会の会員だろう。単独で往復五時間ぐらい歩くのは偉い。

ゴンドラの山上駅からならば頂上往復はそれなりに時間を掛けても家族連れで楽しめるのだろうが、下からとなるとやはり時間配慮しなければいけないからだ。本当に街からのハイカーもいた。個人的には長い時間を掛けて歩くと足が草臥れるので苦手なのだ。

このキムゼーのカムペンヴァントはその頂上の十字架が大きいだけでなく、アウトバーンなどからも目に付きやすいので人気があるらしい。そのことをで直ぐに思い出した山並みとほぼ同一だった。ミュンヘンの環状を出てローゼンハイムの谷に降りていくときのその風景が一番美しい。今迄もザルツブルクに通うときに何回も通っていて、そして今後も何回も通るだろう。最近はキムゼーの北側のアウトバーンも完備していて、今回の定宿のような場合はそちらを通った方が早い。その国道沿いも信号が殆どなく美しい。


夏季の中山にはあまり興味はなかったのだが、こうしてティロルの谷を覗いたりするとやはりそれなりに美しい。そして、音楽祭などの日程と上手に組み合わせることが出来るのもいい。

日曜日のユース管弦楽団演奏会の次はルツェルン音楽祭に二回出かける。二回目は日帰り往復を考えているが、場合によっては何かを組み合わせられないかと考えている。



参照:
下から目立つ大きな十字架 2022-07-31 | アウトドーア・環境
天使が空から降りてくる 2022-08-02 | 雑感

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下から目立つ大きな十字架

2022-07-31 | アウトドーア・環境
インの谷が広がるローゼンタールから見えている山容。翌日のマティーネ―の後に頂上を目指す山カムペンヴァントである。標高は1664mしかないが頂上に立っている十字架が一番大きいのと、この様にどこからでも目立つ山というのでハイキングの目標になっている。更にゴンドラの山上駅から標高差は300m程なので足元がしっかりしていれば気楽に登れる。しかし流石に30ユーロ近く払って大した運動にもならないなら意味がない。そこで標高の一番高い駐車場から歩くことにした。午後の短い時間に高度差800mの運動ならば満足だ。

乗り越えなければいけなかった課題は、真夏の午後の低山登山で暑い、陽射しが強い事、そして雷雨が予想されている事の二つだった。念のためにヘッドラムプは持って行ったが、日焼け止めクリームを忘れたのでニヴェアのスポーツ用の強力な50番∔を13ユーロで購入、それをマティネー前に購入する事だった。

演奏会が終わって車を出したのが13時ごろで、一旦通り道のアパートに戻って着替えて少し腹に物を詰めて、クリームを塗布して、行動食を持って出かけた。ナヴィ通りに上の駐車場に着いて歩き始めたのが14時24分で、コース所要時間は四時間半だから下りてくると19時ごろである。雷雨予想は16時過ぎから出ていた。念のために携帯傘は持ったが、強い雨をやり過ごすのは岩小屋か森林しかない。結構面倒である。だから17時迄には森林限界よりも下に戻るのが基本だった。

結果は頂上到達二時間で、暑くて森林の路も険しくて走れなかったが、速足ノンストップで、頂上でも30分ほど粘れた。天候は薄いガスがかかって来ていたが、落雷の様子は無かったからだ。下りは海抜840mまで一時間半で、走れるところは走った。

結局駐車場近くのレストランでヴァイセで喉を潤し、アパートに戻って、シャワーなどを浴びてアペリティフかとなったら降ってきたのだった。短い限られた時間の割には久しぶりに本格的な持久運動が出来てよかった。また山道も石灰岩質の為にアルプスの高山のアプローチ路に似ていて、歩き難い。走れたのは主に林道のようなところとアルプスのアルムの山道ぐらいでしかなかった。それでも心拍数169まで上がっている。軽い荷物を担いでいた影響もあると思う。

頂上から下りて来たすれ違った婆さんは「道ではなく登路だ」と言ったのは、頂上岩壁は我々専門家でも手を使わなければ上り下り出来ないだけでなく森もそれなりだったからだ。裸で走っていた爺さんもいたりだったが、頂上を空荷のラッシュで攻めていたのは若いお兄さんだった。

ハイキンキングをしている人たちには成程スリル感あり、なによりも眺望が素晴らしいので人気があるのは分かった。



参照:
ムード溢れる環境 2022-07-29 | 音
前乗りの費用の値踏み 2022-07-16 | 生活
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午後の計画をプロデュース

2022-07-18 | アウトドーア・環境
ザルツブルク行きの準備をしている。時間が掛かった。ティロルのエアルの音楽祭での午後の使い方である。何とか目星がついてきた。直ぐに着替えて高みを目指すつもりで調べた。一時間程谷奥に車を走らせれば嘗てザルツブルク滞在の為に使ったティロルの街に近づく。知っているところを再訪するよりももう少し音楽祭会場にもホテルにも近く更に車で標高千メートルまで上がれるところを探した。さもなければ往復29ユーロ程ゴンドラ料金が発生するところが多い。

クレーターシュタイグの出来るところもあるが、道具を調達する気も腕の筋肉付けに行く気もないので、どちらかといえば森の中を走って上がれて尚且つ静かなところがいい。森林限界が1400mぐらいなので頂上を目指す時はカンカン照りになる。

しかし森の中を駐車場から森林限界までだらだら歩くようなのも嫌だ。走るにしても知らない林道は方向感を失って走り難い。寧ろ真っすぐと森林限界へと上がって欲しいのだ。殆ど一日時間を費やしたが、ネットハイキングソフトでより詳しい情報が得られた。上手くいけば気温さえ分かれば、究極は20ユーロ払ってゴンドラで上に出てから運動する。しかし腑に落ちない。なぜならば同じ価格でもっといいところに上がれる場所があるからだ。すると精々頂上が2000m越えない前アルプス地域では車を使って、速攻としたい。

もう一つインタールのバイエルン側に1800mを超える頂上と1000mを超える駐車場を見つけた。登りに3時間30分掛かるとなればギリギリである。襷に長し帯に短しである。頂上まで行っても特別感慨も無いものなら態々とも思う。

土曜日のミュンヘンからの中継は素晴らしかった。新制作「利口な女狐」をバリーコスキーが演出した初日シリーズの最後の公演だった。歌手は変わりないようだが、指揮者が変わった。初日はラディオ生中継されてミルガ・グラジュニーテティーラが受け持った。しかしその時からお産で休むことは分かっていた。最初から演出に関しては評価が高かったが、指揮に関しては決して良くなかった。この指揮者のキャリアの終わりを示したい多様な出来で、到底頂点の劇場では活躍できないのを明らかにした。

それは高度な劇場的な物語を作って、波を起こして吞み込んで仕舞うというような音楽劇場的な実力ではない、それ以前に舞台を盛り上げ、その楽団を乗せる事すら出来ていなかった。それ以前にヤナーチェックの音形も綺麗に出せずに、明らかに二流の指揮だったのだ。

そして今回はプラハのロベルト・ジンドラというあの名門プラハの国民劇場音楽監督になる指揮者が受け持った。これが大成功だった。紹介においても歌手がチェコ語は出来ないながらも苦心してものにしてと、今回は本場の指揮の下で安心だと語っていた。それは逆に、ぎこちないなと思わせるチェコ語が続発しても、それが分かるだけの音楽にしていたという音である。ヤナーチェックを再発見する思いだった。



参照:
立ち眩みでメガネ屋へと 2022-07-17 | 生活
前乗りの費用の値踏み 2022-07-16 | 生活
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映るアラトスカーナ

2022-07-03 | アウトドーア・環境
サイドミラーのガラスを付け替えた。自分で換えたのは初めてだと思うが、想定以上に時間が掛かった。17時ごろから開始して、その間五回ほどネットを見たりガレージまで往復して、作業終了したのは21時。ガラスだから壊したら終わりの恐怖もあったのだが、サイドミラーのカヴァーの着脱とガラスの固定に自信を持てなかったからだ。配線はヒーター用とサイドミラーブリンカーの二種類だが、後者のスライド差し込み型が見えなくても指でリードしてやらないと嵌まり難くなっていて、それを把握するまでに三時間程か経過していた。ブリンカーは自分で換えたことがあるので、その問題は既知だとあとで気が付いた。以前も無理して押し込んでいたからリードのプラスティックが変形しているのだ。

一時は明るみも薄くなってきたので壊す前に断念して翌朝にしようかと思ったが、走ったり肉屋に顔を出したりと用事があるので出来るだけ済まして仕舞いたいとも思った。その間に五本ほどはYouTubeで調べていたのでイメージトレーニングが出来ていた。少なくともウィンカーが点かなくなっていたのでコンタクトだけは清掃しておこうと思った。細やかなことを済ましておきたかった。

溶剤をつけた綿棒で洗って、ウィンカーも絶好調なことを確認、ぶつけた時にウィンカーまでは壊れていなかった。実際に傷も何もついていない。暗かったので分からないのだが時速30キロ程でぶつけたのはやわらかな緩衝体だと思われる。ガラスが外れて地面で割れた音が酷かったので吃驚したのだが、結局は衝撃で外れただけだった。

材料費の25ユーロはなんでもなかったが、五時間は結構な労力。車も捨てることになると色々なことを知り尽くす。幾らかは今後のノウハウになるだろうか。

夜中は摂氏11度ぐらいまで冷えた。快晴の中でもぜひ走っておきたかった。就寝時刻が遅かったので到底頂上攻撃は無理だったが、まだまだ日陰を走れて、早起きさえすれば今後も可能だ。危惧していた体重はそれ程増えてはいない。しかし運動不足感は免れないので何とかしないといけないと思っている。

夏場は、「三部作」、ブラームス交響曲二番三番、マーラー交響曲七番、シニトケのヴィオラ協奏曲、ショスタコーヴィッチ交響曲十番、リーム「変容」、ブルックナー交響曲九番のお勉強がある。馴染み作品ばかりなので深く入れるのではないだろうか。

走り下りて来て帰りに、洗浄液で指についた油を洗浄してあったミラーに映る風景を写したかった。態々映りのいい向きに車を停めて、我が街が映り込むミラーの写真である。アルプス以北のトスカーナ地方と呼ばれるように、ワインよし、食事よしの週末の風景である。観光案内に漢字で「桃源郷」と書かれていたのは強ち嘘ではない。



参照:
ヴェニスのシャルドネ 2022-06-29 | ワイン
垂れそうにない蝋燭 2022-07-02 | 生活
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合理的に往路を創造

2022-06-24 | アウトドーア・環境
来週のミュンヘン旅行準備を検討する。衣装の事が話題になっていたので、気が付いた。通常の様に車で往復するだけならば、無難に薄目のスーツを着て薄目のシャツで往復するだけだ。但しピクニックの用意などが重要になる。しかし今回は初めて列車を使うので、先ずは汚れも酷いのでラフな服装で出かける。ジーンズは必ずしも楽ではなく涼しくはないのだが、いざとなれば使い易い。

なによりも往路で列車の遅れから走るぐらいに機動性が要求される。その場合の靴とジーンズはやはり使い易い。地下鉄にも乗らなければいけない。汗も掻きそうなのでハンカチも重要だ。天候具合では帽子も欲しい。傘は要らないだろう。

考えないでいいのはピクニックやアイスボックスやおやつ類である。その代わり引けてから列車に乗るまでの間にゆっくり食事が出来るところを探しておかないといけない。早くても22時前からになる。出かける前にブランチとするのでその間は何でもあるだろう。

荷物は、書類鞄にタブレットやノイズキャンセリングイヤフォーンを入れて行けば事足りる。電源コードだけは考えておかないといけない。列車の座席を見ると帰路のコンヴァ―トメントは現時点で自分一人なのでそれに関しては心配していない。

上着は以前ならばダークなものを主にしたが、今回は天候に拘わらず明るいものでよい。服装コード撤廃でやはり可能性は増えた。出しものに合わせての考慮はまだできない。

発注したファクシミリ本が届いた。20ユーロもしたのでそれ程安くはなく、どこかでコピーした方が安いだろうが、取捨選択して読むよりも、作曲家ジンガリアのアルピニストとしてのその人となりを掴みたいのでぱらぱらと読んでいく方がいい。更に19世紀終わりごろのアルピニズムを実感として感じたい。古いものではマッターホルン登頂とかその手のものしか読んだことはないので、その時代の雰囲気も知りたい。

先ずはちらちらの山名や写真などを見て、そのコースの多くは現在はアルプスのクレッターシュタイクのクラシックコースになっているようなところが多い。クレッターシュタイクとは既に登路が整備されていて、ワイヤーに身体を結び付けて、梯子や杭の上を動けるところである。しかし一目ルート取りなどもよい感じで、作曲家としてのセンスもそこからなんとなく分かるような気がする。登攀の新ルート開拓も先ずはそこに路を拓いていく動機づけと、そして下からの観測で想像を逞しくして合理的な路を拓いていく創造性が必要となる。



参照:
失われたユダヤ音楽世代 2022-06-13 | アウトドーア・環境
悪魔に取り憑かれるか 2022-06-23 | 文化一般
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失われたユダヤ音楽世代

2022-06-13 | アウトドーア・環境
金曜日の晩は、最初を逃したが、ベルリンからの生中継を聴いた。初日がベルリンの各紙に酷評されているユダヤ人作曲家のロストジェネ―ションと題した演奏会だ。最大の問題点は後半のツェムリンスキーにあった。再度詳しく聴いてみる必要があるが、最大の問題とされているのは指揮者が嘗てのコーミッシェオパー音楽監督の時の様に鳴らし過ぎるということだった。それによって歌曲歌いのバリトンのゲルハーハーもオペラ風にしか歌えないソプラノのダヴィドセンも叫んでいたとなる。二日目の放送を聴く限りは、なるほどそのオーケストレーションの影響もあって透明性は中々保たれないのだが、細部もセンシティーヴに演奏されていて、声がどれだけの表現が可能かに掛かっていた。

翌日にはアーカイヴから前々任者のアバド指揮のベートーヴェン八番が流されていたが、評判が良いシリーズにしてはお粗末極まりない。どうしてこの編成でこんなに濁った音しか出ないのか。なるほどカラヤンサウンドをぶっ壊して現代的な大管弦楽団として再興したのは評価したいが、1994年11月にはあれしか出来ていなかった。世界の一流から二流へと落ちていた。だからアバド指揮では何回も演奏会に出かけていない。とても正しい判断をしていた。来年はペトレンコ指揮でも復活祭で演奏されるので、参考にと思ったが全く役に立たないので録音を消去した。

生中継の最初の曲シュルホーフの交響曲二番は日曜日に無料でDCHで生中継されるのでそちらを観てからにする。しかし何といっても二曲目のジンガリアの作品と演奏は秀逸だった。ピエモント生まれのブラームスと比較されるこの作曲家は知らなかったが、御多分に漏れず最後は生き延びたイタリアで1944年に逮捕されるときに心臓麻痺で亡くなっている。その曲風はよりロマンティックながら、地方の民謡などに取材していて面白い。なによりも遠くドロミテまで出かけて初期の登攀で有名古典書を出版していることだ。知らなかったので、英語のファクシミリ版を早速発注した。

その曲をペトレンコの示唆を受けて弾いたのはコンツェルトマイスターのアメリカ人のベルグレーで、番組の間にドイツ系ユダヤ人として父親が楽師だったことも語っていてとても興味深かった。その関係から子供の時にもメニューヒンにも聴いて貰ったことがあるらしい。前任のピッツバ―ク交響楽団のことも話していた。ユダヤ音楽が広く受け入れられるようになって嬉しいとも語っていた。

その裏ではメトロポリタン歌劇場からの生放送で「レ―クプログレス」がクートやシュルツの歌で流されたが、想定以上に女性指揮者マルキのそれが良かった。ザルツブルクでカムブレラン指揮でモルティ―エ―時代にこの作品を観たことがあるが、今も変わらず駄目だったので、やはり指揮者の程度が違うという感じがする。なるほど数少ないベルリンのフィルハーモニカーを振る女性だけのことはある。ゴルダ・ショルツも声と役がとってもあっているようで、大きな舞台で立派な歌を歌っていた。マネージメントが上手く売っていくかどうかが左右するのがよく分かる事象である。



参照:
名人E・コミーチの影を慕う 2013-08-09 | アウトドーア・環境
石灰岩の大地の歌 2006-09-03 | テクニック
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ブラームスが歩いた風景

2022-04-24 | アウトドーア・環境
身の回りが片付いた。これでゆっくりと今年の復活祭フェストシュピーレを振り返り、来年を予想しながら、五月からの準備を進めていく。同時に疲れも出てきた。水曜日に走って金曜日にも走ったので、週のノルマは果たせた。この間、先週の頂上アタックが短いコースになって、もう一度短いコースが抜けたので週に3kmしか走れなかった。その分1986年以来再びバーデンバーデンのアルテスシュロースの山城に上った。当時は旅行中だったので真夏に街から歩いて山を上がっていったのだった。そこで岩場も見学したのも覚えている。

一張羅の靴も点検したが山城を歩いた時の傷は最小で、大きな損失はなかった。フランスのスーパーで購入した2014年産マルサネも開けてみたが、想定内のいい出来で、価格22ユーロの割に合うものだ。五月には再訪するのでまた違うのを狙いたい。2020年とか2019年産のブルゴーニュがあった。

やはリ久しぶりにブラームスの住んでいたリヒテンタールも目指したが、そこでシュヴァルツヴァルトらしい風景の中でピクニックが出来たのもよかった。ブラームスシュトラーセとなっているだけに、毎日のように散策していた筈で、見ていた風景其の儘に近いだろう。早起きの価値があった。序にムルクタールへと向かう峠道を走って、森の中の食事処も見つけておいた。

昨秋の朝の練習から本番までの間に寝ていた反対側の谷の峰沿いになる。あの辺りは国道500号の本稜線から離れているので地元の人が殆どで隠れ谷の感じがよい。恐らくベルリナーフィルハーモニカーの自転車好きが毎年目指しているようなワインディングロードに違いない。今後とも宿泊無しで通う事も少なくなく、更に朝の催し物や練習などを覗くとどうしても静かに森の中で時間を潰す事が多くなるので、土地勘が増えると今後の蓄積になる。嘗てはザルツブルク周辺でも様々な峠の脇道を試みたのだった。

今年もフランス語やロシア語だけでなくイタリア語なども聞こえたが、来年は更に海外からだけでなくドイツ国内からの聴衆も増えるのは間違いないだろう。個人的にも音楽祭らしい雰囲気が益して来ている。少なくともフェスティヴァルラウンジの開催は今迄の他所での時間限定のところよりも価値が高まり、惜しむらくはクーアハウスの高額の駐車料金が問題となる。祝祭劇場の駐車場の利用方法などももう少し工夫するといいかもしれない。

五月は27日~29日がワイン試飲の本番になりそうだ。現在のところ28日土曜日にSWR交響楽団演奏マーラーの第七交響曲の予定がある。金曜日と日曜日に出かけるしかないだろうか。醸造所によっては接種に関係なく陰性証明書を出せという突飛圧しもないところもあって、まだ本格的な試飲会とはならない。しかしその他は着席でとか工夫はしているようで、それはそれで落ち着いて試飲が可能かもしれない。こちらの方もぼちぼちと予定を練っておかないといけない。

劇場はフランクフルトへ一回、ミュンヘンへ一回の予定だ。演奏会は上のバーデンバーデン以外は現在のところ開けてある。



参照:
チャイコフスキーの音楽構造 2022-04-23 | マスメディア批評
2018年産最初の試飲会 2019-05-05 | 試飲百景
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