先日、故郷に行って昔の友人たちと話をしたときに、なんとなく東京の人と意識が違うなと思った。海の近くなので、津波に対する不安はあるみたいだけど、「帰宅難民」なんていう危険性はあんまり考えないようだ。
考えてみれば、東日本大震災の時の揺れは、東京と静岡ではずいぶんと違ったようである。
東京の人同士が久しぶりに会ったりすると、あの地震の時はどうだった、どうやって帰った、という話しになることが多いが、そういう話は出ない。スーパーで商品がなくなったりもしなかったのか、地震に備えて非常食を用意しておくとか、遠距離を歩いて帰ることとかもあんまり考えていないようだ。
私は、歩数計を常備しているが、これも単に健康のためというだけではない。どのくらい歩くと、どのくらい疲れるとか、足が痛くなるなどという目安を日ごろからつけておくことができるとともに、足腰を鍛えておくことにつながる。最近私の周辺の人々も「いざというときに長距離を歩く」ということを想定して生活している。
地震の時は4時間くらいかけて歩いて帰宅した人もいた。途中までバスで行き、そこから知らない道を歩いて帰り、遠回りだった人もいたようだ。そんなこともあり、普段から、いろいろな経路で歩いてみたりしている人も多い。電車の線路に沿って歩いて行くとわかりやすいけど、非常に遠回りだったりするそうで、直線距離だったら、その半分もかからないこともあるそうだ。そのためには、実際に歩いてみて、経路を調査しておく必要があるのだ。1つではなく、いくつかのルートを経験しておくのだそうだ。
私の場合は、自宅と勤務先が近いので、歩いて帰宅するのは簡単だが、万が一、都心に出かけているときに交通が止まったら大変なことになる。新宿くらいだったら歩いて帰る道もわかりそうだが、もっと都心になったらわからないかもしれない。
それから、自宅から故郷の家に向かっていく一般道を、自動車を運転して走ったりしているのだが、これも歩いて帰る道を認識しておこうという意識が無くはないし、距離的な感覚も感じることができる。大地震などが起こって、東京が壊滅状態になったら、246号とかを歩いて静岡県に向かうことができる。何日かけても逃げて行こうと思っているのだ。
車で走るとこのくらいかかるから、歩いたらどんだけかかるかという、なんとなくの見当もつく。いや、それはもう容易なことではない。大変なことだろうと思うばかりだ。
もし、交通がマヒして、道路も分断されてしまったら、高速道路はクルマも走らないから、そこを歩いて進むことができるのかもしれないが、高架なので、崩れ落ちたりしてしまうかもしれないなどと思う。また、休憩する場所も長距離に渡ってないだろうから、災害などの時に、高速道路を歩くのは向かないだろう。そんなわけで、一般道を進んで行く。
今後は、非常持ち出し用の荷物を持って歩くとどうなるか、なども体験する必要があるかもしれない。
追記:
そういえば、地方の町で働いている人と、大都会で働いている人とは、そもそも違いがあることに気がついた。つまり、東京の都心に勤める人たちは、道路を使ってそこまで行き来する方法を全く知らないまま、いつも電車や地下鉄に任せているのだ。たぶん、そのこと自体がかなりおかしいことなのかもしれない。地方の町だったら、自分の家と勤務先を結ぶ道路を知らないで暮らすということはないだろう。
それに、私の故郷のような地方では、日ごろからクルマで通勤しているのが普通だから、道路が壊れない限りは地震の後もクルマで移動するに違いない。東京ではクルマを持っている人がそもそも少ないし、クルマで通勤もしていない。だから、いざクルマしか使えない状況になったときにも、それを利用できるひとは限られてしまう。そして、地震の後はクルマの走行が禁止されてしまうようなので、やはり自分の足で歩くことを考える以外にはないのだ。地方の人はそういうことは考える必要のない環境にいるのだから、それに備える必要もないわけだ。
考えてみれば、東日本大震災の時の揺れは、東京と静岡ではずいぶんと違ったようである。
東京の人同士が久しぶりに会ったりすると、あの地震の時はどうだった、どうやって帰った、という話しになることが多いが、そういう話は出ない。スーパーで商品がなくなったりもしなかったのか、地震に備えて非常食を用意しておくとか、遠距離を歩いて帰ることとかもあんまり考えていないようだ。
私は、歩数計を常備しているが、これも単に健康のためというだけではない。どのくらい歩くと、どのくらい疲れるとか、足が痛くなるなどという目安を日ごろからつけておくことができるとともに、足腰を鍛えておくことにつながる。最近私の周辺の人々も「いざというときに長距離を歩く」ということを想定して生活している。
地震の時は4時間くらいかけて歩いて帰宅した人もいた。途中までバスで行き、そこから知らない道を歩いて帰り、遠回りだった人もいたようだ。そんなこともあり、普段から、いろいろな経路で歩いてみたりしている人も多い。電車の線路に沿って歩いて行くとわかりやすいけど、非常に遠回りだったりするそうで、直線距離だったら、その半分もかからないこともあるそうだ。そのためには、実際に歩いてみて、経路を調査しておく必要があるのだ。1つではなく、いくつかのルートを経験しておくのだそうだ。
私の場合は、自宅と勤務先が近いので、歩いて帰宅するのは簡単だが、万が一、都心に出かけているときに交通が止まったら大変なことになる。新宿くらいだったら歩いて帰る道もわかりそうだが、もっと都心になったらわからないかもしれない。
それから、自宅から故郷の家に向かっていく一般道を、自動車を運転して走ったりしているのだが、これも歩いて帰る道を認識しておこうという意識が無くはないし、距離的な感覚も感じることができる。大地震などが起こって、東京が壊滅状態になったら、246号とかを歩いて静岡県に向かうことができる。何日かけても逃げて行こうと思っているのだ。
車で走るとこのくらいかかるから、歩いたらどんだけかかるかという、なんとなくの見当もつく。いや、それはもう容易なことではない。大変なことだろうと思うばかりだ。
もし、交通がマヒして、道路も分断されてしまったら、高速道路はクルマも走らないから、そこを歩いて進むことができるのかもしれないが、高架なので、崩れ落ちたりしてしまうかもしれないなどと思う。また、休憩する場所も長距離に渡ってないだろうから、災害などの時に、高速道路を歩くのは向かないだろう。そんなわけで、一般道を進んで行く。
今後は、非常持ち出し用の荷物を持って歩くとどうなるか、なども体験する必要があるかもしれない。
追記:
そういえば、地方の町で働いている人と、大都会で働いている人とは、そもそも違いがあることに気がついた。つまり、東京の都心に勤める人たちは、道路を使ってそこまで行き来する方法を全く知らないまま、いつも電車や地下鉄に任せているのだ。たぶん、そのこと自体がかなりおかしいことなのかもしれない。地方の町だったら、自分の家と勤務先を結ぶ道路を知らないで暮らすということはないだろう。
それに、私の故郷のような地方では、日ごろからクルマで通勤しているのが普通だから、道路が壊れない限りは地震の後もクルマで移動するに違いない。東京ではクルマを持っている人がそもそも少ないし、クルマで通勤もしていない。だから、いざクルマしか使えない状況になったときにも、それを利用できるひとは限られてしまう。そして、地震の後はクルマの走行が禁止されてしまうようなので、やはり自分の足で歩くことを考える以外にはないのだ。地方の人はそういうことは考える必要のない環境にいるのだから、それに備える必要もないわけだ。