そして漸く痰のような老廃物の吐瀉物がぼちぼち出るようになってきた。恢復への目印だろう。身体も徐々に元気になってきたので、これでゴールまで走り抜けたい。さもないと週末までに影響する。幸い降雪は週の中間から金曜日ぐらいにまで掛っていて、土曜日の往路さえ何とか道が空いていれば、復路は問題がないだろう。なぜならば交通量も多い土曜日の午前中は除雪も進み時間さえかければ目的地へと進める。そしてアウトバーンも一度乾けばどんなに零下になっても大気さえ乾いていればそれほど状況は悪化しない。
出来るだけゆっくりと寝るためにベットにいる様にしていたが、一番問題だったのは折角買って来てあった酵母抜きのパンが食せない事であった。パサパサ感があって、これまた折角あったヤギのフランス製チーズを塗っても喉を通らなかった。粥を必要とまではなかったが、パンも食せないことがあるのだなと分かった。
その分、待降節用の薬草ケーキが食せた。これはそんなつもりで購入したのではないが、喉にも優しい。
批評を読んでいてよく分かるのはその公演の内容だけでなくて書き手の音楽の理解の程度である。嘗てはその人の洞察力とかそうした点がその人の理解の仕方に反映されるのかなと考えてたが、やはりそれ以上に若しくはその人の主義主張以上に何を聴いているのかがよく分かる。フランクフルトのチャイコフスキーに関しては明らかにその音楽や楽譜が有している中身を評価できない人が多いようであるが、やはり少数派でも分かっている人は分かっている。逆にヴァークナーとかになれば最初の前奏曲からして判断がなされて、最後迄とてもつまらない思いをしている。全ては指揮者の責任であるが、抑々最初から何かを期待して出かける方が悪い。
その意味からも、ヴィーンの音楽監督で期限延長されずにクビを言い渡されたフォリップ・ヨルダンの指揮は新制作「マイスタージンガー」ではある程度の評価もある。しかし、そこにに書いてあることから、それならばクビにはならなかったよということばかりである。つまり書き手は音楽的にそこが分かっていない。反対にミュンヒナーフィルハーモニカーの後任探しの一環としての登場で瞠目に価する批評があった。それは「神々の黄昏」からの演奏で、ラインへの旅では次から次へと新たな響きが鳴らされ最後に驚くべきリタルタンドでクライマックス、「ジークフリートの葬送」ではイザールフィルハーモニーの音響のテストにドアをも揺らがす程の音響で、一番素晴らしかったのは沈黙だったと書かせる。流石にこれには読者の批判のコメントが寄せられた。ここに、ヴィーンでの花束が投げ込まれた反響や、そしてこの指揮者が到底独墺市場では全く可能性の無いことを示している。ノイエズルヒャー新聞は書いていた。クビの理由は本人の為にも伏せられたと。勿論ヴィーナーフィルハーモニカーがイントロ当てクイズなどは演奏していられないということでしかない。
参照:
Pracht und Totale, Michael Bastian Weiß, Abendzeitung vom 17.10.2022
名曲もイントロ当てクイズ 2022-10-06 | 文化一般
縛られた「蝶々夫人」生中継 2020-09-09 | 生活