山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

エリート

2008-05-30 10:43:35 | 未分類過去
試験のために仕事をやめた人のことで思い出したんですが、昔同級生で同じようなタイプの人がいました。
とにかくものすごく頭がいいんです。性格も悪くはありません。偉そうでもなく親切でした。
でも、意外だったのは、修学旅行に行かなかったことです。
それから、理系だったけど、高3にもなると文系の科目を全部捨てていましたね。
もともとどんな科目もできる人ではあったけど、国立大学に進むという考えをあるとき捨てたんでしょうね。現役で私立の医学部に入ることにしたらしい。それで、本当に文系科目は最低限のことしかしないんです。
何が自分にとって必要か不要かっていう取捨選択がはっきりしてるんですね。

そのひとは今は医者になって、毎日診察に明け暮れているようです。
べつに医者の息子だったわけでもありません。

その人が、そのような生き方をして、立派な医者になり、収入もかなりあることは、その本人にとってもいいことだったわけだけど、その人が医者になってくれて、その人に診察してもらえるわけだから、社会にとってもよかったってことですよね。

でも、一般人にはなかなかそういう選択はできないもので、修学旅行に行くほうを選びますよね。

その医者になった人は、同窓会にも一度も出てきません。別に友達がいなかったわけでもありません。むしろ、友達には自分の意思で会うから、その他の大勢と宴会をする意義を感じないのかもしれません。修学旅行に行かなかったのも、都合のいい時に自分で旅行すればいいというような割りきりなんでしょうね。

今度会社を辞めた人も、資格試験の予備校のために、会社の宴会にはほとんど顔をだしませんでした。だからよけいに上司や同僚とのコミュニケーションがなくて、職場での信頼感や一体感を感じることができなかったのではないかとも思います。

頭もよくて人付き合いもよくて、なんでもできちゃう人っていうのはいないことはないと思うけど、本当に少ないんだろうなと思います。
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仕事か資格か

2008-05-30 01:08:53 | 未分類過去
最近、ある資格の試験勉強のために会社を辞めた人がいます。その資格というのは、その仕事に直結したものではあるけれど、その資格がないと全く仕事ができないというものではありません。でも、将来的にはぜひ取っておくべき資格だと言ってもよいでしょう。
しかし、現実的には、ベテランがその資格を持たないまま仕事に追われ、新人のほうが取りやすいという矛盾した一面もあります。

これは、日本語教師なんかもそうですが、「日本語教育能力検定試験」っていうのは、一度も日本語を教えたことがない人でも、受験勉強をすれば受かり、これが日本語教師としての資格をあらわすものの1つともなっています。しかし、この試験をベテラン教師がいきなり受けたからと言って、簡単に受かるものではありません。だから、教え方のうまさと検定の合否とはあまり一致しないといえるでしょう。

実務経験者が資格を持たず、一方、資格があるからといって実務ができるというわけではないという状況です。
当然のことながら、資格と実務能力の両方があることが望ましいです。

会社で試験のために仕事をやめた人っていうのは、今いなくなってみると、優秀な若者だったな~とつくづく思うわけです。会社は貴重な人材を失いましたよ。

優秀だったから、上司がその人に仕事を任せていたんですね。
しかし、大きな仕事を任せられているがために、それをやっていると試験勉強にも集中できず、いつまでたっても資格が取れないとあせっていたようです。
それで、ついに仕事のほうを辞めてしまいました。
ここで、試験に集中して、そして試験に受かったら同業種で、もっと待遇のいい会社に就職するつもりなのでしょう。

残された仕事は別の人たちが引き継いだわけで、言ってみれば補欠選手みたいなもんです。
なんていうのかな~、どうしてもこういうパターンですよね。頭はよく能力もあるけど、そのひとはちょっと自己中で、自分の将来のためなら、仕事をほっぽり出してでもわが道を行く。
一方、普通に人柄がよく人当たりもよく好感が持てるひとは、周りの依頼を断わりきれず状況に流され自分のことはできない。
優秀な人はきちんと仕事をするけど、普通の人は緻密な仕事をすると、どこかちょっと抜けていたりする。性格に均衡が取れているとアタマの精巧さが足りず、アタマが利発すぎると性格に融通がきかないっていうのかな~

それで、普通のアタマの人たちも試験に合格したいですが、勉強もそこそこに、引き継いだ仕事に精を出すしかない状況となりました。
試験に対する意気込みももともと違ったので、その人たちはとうてい難しい試験には受からないでしょう。仕事も前の人ほど的確にこなすことはできないかもしれません。
でも、前任者の代わりに仕事を任されたことにより、仕事に関して成長することはまちがいないでしょう。

その辞めてしまった人も、引き続き仕事をしていたら、それはそれで、その仕事に関してもっともっと成長できたはずです。
その視点から見ると、惜しいなあとも思います。果たして試験のほうが重要なのか、仕事経験のほうが重要なのか、私にはよくわかりません。
その仕事は昨年のプロジェクトで、一段落していたのですが、今年また発展させたものに取り組むことになっているのです。

あの人、会社辞めて毎日24時間試験勉強しているのかな~と思います。一日中、勉強しているというのはどういう気分でしょうね。
私は、仕事をこなしているほうが、やってる、生きてる、成長してる、世の中の役にたってるって感じるんじゃないのかな~と思うし、メリハリもできるように思えますが、やっぱり両立は難しいんでしょうか。

仕事を続けている人は、もう今年の自分の試験はいいから仕事に熱中しよう、とあきらめたかもしれません。顧客のために生きることを選択したっていうのかな。

今年は仕事を投げちゃった人も試験に受かれば、今後は本当に仕事に熱中できるし、よりいっそう全ての面で成長できるでしょう。だから仕事を捨てたのはしょうがないか。自分の将来のためでもあり、社会のためでもあるかもしれない。

いろんな人がいますよね。
人生色々、選択もいろいろ。

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常時点灯

2008-05-30 00:19:31 | 未分類過去
少し前の記事でタクシーが朝点灯していることを書いたのですが、それが交通事故防止のためで、ライトの消し忘れではないという貴重な情報をコメントしていただきました。
へえ~~~、そうだったんだ!!!
てっきり、夜中から走っていて消し忘れているんだとばかり思っていました。

これは、「常時点灯」とか「昼間点灯」というらしいですね。
ライトを点けていると目立つので、交通事故が起きにくいため、バイクなどの二輪車は義務化され、そのほかには、宅配業者やタクシー会社が自主的に励行しているようです。

ふ~ん。

ところで、不思議なのは、なんで私は朝のタクシーに限って点灯していることに気がついたんだろうか、ってことです。

だって、一日中だったら別の時間帯でも見つけてもいいはずだし、バイクが点灯しているのにも気がついていいはずですよね。
でも、なぜかそういうのには気がついたことがなかったんですね。

なんでだろう・・・・

昼間は会社の中にいるので、道路を走るバイクやタクシーを見ることはない。
帰宅時の夕方は、少し暗くなっているので、ライトを点けていても違和感が無い。
って、ことなんでしょうかね。
でも、土日はどうなのかな~、やっぱり見たことがないような・・・

タクシーも、常時点灯をやっている会社とそうでない会社があるようです。
宅配業者も気をつけて見てみよう。

これから、もう少しいろいろと観察してみようと思います。
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