ヴァイオリニストのシュテファン・アルツベルガ―がドイツに戻ってくるようだ。ラディオの朝のニュースのトップで伝えていた。昨年ニューヨークのホテルで強姦殺人未遂の疑いで訴えられていて、保釈後旅券を押収されていた。そして今回旅券が返却されたというのである。
実はこの事件のことは忘れていた。もともとライプチィヒ弦楽四重奏団を聞く様な聴衆ではなかったからだろう。なるほど現連邦共和国の弦楽四重奏団として所謂古典的な意味での最高の技能を誇っていた団体で、その名の示す通り世界で最も古い交響楽団の聴衆とも重なるところである。要するに、なんらかの芸術的な新たな興味を刺激するような音楽家たちではないということだ。
彼が四重奏団の第一ヴァイオリンとしていわせていたのを知らなかったのである。要するにラディオぐらいでしか聞いたことが無く、いつも期待に違わぬ痛く美しい怠惰は、それ以外では恐らく借りたCDぐらいでしか聞いたことが無い。つまらない音楽家たちだったのだ ― そういえば東北震災復興に逸早く現地に入っていたのではなかろうか。
そして今真実は闇の中にあるものの、この楽師さんは、四重奏団のニューヨークツアーの音楽会後の夜のホテルで、未知の裸の女に暴力を振るったことを認めた。本人は最初から、KOカクテルを飲まされて意識が無かったと言及していた。であるから、彼が本物の性的犯罪者なのか、殺人鬼なのかは分からない。それでもはっきりしているのはそういう傾向のある人格であるということだ。
我々は、演奏家を評価するときに、それがたとえソリストであろうとも、指揮者であろうとも、楽団の一員であろうとも、音楽をどのように考えてどのように表現しようとしているかに注目する。まさしくプロフェッショナルな音楽家にとってはそれは全ての人格なのである。これはオフィシャルとプライヴェートとの差異とかそうしたものではなくて、まさしく最高の人格表現としての音楽活動なのである。
今回の事件を思うと、自分自身の判断基準は正しかったと再認識する。なにも犯罪者だから真面な音楽を出来ないとかは言わない。勿論個人的な性癖などは創作家ではない演奏家には全く関係ないとも言える。しかし、経験を積んだ耳のある人たちにはそこが分かるのである。
弦楽四重奏は上手な演奏家が四人集まっただけで奏でられるものではなく、その活動が長く続かないとものにならない。その意味からは稀に成功した四重奏団であったのだが、そのレパートリーや活動を具に観察していると、この人たちには芸術的な価値は薄いと考えていた。つまり、我々とは真面に話せるような音楽家ならばあのような活動にはならないと思っていたからである。
昨年の逮捕から新しい第一ヴァイオリンが入っているようだが、恐らく四重奏団の活動も朽ちていくと思われる。そして数多くの録音がある。それらメディアを所持している人はじっくりと彼らの音楽に耳を傾けてみると良い。一体彼らが何を考えてベートーヴェンを、リームの新曲を演奏解釈しているか。写真を見ると如何にも暴力的な男である。暴力が非芸術的なことは全くないが、そこに真面な思考や認知や感性を以て表現されているのかどうかである。
参照:
彼らの勇気と行動を讃えよう 2011-06-27 | BLOG研究
観想するベテラン芸術家 2005-11-16 | 文化一般
小恥ずかしい音楽劇仕分け法 2010-06-06 | 音
正しく共有されない情報 2015-09-08 | 雑感
待降節景気の街並み 2015-12-20 | 暦
ペトレンコ指揮に音をあげる 2016-04-04 | 音
実はこの事件のことは忘れていた。もともとライプチィヒ弦楽四重奏団を聞く様な聴衆ではなかったからだろう。なるほど現連邦共和国の弦楽四重奏団として所謂古典的な意味での最高の技能を誇っていた団体で、その名の示す通り世界で最も古い交響楽団の聴衆とも重なるところである。要するに、なんらかの芸術的な新たな興味を刺激するような音楽家たちではないということだ。
彼が四重奏団の第一ヴァイオリンとしていわせていたのを知らなかったのである。要するにラディオぐらいでしか聞いたことが無く、いつも期待に違わぬ痛く美しい怠惰は、それ以外では恐らく借りたCDぐらいでしか聞いたことが無い。つまらない音楽家たちだったのだ ― そういえば東北震災復興に逸早く現地に入っていたのではなかろうか。
そして今真実は闇の中にあるものの、この楽師さんは、四重奏団のニューヨークツアーの音楽会後の夜のホテルで、未知の裸の女に暴力を振るったことを認めた。本人は最初から、KOカクテルを飲まされて意識が無かったと言及していた。であるから、彼が本物の性的犯罪者なのか、殺人鬼なのかは分からない。それでもはっきりしているのはそういう傾向のある人格であるということだ。
我々は、演奏家を評価するときに、それがたとえソリストであろうとも、指揮者であろうとも、楽団の一員であろうとも、音楽をどのように考えてどのように表現しようとしているかに注目する。まさしくプロフェッショナルな音楽家にとってはそれは全ての人格なのである。これはオフィシャルとプライヴェートとの差異とかそうしたものではなくて、まさしく最高の人格表現としての音楽活動なのである。
今回の事件を思うと、自分自身の判断基準は正しかったと再認識する。なにも犯罪者だから真面な音楽を出来ないとかは言わない。勿論個人的な性癖などは創作家ではない演奏家には全く関係ないとも言える。しかし、経験を積んだ耳のある人たちにはそこが分かるのである。
弦楽四重奏は上手な演奏家が四人集まっただけで奏でられるものではなく、その活動が長く続かないとものにならない。その意味からは稀に成功した四重奏団であったのだが、そのレパートリーや活動を具に観察していると、この人たちには芸術的な価値は薄いと考えていた。つまり、我々とは真面に話せるような音楽家ならばあのような活動にはならないと思っていたからである。
昨年の逮捕から新しい第一ヴァイオリンが入っているようだが、恐らく四重奏団の活動も朽ちていくと思われる。そして数多くの録音がある。それらメディアを所持している人はじっくりと彼らの音楽に耳を傾けてみると良い。一体彼らが何を考えてベートーヴェンを、リームの新曲を演奏解釈しているか。写真を見ると如何にも暴力的な男である。暴力が非芸術的なことは全くないが、そこに真面な思考や認知や感性を以て表現されているのかどうかである。
参照:
彼らの勇気と行動を讃えよう 2011-06-27 | BLOG研究
観想するベテラン芸術家 2005-11-16 | 文化一般
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