山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

23 個人的なROEを考えよう

2007-08-10 01:24:15 | 読書
村上龍 「ダメな女」

競争社会がやってくると
本当にダメな女が
「階級」として出現してしまう。

ひさしぶりに、「ダメな女」の続きを書こうと思います。
けっして途中で読むのがいやになったわけではありません。読んでいるのですが、「書きながら読む」という形を採っているので、書かない限り進むことができない状況です。

概要
ジョブレス・リカバリー=雇用無き景気回復、ペイレス・リカバリー=減給による景気回復、ということが言われている。
テレビでは、リストラされて職業安定所に通う人々が写され、その人たちが生活に困窮している様子をお決まりのように紹介する。
経営側は即戦力を求めるようになったので、職業訓練施設の拡充が必要だと述べられる。
しかし、これでは現実感がない。私たちは大変です政府も対応を・・というひとまとまりの対策では対応できない。つまり「個人」が問われる競争社会になっていくのだ。
かつての学歴や学閥、縁故などが幅を利かす社会でなくなったのはいいが、競争のルールというのがはっきりしていない。
こういう世の中で、「ダメな男」が出現するように、「ダメな女」が階級として存在してしまう。
「ダメな階級に属する女は、スキルも知識もない。自分が何をしたいのかもわからない。なんとなくぼんやりと安楽な生活をしたいとただそれだけを思っている。」
子育てや生活にはコストがかかるから、男のほうもできるだけしっかりした女を求めるはずだ。
こういう世の中にあって、なんとなくみんながいっしょに平等に幸福にということはありえない。個人の魅力にかかってくる。ダイエットやエステが流行しているのは、とりあえずそういう面で魅力を身に付けようという動きでもある。
ROEという経済用語がある。リターン・オン・エクィティ、つまり自己資本収益率である。その企業が自己資本をどの程度有効に効率的に収益に結びつけているかという証券業界の用語だ。
「それを人間に置き換えてみると、自分が持っている「資本」、知能や技能や知識やコネや容姿や若さ、それらすべてを使って、各個人がどれだけのコスト・パフォーマンスを生み出せるかということになる。」
「個人的なROEといったことを考えない人は、充実感とは無縁に生きなくてはならなくなる。それだけは間違いない。」とのこと。
以上。

このころ、多くの人々のリストラによって会社は立ち直った。そして、現在景気は回復したと言われているが、ワーキング・プアなどという状況も発生した。
リストラで退職させられた人間たちがその後どうなったかというと、おそらく、個人として魅力のあるもの、自己資本を活用できた者は、何がしかの仕事を見つけ新たな人生を歩み始めたのだろう。しかし、能力はあってもそれを生かすことのできない人はいるかもしれないし、自己PRや社会への働きかけが足りない人もいて、うまくいかない場合もあるのかもしれない。自分にどういう能力や魅力があるのかわからない人は、そういう働きかけをすることもできず、社会から取り残され、ニートになっていたり、とりあえず生活費を稼ぐためにフリーターになっていたりする。何かの目的のためにフリーターという働き方を選んでいるのならそれもいいが、単に食いつなぐための労働では進歩がない。
だから、人は自己資本を活用してできるだけ効率よく生きなければならないし、同時にさらに自己資本を強固なものとすべく、日々工夫と研鑽を積む必要があるだろう。
せっかく自己資本があるのに、その能力や魅力を活用しないものは愚かであるし、努力をしないものは怠け者だ。
現代社会にきまったルールはないとはいえ、愚かであり、かつ、努力しないものは「ダメな人間」になることは必須だ。

ROEという言葉の説明を読んでいて、思い出したのがこの間放送大学で試験を受けた「博物館経営・情報論」のミュージアム・マネジメントだった。
「博物館が有するヒト、モノ、カネ、情報などの経営資源を有効に組み合わせて、利用者の満足の創出や市民生活の豊かさへの貢献などを図ること。」が必要なのだそうだ。

博物館も人間も同じであるなあと思う。
現代の博物館に求められることと、社会人としての個人に求められることは同じなんだろう。
現代社会において、自分の持っている、人脈、物、お金、知識、能力、個性などの自己資本を有効活用させて、社会に貢献し活躍することにより、収入を得る。そして、さらにまた人間としての自己資本を増やしていくことが大切である。

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