山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

2005-09-16 23:53:46 | 未分類過去
急に寒くなってきた。数日前、蝉も鳴かなくなったなあと思っていたら、おとといまたツクツクボウシが鳴いていて驚いたが、さすがにもう蝉もいなくなるだろう。7月ころ、まずアブラ蝉が鳴き出し、そのあとミンミン蝉がなくようになった。8月中ごろから後半くらいにかけてか、アブラ蝉が家の中に飛び込んできたり、階段の踊り場やベランダに墜落してきたりしていた。この辺は桜の木が何本かあるので、蝉が多いが、家に向かって飛んでくるのは必ず茶色いアブラ蝉である。ベランダなどで鳴かれるとうるさくてたまらない。ミンミン蝉は声は聞くが姿は見たことがない。
蝉は地面の中で6~7年過ごし、地上に出てからは1週間足らずの命だと聞く。蝉にとっては最後の1週間はどんなものなのだろう。そして、地面にいる長い期間は楽しいことなどはあるのだろうか。墜落して仰向けにひっくり返った蝉を起こしてやるのだが、しばらくするとまたひっくり返っていたりする。もう死んじゃったかと思うと、生きている。また起こしてあげるが、またひっくり返る。だから、もうそのままにしておく。
子供が小さいときに、蚕を飼った。蚕は毎日桑の葉をひっきりなしに食べ、ある日糸を出して一生懸命繭を作った。しばらくすると、まったく別の形の蛾になって繭から出てきた。新幹線の車両のようだった蚕の幼虫とは顔も目も全然違って似ても似つかない。そしてすぐに交尾をして卵を産んでそれからしんでしまう。
いったい、それらの虫というのは、どの姿が本来のすがたなのだろうかと思う。成虫は終末である。時間の長さだけで考えれば人間だったら老後の時期に当たるだろう。それならば、幼虫である時期がその虫の大部分の人生(虫生)であって、その時期も楽しいものなのかもしれない。蚕は桑の葉を食べていた時期が一番楽しかったのかもしれないなあと思ったりする。成虫になるともはや口もないらしい。蝉もたくさん鳴いて配偶者を見つけて子孫を残すという最後の勤めを終えて死んでいく。墜落するたくさんの蝉を見ていると、蝉というのはそういうものであって、立派に生き抜いたんだからそれでいいんだ、ころがったままほっとけばいいんだという変な納得のような気持ちになる。
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