きのう「女王の教室」を高校生の娘と見ていて、「小学校のときの先生でどの先生が一番いい先生だった?」と聞いてみた。娘の小学校は2年づつ担任が変わったので3人の先生に受け持ってもらったが、娘はすかさず1・2年のときのA先生だと答えた。
A先生は中年のベテランのおばさん先生で、まあ、まかせておいて安心という感じであった。一番よくないのは3・4年のときの先生だというが、40歳手前くらいの独身女性で、ちょっと線が細い感じがした。
娘にどういう点が悪いのかと聞くと、もう問題にならないくらい最悪だという返事。実はそんなことを娘の口から聞くのは初めてだった。この先生は確かに一部の保護者から授業がわからないなどと苦情が出て、担任を下ろしてくれという意見もあったようである。PTA役員からどう思いますかという電話がかかってきたことがあったが、当時うちの子供はべつに何にも言っていなかったので特に問題はないと思うと答えた。
保護者会などで話した感じでは、たしかに包容力や子供受けするオーラはなかったようである。どこかにトラウマがある人という感じはした。同類と言うのは直感で分かるので、自分に似た要素があったから、その先生のマイナス面を突く気にはなれず、むしろかばいたい気持ちがあったように思う。
でも、適職でない人は教師にはならないほうがいいかもしれない。その先生は研究所の研究員とか事務系の仕事をしていたほうがむいていたのではないかと今になって思う。
私自身もやはり教師には向かない。私は小学生のころは勉強の成績は良かったのだが、なぜか劣等感の塊だった。それはスポーツができないということが原因かもしれないが、人前で話すのが嫌いで、性格に均整が取れていないのであり、絶対に人の中心になるような人物ではなかった。今は人と話すのが好きで、人前で話すのも比較的平気だが、子供のころの人格はそうそう直るものではない。人をまとめるよりも単独行動がすきなのである。
子供が小学校を卒業するとき、謝恩会で、1・2年のときの担任のA先生に会った。
先生に挨拶に行くと、先生はうちの子が1年生のとき1人でさびしそうにしていた姿を今でも辛く思い出されると話された。そういえばうちの子は1年生のころ友達がいない時期があり、学校に行くのがいやだ、死にたいなどと言ったことがあった。上の子に休み時間様子を見に行ってもらったこともある。
思い余って先生に手紙を渡そうと書いたのだが、そのまま渡さず、そのことについて話をしたこともなかった。それで、先生はそんな深刻なことは知らないと思っていたのだが、ちゃんと見ていてくれて、親の私が忘れているようなことを、数年後にも記憶していてくれていた。
子供は2年生くらいになると、あぶれた変人同士でなんとなく仲良くなり、その後は友人がいなくて困るということもなく、親のほうは初めから問題が存在しなかったように忘れていた。しかし、先生は1時期であろうと辛い思いをさせたことについて今でも心を痛めてくださっている。そこが人間性の違いかもしれない。
ところで、日本語学校の場合、もう19歳以上であるので、大人対象であるが、外国に来て精神的に不安定な学生も多いので、なかなか難しい。私は優しすぎると言われることが多かったが、教師になりたてのころ授業中返事をしない女子学生を叱ったら貝のようになってしまい、その後、私の授業には一度も出なかった子がいた。私はそんなにもその学生の心を傷つけてしまったのだろうか。関係を修復できないまま卒業してしまった。私にはどうでもいい優しさはあるが、本当に必要な優しさはないのかもしれない。それから、今思えば、授業がうまくなかったというのがその学生にしかとされた一番の理由で、授業に出る価値がないと判断されたのかもしれない。
同じように授業を進めているつもりでも、先生によって学生の受けがぜんぜん違う。自分が一生懸命教えても学生をうんざりさせたりすることもある。まごころをこめて接しているつもりでも、学生が心を開かないことがある。別の先生なら開くこともある。学生によって評価が違うこともある。
私が小学校6年生のときの担任は、私にとっては非常にいい先生だった。その先生は私の能力を引き出し、自信のなさを何とかなくそうとしてくれた。教え方もいいと思った。しかし、その先生に対する評価がぜんぜん良くない人もいた。その人はその先生から長所を発見してもらえなかったからだろうか。
すべての生徒にとっていい先生と言われる先生は、いったいどこが違うのだろうか。
よくない先生になってしまった人は、いい先生に改善することができるのだろうか。
いい先生の素質は、天性なのだろうか。
いとこが教員をしているが、毎年家族の写真入の年賀状に近況の手書きのコメントをつけて実家の母のところに送ってくる。私はといえば、叔母のところに年賀状を送ったり送らなかったりで全く一貫性がない。子供のころも2歳年下のそのいとこのほうが何でも優れていた。水泳をしてもピアノを弾いても私が劣っていた。教員と言うのはやはりいいかげんな性格ではだめだろうと思う。人望が厚い。器が大きい。その素養は自然に身についているもので、どうにもならないようにも思う。
なんだか、支離滅裂になってしまったが、教師というのは誰にでもできるものではなく、やはり大変な仕事だと思う。
A先生は中年のベテランのおばさん先生で、まあ、まかせておいて安心という感じであった。一番よくないのは3・4年のときの先生だというが、40歳手前くらいの独身女性で、ちょっと線が細い感じがした。
娘にどういう点が悪いのかと聞くと、もう問題にならないくらい最悪だという返事。実はそんなことを娘の口から聞くのは初めてだった。この先生は確かに一部の保護者から授業がわからないなどと苦情が出て、担任を下ろしてくれという意見もあったようである。PTA役員からどう思いますかという電話がかかってきたことがあったが、当時うちの子供はべつに何にも言っていなかったので特に問題はないと思うと答えた。
保護者会などで話した感じでは、たしかに包容力や子供受けするオーラはなかったようである。どこかにトラウマがある人という感じはした。同類と言うのは直感で分かるので、自分に似た要素があったから、その先生のマイナス面を突く気にはなれず、むしろかばいたい気持ちがあったように思う。
でも、適職でない人は教師にはならないほうがいいかもしれない。その先生は研究所の研究員とか事務系の仕事をしていたほうがむいていたのではないかと今になって思う。
私自身もやはり教師には向かない。私は小学生のころは勉強の成績は良かったのだが、なぜか劣等感の塊だった。それはスポーツができないということが原因かもしれないが、人前で話すのが嫌いで、性格に均整が取れていないのであり、絶対に人の中心になるような人物ではなかった。今は人と話すのが好きで、人前で話すのも比較的平気だが、子供のころの人格はそうそう直るものではない。人をまとめるよりも単独行動がすきなのである。
子供が小学校を卒業するとき、謝恩会で、1・2年のときの担任のA先生に会った。
先生に挨拶に行くと、先生はうちの子が1年生のとき1人でさびしそうにしていた姿を今でも辛く思い出されると話された。そういえばうちの子は1年生のころ友達がいない時期があり、学校に行くのがいやだ、死にたいなどと言ったことがあった。上の子に休み時間様子を見に行ってもらったこともある。
思い余って先生に手紙を渡そうと書いたのだが、そのまま渡さず、そのことについて話をしたこともなかった。それで、先生はそんな深刻なことは知らないと思っていたのだが、ちゃんと見ていてくれて、親の私が忘れているようなことを、数年後にも記憶していてくれていた。
子供は2年生くらいになると、あぶれた変人同士でなんとなく仲良くなり、その後は友人がいなくて困るということもなく、親のほうは初めから問題が存在しなかったように忘れていた。しかし、先生は1時期であろうと辛い思いをさせたことについて今でも心を痛めてくださっている。そこが人間性の違いかもしれない。
ところで、日本語学校の場合、もう19歳以上であるので、大人対象であるが、外国に来て精神的に不安定な学生も多いので、なかなか難しい。私は優しすぎると言われることが多かったが、教師になりたてのころ授業中返事をしない女子学生を叱ったら貝のようになってしまい、その後、私の授業には一度も出なかった子がいた。私はそんなにもその学生の心を傷つけてしまったのだろうか。関係を修復できないまま卒業してしまった。私にはどうでもいい優しさはあるが、本当に必要な優しさはないのかもしれない。それから、今思えば、授業がうまくなかったというのがその学生にしかとされた一番の理由で、授業に出る価値がないと判断されたのかもしれない。
同じように授業を進めているつもりでも、先生によって学生の受けがぜんぜん違う。自分が一生懸命教えても学生をうんざりさせたりすることもある。まごころをこめて接しているつもりでも、学生が心を開かないことがある。別の先生なら開くこともある。学生によって評価が違うこともある。
私が小学校6年生のときの担任は、私にとっては非常にいい先生だった。その先生は私の能力を引き出し、自信のなさを何とかなくそうとしてくれた。教え方もいいと思った。しかし、その先生に対する評価がぜんぜん良くない人もいた。その人はその先生から長所を発見してもらえなかったからだろうか。
すべての生徒にとっていい先生と言われる先生は、いったいどこが違うのだろうか。
よくない先生になってしまった人は、いい先生に改善することができるのだろうか。
いい先生の素質は、天性なのだろうか。
いとこが教員をしているが、毎年家族の写真入の年賀状に近況の手書きのコメントをつけて実家の母のところに送ってくる。私はといえば、叔母のところに年賀状を送ったり送らなかったりで全く一貫性がない。子供のころも2歳年下のそのいとこのほうが何でも優れていた。水泳をしてもピアノを弾いても私が劣っていた。教員と言うのはやはりいいかげんな性格ではだめだろうと思う。人望が厚い。器が大きい。その素養は自然に身についているもので、どうにもならないようにも思う。
なんだか、支離滅裂になってしまったが、教師というのは誰にでもできるものではなく、やはり大変な仕事だと思う。