山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

今週の運転

2012-07-01 20:39:43 | 運転・車・道路の事


先週は、電車で帰省していたので、車の運転はしなかった。
今週は、昨日ホームセンターに行って、ウサギの餌と花(日日草・ハイビスカス)と保冷容器を買ってきた。往復6キロ程度。
今日は、ガソリンを入れにいった。これも、往復6キロくらい?
ガソリンを入れてくるだけで6キロ走るってのもバカみたいだけどね。
それで、オドメーターはまだまだ6280キロくらいなのだ。
そりゃあ、週に12キロくらいしか走らないんじゃ、距離も伸びないのはあたりまえ。

ボッケニャンドリさんのブログに、鶴川街道とか府中の是政橋とか、多摩川のあの近辺のことが最近いろいろ載っていたので、あっちのほうに無性に行きたくなってしまった。
今日は、夫が夜勤で午後3時前くらいに出勤していったので、そのあと、ガソリンを入れて多摩川のほうにドライブにでも行こうと考えた。
それで、3時半ころ出発したんだけど、ちょうど雨がぽつぽつ降ってきた。そしたら、走っているうちに雨はどんどんひどくなって、かなり大粒の雨がバンバン降ってきたので、ワイパーを全開にした。ちょっとこれは遠出は怖いなと思い、結局ガソリンスタンドからそのまま帰宅してしまった。夕方だったから道路も渋滞していて、幹線道路同士の交差点では、右折車線の行列で、信号を3回くらい待つことになった。往復で1時間くらいかかってしまった。まったくアホのようだ。
家に戻ってしばらくすると、雨はやんでいて、こんなことなら出かければよかったと思ったけど後の祭りだった。

書くことは、ガソリンのことしかないので、それを書こう。
今日のガソリン価格は、1L130円であり、今年になって1番安くなっていた。3月・4月は144円、昨年末は134円であり、今日より安かったのは2011年2月の129円であった。(カード引き落としで実際には、さらに1Lあたり2円引きになる。)
5月はガソリンを入れず、今日もガソリンメーターは半分をちょっと下回る程度だったので、満タンにしても16.44Lであった。
前回からの燃費は14.72km/Lであり、まあ年間を通したうちではいい方である。
今までの最高は15.14km/Lであった。

梅雨に入ってからは、比較的涼しいのでエアコンは使っていないし、かなり暑い日でも頑張って窓を開けて運転しているので、今のところあまりガソリンを食わないで済んでいるが、郊外の道路をスイスイ走れたら、ムーヴの燃費ももっとよいだろう。


そういえば、雨の日にガソリンスタンドに行ったことがなかったのだが、雨の日って車から降りると濡れちゃうのかな?と思った。ガソリンスタンドの屋根というのは、どうなってるんだっけ?
行って見ると、ガソリンを入れるところにはちゃんと屋根があった。あたりまえか。
ガソリン注入後、道路に出ようと車を移動して待機していると、そこには屋根がない。
道路を走りだしてから、ワイパーを動かしていないことに気づき、ちょっと焦って慌てて動かした。

帰りは、私の前にタンクローリーのような車が走っていた。荷台の底辺の幅がかなり広く、車線の幅にぎりぎりで、第3車線を走っていたので、微妙に対向車線にはみ出そうな走りだった。幅が広いので、その車の前が全く見えない。まだ右折車線ができないゼブラゾーンにその車が停まったので、私もそれに続いて停まっていたが、一向に進まないので少し不安になってきた。ゼブラゾーンには停止してはいけないことになっているが、実際にはゼブラゾーンの上にいないと、右折はできなくなってしまう。私の後ろにも車が続いて停止している。タンクローリーの前に右折車がいなくて、これが何らかの理由で停まっているのだとしたら、どうしよう、と不安になってきたが、やっと動いた。やっぱり右折矢印の信号渋滞だった。

ところで、このクルマ、タンクローリーで化学物質かガソリンでも運んでいるのかと思ったら、ちょっと形が違い、「牛乳」の運搬車だった。牛乳のタンク車は初めてみた。11000Lの牛乳が入っていると書いてある。つまり、牛乳パック1万1千本分だ。ナンバーは千葉ナンバーだった。
タンクは銀色のステンレスであり、丸い後面がまるで鏡のようになっているので、私の車がそこにすっぽりと映っているのがみごとだった。こんなにはっきり自分の車が走る正面像を見たのは初めてだ。そこには道路のラインも映っているので、自分が道路のどの位置を走っているのかも一目瞭然であり、まともな位置を走っていることがわかってよかった。

ちょっとでも走ってみると、新しいものに出会って面白い。

追記:
他の方のブログに牛乳運搬車の写真がありました。
「牛乳運搬車」
私の車もまさしくこんな感じに写ってました!!!

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蓮池薫さんの本

2012-07-01 11:00:44 | 読書
昨日、友人とブックオフに行って、本棚を眺めていたところ、蓮池薫氏の「半島へ、ふたたび」という単行本をみつけた。拉致被害者の蓮池さんは、今何をして暮らしていらっしゃるのかと興味深く、本を開いてみた。現在、氏は「翻訳者」として活躍されているようだ。
韓国の著書を日本語に翻訳しており、もう何冊にもなるようであるし、この本のように、本人が執筆されたものもあることがわかった。
若い時に拉致され、長い間異国で拘束されていて、よく日本語を忘れなかったなと思ったら、北朝鮮では日本語を朝鮮語に翻訳する仕事をさせられていたというので、日本語を忘れるわけはなかった。

北朝鮮での生活や、帰国後の状況など知りたいので、定価の半分弱くらいに値下げされているこの本を購入することにした。現在、帰国後韓国に出かけたという最初のほうと、それから、間を飛ばして後ろのほうの翻訳を始めた経緯の部分を読んでいる。どちらかというと、翻訳者としての部分がまず読みたいので、順番を変えているが、いずれは全部読む予定だ。

蓮池氏は、中央大学法学部3年の時に拉致されたそうである。中大法学部といえば有名であるから、元々優秀な人だったことを再認識した。本来、弁護士などになるはずのところを、とんでもない人生を送ることになってしまった。高校の受験勉強の頃の話では、夕飯を食べずに日暮れ前にまず寝て、深夜(超早朝)に起きて勉強をしていたそうだ。そうしないと、ナイター等を見てしまい、無駄な時間を過ごしてしまうからだそうだ。蓮池さんの家では、浪人などをする余裕はなかったので、現役で入れる大学に入るしかなかったそうなので、頑張って勉強したらしい。

日本で翻訳者として認められるかどうか、最初の翻訳を始めたころは、柏崎市の市役所に勤めながら、仕事を終えて帰宅するとすぐ寝て、高校時代と同じように深夜から朝にかけて翻訳をするという生活を続けたという。

中学時代は野球部で、今から考えると無意味な特訓などをさせられたが、拉致時代の苦しいときには、その経験が忍耐力となって役にたったそうだ。高校時代は演劇部だったので、自由に活動していたが、多くの文学作品などにも触れる経験ができたそうだ。北朝鮮で日本語を翻訳して、意味がわからないとつっ返されたりして、訳をし直した経験なども役にたっているそうだ。

高校3年生のころの蓮池氏の追想を読んでいたら、今、私が読んでいる庄司薫の薫君シリーズと同じ年齢だということに気がついた。そして、そのくらいの男の子の活動に共通点が見えた。

そして、・・・・

驚くべきは、蓮池氏は「薫」という名前ではないか!
なんたる偶然。
しかも、大学は法学部だ。本当は、東大法学部に行きたかったかもだ。

そもそも、もしかしたら、私がブックオフでこの本をとりあげたのは、
蓮池薫の「薫」という文字に、無意識に反応していたのかもしれない。

実は、それから初めて、拉致被害者の蓮池さんの本だということを意識し、それはそれで興味深いと思ったのかもしれない。(そのへんの私の脳の働きはどういう経緯をとったのかわからないが・・・。)

蓮池さんは、現在の奥さんと一緒に拉致されて、きっと薫君が由美を守る気持ちのように奥さんを守って、そして2人で助け合って生きてきたのではないだろうか。

まだまだ、ちゃんと読んでいないけれど、これからしっかり読もうと思う。
韓国と朝鮮・そして日本についても、再認識することがたくさんありそうだ。

この本のすぐそばにあった蓮池透氏の本(「奪還」)も買ってきた。兄・家族から見た状況もぜひ知りたいと思ったからだ。

拉致の事件は、蓮池さんたちが帰還してから何年にもなり、だんだん過去のものとなって人々の意識からも薄れてきている。実際、私がこれらの本を読むのも「時期が遅すぎる」のかもしれないが、いまさらながらでも読んでみたい。
蓮池氏が翻訳した韓国文学などもぜひ読んでみたいと思う。

庄司薫の薫君シリーズも途中なので、それも中断しないつもりだ。
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