山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

読書の梅雨

2012-06-12 20:40:57 | 読書


「読書の秋」という言葉はあるが、「読書の梅雨」という言葉は聞かない。
どうしてないんだろう・・・。雨が降ったら、家で本を読んでいる。
これは、いい時間の使い方だ。

「狼なんか怖くない」を読み始めたところ、どうも、庄司薫氏の他の作品を読んでいないと、意味が半分以上わからないということがわかり、今日は、他の作品を買いに行った。
図書館に借りに行かないのは、本に線などを思う存分引きたいからである。

家の近所の本屋には、庄司薫の本が数種類、揃っていることは知っているのだが、なんとしてもカードで5%引きになるところで書いたいので、そこに行った。そしたら「さよなら怪傑黒頭巾」(新潮文庫)しかなかったので、それを買った。どちらかというと、芥川賞の「赤頭巾ちゃん気をつけて」がよかったのだけどね。

本屋ってのは、どこも同じ本が売っているものだと思っていたら、やっぱり違うらしい。本屋によって仕入れようとする本が違うのであろう。まあ、考えてみればあたりまえだ。
どっちみち、全部の作品を読みたいので、5%引きになる本屋に入るのを待とう。あるいは、ポイントがたまるところが良い。

ときどきブックオフで中古の本を買うこともあるけど、やっぱりどんな人が読んだのかは気になることがある。ページの間に鼻クソが挟まっているかもかもしれない。ゴキブリのいる部屋とか、トイレの中で読んでいたかもしれないと思うと、ちょっとやな感じだ。だから、少し高くても新品の本がいいかな。

「~黒頭巾」は読みやすくていいのだけど、なんか目が痛くなってきて、今中断している。
ブログを書くのも、目がきつい。困ったことだ。
眼の使用許容量を超えちゃってるらしい。

今日も、印刷物の校正、約5時間した。
やむなく、中止だ。

(写真:買ったまま溜まっている本。全然読んでないものもあり。梅雨のうちに読んでしまおう。)




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「狼なんかこわくない」

2012-06-12 00:57:40 | 読書
実家にあった「狼なんかこわくない」を読み始めたのだけど、これが、意外に内容が簡単なものではないということがわかった。
著者が以前に書いた小説について、それを書いたころの状況や心情などをかなり詳細に書いてある。
となると、まずは、それらの小説を読み直してみなければ、意味がない。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」とか「狼なんかこわくない」などという題名から、軽く易しい印象を受けていたが、実はそうではないのだ。「赤頭巾ちゃん~」は1度読んだことがあるはずなのに、まるで覚えていないから、読んでいないのと同じだ。
そして、「狼なんか~」については、もしかしたら1度も読んでいないのではないか?と思えてきた。もし18歳の私が読んでいたとしても、今現在の私にわからないのだから、当時の私にわかったわけはないように思う。
端から読んでいってもアタマに入らない部分があるので、てきとうに拾い読みしている。

「ぼくは、本当なら1969年中に、「赤」「黒」「白」「青」がそれぞれ題名に入った18歳の薫を語り手とする四部作(・・・略・・・)を書きあげ、そして庄司薫というペンネームもろともこの「薫」をさっさと引っこめるつもりでいた。
ところが、こと志とちがって、69年に書いたのは「赤」と「黒」だけ。そして、続いて「白鳥の歌なんか聞えない」を中央公論に連載し始めたのだが、結局本になるまで1年半もかかってしまうということになった。」

私がこどものときテレビドラマで「白鳥の歌なんか聞えない」をやっていた。主演は仁科明子だった。当時、仁科明子(現在表記「仁科亜季子」)はきれいだと思った。どんな内容だったか覚えていないが、印象に残っている。

私にとって庄司薫の作品はなんだったのだろう。今現在、何にも覚えていないにしても、当時は、数ある作家の中から、この人の作品を選んで買ったり読んだりしていたわけだった。

「狼なんかこわくない」の内容を理解するには、まず、処女作「喪失」を読まなくてはならないだろう。「喪失」は読んだことがあるのか、ないのかさえ覚えていない。覚えていないということは、読んだことがないからかもしれないが、「喪失」という題名はなんとなく印象に残っているので、もしかしたら読んだことがあるのかもしれない。

どっちでもいいことだけど、最近は自分の過去を掘り出すことに関心を持っている。
「狼なんかこわくない」は、いわば庄司薫が自分の過去を掘り起こしているので、それを読むのと同時に、私自身の過去も掘り起こせるのは面白い。

「仁科明子様を目指してがんばってくれたまえ」と高一のとき同級生の男子(←私はこの子にあこがれていた)から言われたことがある。
当時の中高生にとって、仁科明子は憧れだったのかな?

話は変わるが、私は中村紘子のピアノコンサートを聴きにいったことがある。有名なピアニストの演奏を生で聴いたのは、この人の演奏だけである。べつに、庄司薫の妻だから行ったわけではないが、これも何かの縁であろうか。
自分の日記によると、私は庄司薫の講演会にも行ったらしいし、今になってみると、当時の自分にとっては関係深い存在だったのではないかと思える。

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