なんだか、ひがみっぽいことばかり書いているようだけど、
ふと、同窓会のことを思い出した。
というのは、保坂和志の「途方にくれて人生論」を読んでいたところ、同窓会のことが書いてあったからだ。この人は私より3学年くらい年上だが、この文がちょうど3年位前のことを書いてあって、高校卒業後30周年の同窓会のことが書かれていた。
だから、それはちょうど私の今年と同じことになるわけだった。
同窓会っていうのは、なんか複雑だ。とても懐かしいのだけど、負の記憶ってのも再現される。そして、結局、あのころイヤだったことは何も変わってないということに気がついたりする。
たとえば、あんたなんか友達じゃないわよ、みたいな感じの空気がなんとなくただよっていて、高校時代には言葉も交わさなかったような人がいる。別に敵対していたわけではいが、タイプが違うって言うか、属するグループが違っていた人だ。
そういう人でも、同じクラスだったから、ちょっと話しかけてみたりする。
この間も、ちょうど駅から同窓会会場であるホテルまでの送迎バスが同じだった人たちがいた。そこである人にでくわし、その人が特に親しくはなかったが同じクラスだったという記憶があった。そこで、「あっ、○○さん、1年のとき同じクラスでしたよね」と声をかけると、「はあ」みたいなそっけない返事で、私はあなたに関わる気はないわ、のような無関心な態度のまま、上の空で自分の友人が来るのを待っているふうであった。一方、もともと名前も知らないが顔は見たことがあるような同窓生が、「○高の同窓会に行くんですよね、何組でした?私は○○です。」などと親しく接してくれたりしたものだ。そういうのは嬉しいのだが、そっけなくされた傷は後々までのこる、というか、そのときはあまり感じないものの、後になってじわじわと痛んできたりする。
そして、同窓会会場で、今何をしてますか、などとステージに呼び上げられた人が近況報告などを始める。これは友達が友達を呼んでいくので、活発な感じの同じ系統の人間が続いていく。
この間は、2次会で、その近況報告をもっとやろうではないか、という要望があり、今度は座っている順にマイクが回ってきた。
みんなそれぞれに話などしているので、聞いていない人も多い。
それでも、当時羽振りをきかせていたような類の人は何か話すことが多かった。一度ステージで話したのにまた同じようなことをしっかりと話す人さえいる。そして、マイクはいろいろな人にまわって行ったが、その中には何も言わずにマイクを次の人に渡してしまう人も多くなった。それは、聞いていない人も多いし、特に言うことはないとか、自分のようなものがなんか言っても誰も聞きたくはないだろう、などと考えるからである。そして、私の仲間たちや私にもマイクは回ってきたが、やっぱり黙って何も言わずに渡してしまった。どうしても控えめなんだよなあ。
だから、高校時代からずっと存在感がないんだよね。
私は友人にマイクを向けて、「ここにいるのは元○部の○○さんです。○○さん、今何をしてますか?」なんてやればよかったな、と後になって思ったけど、やっぱりそういうことをする柄じゃないんだな、私たちは。
ここにも、人間がいるんだよ、小さな花をさかせてるんだよって、自己PRも必要だよな、と反省しました。
きっと、こういうふうだから、「同じクラスでしたよね」って言ったときに、「あっ、○組でしょ?そうそう。一緒に行きましょ。」なんていう反応が得られないんでしょうね。
だから、次回の同窓会には、マイクが回ってきたらパスしないで、何か発言しようと思ったりもするのだが、一方でもう同窓会に行くのはよそうかな、なんて思ったりもするのだった。
ふと、同窓会のことを思い出した。
というのは、保坂和志の「途方にくれて人生論」を読んでいたところ、同窓会のことが書いてあったからだ。この人は私より3学年くらい年上だが、この文がちょうど3年位前のことを書いてあって、高校卒業後30周年の同窓会のことが書かれていた。
だから、それはちょうど私の今年と同じことになるわけだった。
同窓会っていうのは、なんか複雑だ。とても懐かしいのだけど、負の記憶ってのも再現される。そして、結局、あのころイヤだったことは何も変わってないということに気がついたりする。
たとえば、あんたなんか友達じゃないわよ、みたいな感じの空気がなんとなくただよっていて、高校時代には言葉も交わさなかったような人がいる。別に敵対していたわけではいが、タイプが違うって言うか、属するグループが違っていた人だ。
そういう人でも、同じクラスだったから、ちょっと話しかけてみたりする。
この間も、ちょうど駅から同窓会会場であるホテルまでの送迎バスが同じだった人たちがいた。そこである人にでくわし、その人が特に親しくはなかったが同じクラスだったという記憶があった。そこで、「あっ、○○さん、1年のとき同じクラスでしたよね」と声をかけると、「はあ」みたいなそっけない返事で、私はあなたに関わる気はないわ、のような無関心な態度のまま、上の空で自分の友人が来るのを待っているふうであった。一方、もともと名前も知らないが顔は見たことがあるような同窓生が、「○高の同窓会に行くんですよね、何組でした?私は○○です。」などと親しく接してくれたりしたものだ。そういうのは嬉しいのだが、そっけなくされた傷は後々までのこる、というか、そのときはあまり感じないものの、後になってじわじわと痛んできたりする。
そして、同窓会会場で、今何をしてますか、などとステージに呼び上げられた人が近況報告などを始める。これは友達が友達を呼んでいくので、活発な感じの同じ系統の人間が続いていく。
この間は、2次会で、その近況報告をもっとやろうではないか、という要望があり、今度は座っている順にマイクが回ってきた。
みんなそれぞれに話などしているので、聞いていない人も多い。
それでも、当時羽振りをきかせていたような類の人は何か話すことが多かった。一度ステージで話したのにまた同じようなことをしっかりと話す人さえいる。そして、マイクはいろいろな人にまわって行ったが、その中には何も言わずにマイクを次の人に渡してしまう人も多くなった。それは、聞いていない人も多いし、特に言うことはないとか、自分のようなものがなんか言っても誰も聞きたくはないだろう、などと考えるからである。そして、私の仲間たちや私にもマイクは回ってきたが、やっぱり黙って何も言わずに渡してしまった。どうしても控えめなんだよなあ。
だから、高校時代からずっと存在感がないんだよね。
私は友人にマイクを向けて、「ここにいるのは元○部の○○さんです。○○さん、今何をしてますか?」なんてやればよかったな、と後になって思ったけど、やっぱりそういうことをする柄じゃないんだな、私たちは。
ここにも、人間がいるんだよ、小さな花をさかせてるんだよって、自己PRも必要だよな、と反省しました。
きっと、こういうふうだから、「同じクラスでしたよね」って言ったときに、「あっ、○組でしょ?そうそう。一緒に行きましょ。」なんていう反応が得られないんでしょうね。
だから、次回の同窓会には、マイクが回ってきたらパスしないで、何か発言しようと思ったりもするのだが、一方でもう同窓会に行くのはよそうかな、なんて思ったりもするのだった。